人生をデザインする時期を意図的に作る
2019.02.21
最終更新日:2019年03月07日
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。デザイナーという職業に就いているのですから、自分の人生こそデザインすべきなのですよ。思いついてみれば簡単なことなのですが、50代半ばになってようやくそういう考えに至りました。余裕が出たからなのか? 燃え尽きたからなのか? は謎なのです。
日頃から「デザインは課題解決」って言ってたのにね
先日「非IT作業に取り組みつつ、ITとデザインのことを見直したい」という記事を投稿したのですが、その中で、
僕が今、クライアントの案件を受注してデザイン業務を進める上で、本来的な「課題の解決」といった文脈の中でデザインの仕事をできているのかどうか? 甚だ疑問に感じることが多いのです。
そのほとんどを、クライアントが好む「スタイリング」に費やしてるんじゃないのか? と。
って書いているのですよ。
僕は「デザインという業務は問題解決をすること」と思ってるし、他人にそう言ったりもしているのです。
ただ、覚えている限り、その考え方を自分の人生に当てはめて考えることって、デザイナー生活30年の間で一度もありませんでしたね。
もしかして、僕がまっとうなデザイン教育を受けていないがゆえの現象なのかもしれませんから「得てしてデザイナーとはそういうものだ、『紺屋の白袴』という言葉もあるようにね」などと一般化して語るつもりはありませんが、僕は、自分の人生をデザインするという発想を持たずにここまで来てしまったのですよ。
なんとなく「フリーランスの老後」について漠然と考えていた程度でしたね…。
(参考:フリーランスの営業には、老後戦略も含まれますよ)
50代半ばにして、ようやくそういうことを考え始めると、いろんなギャップが目につくのですよ。
健康診断と同じです。
僕は、30代半ばでフリーランスになってからずっと健康診断してなくて、40代後半にパニック障害を発症したことをきっかけに、カラダのメンテナンスをはじめたのですが「あそこの数値が異常だ」「ここが悪い」「なぜ、こんなになるまでほっといたんだ」みたいなことが次々と出てくるのですよ。
「さて、いったい何をどうすればいいのやら」と。
今の自分と将来の自分のギャップを埋めていく
僕は、決して「現状と戦おう」みたいな感情を持ってはいません。
いろいろと「解決すべき課題」は見つかっているのですが、これらはデザインによって処方すべきであって、過去の価値を否定したり、新しい思考で打ち負かしたりすることではないのですよ。
あくまでも、おだやかに「今の自分」と「将来の自分」を比較して、そのギャップを埋めていくような作業だと思っているのです。
こうしてやっと「自分の人生を自分でデザインすべきだ」と思い至った理由として
- 少し余裕ができてきたこと
- 飽きと燃え尽きを感じ始めたこと
があるような気がするのですよ。
おそらく加齢と関係してますよね、自分がオッサンになったので「もう、そんなに働く必要ないんじゃないの」と思うようになれたし「オレみたいなオッサンに、もう居場所はないでしょ」とも考えるようになった…。
そんな感じなんじゃないでしょうかね?
ワリと自然現象のような気がしているのですよ。
これもたぶん、ブログを書き始めたことの効能かもしれません。
過去の投稿で何回も「時間の使い方」と「興味の持っていき場所」について言及しているのですよ。
セミリタイアすることを決め、一旦リセットしてから「好きなこと」「やりたいこと」を行動に移そうと考えはじめた時点で、人生をデザインし始めてたということだろうと思います。
職業人であることを超えて、ヒトとして大切なのは「時間」と「行動」だと思うのですよ。
「どういう時間を過ごしたいのか」「何をして過ごしたいのか」に対して、今の自分と、こうありたい将来の自分の間にギャップを感じるので、そこを丁寧に埋めて行きたいし、考え続けたいのです。
病名のない病気を治療するようなもの
先ほど、現状を健康診断に例えましたが、人生に「不調」を感じているのですよ。
どうしても「これって、なんという病気なんだろう?」と、考えがちになりますよね。
単純化したいのですよ。そこを治療すれば、問題が解決して好調になるに違いないと考えたいのです。
むしろ、考えれば考えただけ「これだけ考え抜いたのだから、原因にたどり着きたい」と思うものなのですよね。
もちろん仕事であれば、いくつかの原因をし、それに対する解決策を提案しなければならず、それなりのアウトプットは用意するのですが、それって仮説の検証に過ぎないことは多くの方に共有されていることかと思うのです。
結局、仕事にしろ、健康にしろ、人生にしろ、問題なんて複雑に決まってるのですよ。
単純化しようと考えることにムリがあるのです。
人生をデザインし直すためには、あらゆる活動をちょっとずつ改善していく、そのためにはトライアンドエラーも延々とくり返していくしかないのだろうと考えています。
幸いにして、たとえ収入がゼロになっても、飢えて死なずに済むくらいの資産はできましたので、一旦「もっとお金欲しい!」という欲求をコントロールして「主体性を重要視しよう」という施策をしてみようと思っています。
(参考:収入ゼロの恐怖に備える)
つまり、全く仕事をしない期間を作ろうとしているのですよ。
どうしても「なんだかんだ言っても、仕事しないとお金もらえないじゃん」という気持ちが強いのですよ。
僕はフリーランスですから、とくに一度つかんだ安定を手放すことには抵抗があるのですが「主体性を取り戻さないと、時間なんてコントロールできないよ」ということを自分自身に言い聞かせたいのです。
こうしてブログで言語化することもその一環なのです。
(同時に今やってる行動の正当化でもあるんですけどね…)
その上で、一旦リセットしてデザイナーとしての自分の人生をデザインし直そうと考えているのです。
こういう期間って、意図的に作らないとなかなか上手くできないものなんですよね…。
もしかして、若い頃から気づいていて、頻繁な微調整を繰り返すことができていれば、こういうフェーズは不要だったのかな? とも思いますが、あとの祭りですね。
(参考:デザイナーにとっての、セミリタイアと引退)
これもデザイナーとしての業務だと捉えて、しっかりと取り組もうと思っています。
ただ、自分自身がクライアントなので、クライアント教育が一番厄介だったりするのですよ。なんせ責任者は50代半ばの頭のカタいオッサンなのですから。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。