人生二毛作。「二度目の人生」って言い方って大げさ?
2019.02.03
最終更新日:2019年03月06日
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「二度目の人生」などと言うと、ちょっと大げさな印象がありますけど、ずっと微調整をし続けてると、たまに大きく変わった方が快適なこともありますよね。働きながら考えて、ムズムズしてきたら行動するクセをつることは、いいことなのだと思います。
今の仕事。「なりたい」と思ってたときと違ってるんじゃない?
「好きなことを仕事にしよう」という言い方を聞くことが増えてきましたよね。
その反対は「嫌な仕事でも我慢しよう」何でしょうかね? 考えるまでもなく、好きなことを仕事にした方がいいに決まってるのですが、なかなか上手くいかないのが、この世の中なのでしょうね。
自分の「好きなこと」は、他の誰かの「好きなこと」である可能性が高いので、ポジションの取り合いになっちゃうことが多いですからね。
そこにたどり着くまでの競争に勝たなきゃいけないってことなんですよね。
負けたら「嫌な仕事を我慢する」人にならなきゃいけない?
僕は、そんなことなくて、何度も「好きなことを仕事にする」ことにチャレンジしてもいいと思っているのですが、これについては本題じゃありませんので、またの機会に。
僕は概ね「好きなことを仕事にする」ことができてるのですよ。
フリーランスのWebデザイナーを生業としています。
大学は体育学部を卒業しましたから、美術系の教育も工学系の教育も受けていないのです。
社会に出てから、デザインが「好きなこと」になり、また数年後にWebも「好きなこと」になったのです。
朝起きるのが苦手だったり、満員電車がムリだったので、フリーランスという働き方も「好きなこと」に加わりました。
もともと社会に出るときに「自分の会社を持ちたい」という希望があったので、10年かけて働きながら拾い集めた「好きなこと」というピースで埋めることで、希望を実現した感じですね。
「会社」っていっても、人を雇って組織を作る感じじゃなくて「全部を自分で決められる事業体」みたいな感じです。
法人登記した段階で達成感を得られた程度のものです。
「法人化してるんなら、フリーランスって言わないんじゃない?」みたいな議論をふっ掛けらることもありますが、僕はどっちでもいいと思っています。
「フリーランスだし、法人登記してるし」なのです。
で、この数年間で感じ始めたのが「今やってる仕事、もともとやりたい仕事だったっけ?」ということなのですよ。
考えてるんだから、変わって当然だよね
僕は学部を卒業してから働き始めましたから、ハタチちょっとで社会に出てるんですよね。
もちろん、そのときにも「将来の展望」めいたことは考えていましたし、「あれやりたい」「こんな人になりたい」みたいなのは持ってたのですが、あまりにも情報も経験も少なすぎましたよね。
自分自身でも認識してましたから「働きながら考えるしかないな」というのが正直なところだったと思います。「だから今は、テキトーでいいや」と。
で、のフリーランスのWebデザイナーに落ち着いたのが30代半ば。それから20年が経過し、今50代半ばです。
なんとなく振り返ってみると、30代半ばの時点で「いろいろ経験し、いろいろ考えた上で、なりたい自分になることができたぞ」なんて思っていたものです。
ただ、それから後も、経験し続けるし考え続けるのですよ。当たり前のことではありますが「なりたい自分」も変化し続けるのですよね。
また「Webデザインの仕事の中身」も「フリーランスという働き方」も、時代とともに変わっていくのですよ。
むしろ「30代半ばでなりたい自分になったのだから、あとは一生何も考えずにこの道を進むことができれば、それが楽しい人生なのです」なワケありませんよね。
「やりたいこと」「なりたいもの」が次々と生まれてくるに決まってるのですよ。
で「今やってる仕事、もともとやりたい仕事だったっけ?」という感情が芽生えてくるのでしょうね。
人は、ずっと考え続けるもんだし、変わり続けるもんなのですよ。
たまには矛盾を吸収しきれなくなって「仕方ない、リセットするか」でいいように思うのです。
やってみるしかないんですけどね
おそらく「まだ早い」とか「もう遅い」とか考えても仕方ないのですよ。
なんとなくムズムズしてきたら、動いてみるのが一番自然だと思いますね。
僕、以前「人生二毛作。さしずめ今は、二回目の土作り」って記事を投稿している(読んでみると、この記事といろいろダブってる…)のですが、
さらに、今「人生100年時代」なんて官邸や厚労省が言い始めてるのですよ。
「人生、おかわりアリ」って考えたり、途中で何回か中休みを取ることを考えないと、持ちませんよね。
ってことを書いてるんですよね。
100歳まで働くイメージを持つのはちょっと難しいですが、75歳とか80歳くらいの段階で、なんらかの労働には携わっておきたいのですよ。
僕の中では、なんとなく「生産的な趣味」くらいの、労働よりもちょっとマイルドなものをイメージしてるんですけどね。
(参考:「生産的な趣味」の時間を確保するためにセミリタイアしようとしてる)
僕と同じように、ずっと働きながら考えてきた、オッサン・オバサンたちって、社会に出る10代・20代のときよりも「なりたい自分」の解像度が上がってるはずなんですよね。
繰り返しますが、ムズムズしてきたら行動すればいいのだと思います。
「二度目の人生」などと言うと、ちょっと大げさだし、大決断みたいな印象ありますけど「ずっと微調整をし続けてると、たまに大きく変わった方が快適なこともあるよね」と言ったところなんじゃないでしょうかね?
決してフリーランス礼賛じゃないですよ
最近「フリーランスがカッコよくて、サラリーマンはダサい」みたいな物言いが増えてませんかね?
僕は自身がフリーランスなので「そうだそうだ!」と思うことも「バカ、やめとけ」と思うことも両方あるのですよ。
(参考:フリーランスになりたいと言ってくる人には「やめとけ」と答えます)
そもそも、フリーとサラリーマンって、対立概念じゃなくてポジションの違いみたいなものなのですよ。
向き不向きがあるもんなのですよね。
それでも「オレはフリーで生きる」って人はそうすればいいのだろうと思います。
でも、僕は決してフリーになることを「行動すること」と同じには捉えていません。
まずは「考えること」なのだろうと思います。
その上で、前述のように「ムズムズしてきたら行動すればいい」と思うのです。
「思考しろ」「行動しろ」というと、ちょっとした華やかさを伴いますが、実際は、ずっとネチネチと考え続けながら、ひとりでジワ〜っと行動し続けるものなんですよね。
それが積み重なったところで観測すると「あ、変わってる」ってなるんですけどね。
結局、オッサン・オバサンになっても、考え続けなきゃいけないし、変わり続けなきゃいけないってことなんだと思うのですよ。
おそらく、その方が楽しいのです。
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