ひとりで完結する仕事
2019.02.13
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「ひとりで完結する仕事」を模索してるのですよ、おそらく困難なんですよね。でも、僕がデザイナーを職業に選んだときも、フリーランスになったときも、失敗する可能性の方が大きかったのです。たとえ失敗したとしても、やらないよりはマシなのです。
集団でワチャワチャしてる感じも嫌いではないんです
おそらくバランスの問題なのですよ。
人間だれしも、気の合う仲間たちと一緒に時間を共有しながら、楽しく過ごすときを楽しいと感じるし、同様に、ひとりだけで考えたり、何かものをこさえたりしてる時間が好きだったり、両方の性質をもってると思うのですよね。
僕はこのブログのいろんなところで、セミリタイア、フリーランス、人間関係の断捨離といったことについて語っているように、可能な限り「ひとり時間」を作りたいのですよ。
加齢とともに「ひとり時間」の方が心地よくなってきています。
僕の仕事はデザイナーですから、ある意味「集団芸」なんですね。
ライターがいて、フォトグラファーがいて、イラストレーターがいて、そして、もろもろのディレクションをする人、決断をする人、予算を管理する人、いろんな仕事の複合で作業が進んでいきます。
当然、連絡を取り合いながら、あ〜でもない、こ〜でもないというコミュニケーションも多いのです。
もともと、そういう時間を共有することも好きなのですよ。
ただ、年々そういう場所に出向くよりも、ひとりで考え続けたり、手を動かし続けている方の「好き」が勝ち始めてるんですよね。
自分が別のものに興味を持ちはじめて、これまでと違う方向に歩きだしているような感じもするし、これが「ヤキが回った」ってことなのかな、とも感じています。
以前「デザイナーにとっての、セミリタイアと引退」という記事で書いたように、これまでやってきたことが終わりつつある感触はあるのです。
どうやら、なにもかもをひとりで決める方向に向かっているようなのです。
心地良い方へ、楽な方へ、見晴らしが広い方へ歩いていこうとすると、僕の場合は、そっち側のようです。
「ひとりの空間」では物足りなくなる
「ひとり時間」を作りたいと願いはじめ、最初に起こした行動が「フリーランスになること」でした。
それまでにも「友人同士の飲み会に参加せずに、部屋にこもる」とか、「部活のあと、着替えたらすぐにひとりで帰る」みたいなことは多々ありましたが、自分の人生に大きな節目を作る意味での「行動」ということです。
その昔、SOHO(ソーホー)なんて言葉があったのですよ。Small Office Home Officeの略ですね。
いつごろ登場した言葉なのか、ググってもよくわかりませんでしたが、僕がフリーランスになった1997年当時には、あった言葉だと思います。
その当時の僕は、とにかく「ひとりの空間で仕事をする」ということに強いあこがれを抱いていて、それがフリーランスになる大きな要因にはなっています。
何が言いたいかというと「最初は、ひとりの空間で仕事ができただけで、十分満足」だったのですよ。
最初は当然、仕事なんかありませんので、静かな空間でずっと謎作品を作り続けることができてとても快適だったのですが、次第に仕事が舞い込むようになると、ひっきりなしに電話はかかってくるし、FAXはじゃんじゃん流れてくる。そして週に何回かはバイク便がやってくる、という有り様だったのが現実でしたけどね…。
それでも、仕事場に他人の気配がしないことが、僕にとってはとても快適だったのです。
前述のように、デザイナーという仕事は集団芸です。
フリーランスになってから、20年以上が経過した今、それがだんだんツラくなるのですよ。
結局、フリーランスになっても、FAXもバイク便もななり、電話は皆無ではないにしても「むやみやたらに使用してはならないもの」になっても、他人とのコミュニケーションはなくならないのですよね。
対面ミーティングには出席しないようにしようと、間にディレクターを立ててリモートワーク化を試みたりもしたのですが、どうしてもフラストレーションが拭えなくなってきているのですよ。
このブログを開設して間もないころ、もう半年以上も前ですね「自己完結型(スタンドアローン)の仕事を模索しよう」という記事を書いています。
(改めて過去時事を読むのって、かなりこっ恥ずかしいですね…。何が言いたいのかよくわからない仕上がりになっています)
これって「すべてのことを自分で決められる仕事を考え出したい」ということなのですね。
ひとことで言うと「クライアントワーク、イヤだ」と考え始めてるのですよ。
「ひとりで決定」の可能性
「ひとりで完結する仕事」「自己完結型の仕事」「スタンドアローンの仕事」。
たぶん、全部同じことを意味してるのですが、どういう職業がここに当てはまるのか考えてみると、
- 画家
- 大道芸人
- 飲食店主
- 農産物の無人販売
みたいな感じでしょうかね? みんな自分の商品を自分だけで作る仕事ってことですよね。
すべてを自分の中で処理してアウトプット。それが金になるということなのですよ。
デザイナーは明らかに「商売人」。他人の好みや要求をふんだんに盛り込みながら仕上げていく仕事ですからね。もちろん限度はありますし、課題解決につながらないような要求はブロックしますが。
小説家やミュージシャンも、いわゆる「大先生」でもない限り、ある程度は「編集者」「ディレクター」といった他人の干渉を受けることになりますもんね。
それが、ここ数年で「ひとりで完結する仕事」の可能性が飛躍的に広がってますよね。
たとえば「ユーチューバー」だったり「ブロガー」だったり。
文章コンテンツだったら、noteとかcakesみたいなプラットフォームも登場してるし、voicyなんて音声コンテンツメディアも将来性ありそう。
あきらかに、僕らが社会に出るときと状況変わってるのですよ。
twitterなどのSNSを眺めていると「そんなことで食べていけるのは、ひと握り」という言説も目にしますが、その通りだと思います。
でも、僕らが社会に出る頃から、画家もミュージシャンも作家も「食っていけるのは、ひと握り」だったのです。
デビューハードルが下がってるだけ、今のほうが状況いいと思うんですよね。
僕がフリーランスになるときも「まあ食えないよ。食えたとしても、40超えたら仕事止まるよ」みたいな話を何度聞いたことか…。
僕が今「ひとりで完結する仕事を模索してる」と言ってるのも、おそらく困難なのですよ、「食っていけるのは、ひと握り」なことをやろうとしてるのですよ。
「そりゃ、失敗する可能性もあるわな」とは思っているのですが、失敗したとしても、やらないよりはマシなのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。