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「作る人」で居続けよう

2019.03.01

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「作る人」でいることは楽しいことなのです。「自分の意思で作りたいものを作る」ということは、自分自身と向き合うことなので、自分の中の主体性を確認することができるのですよ。僕にとって、この主体性こそが楽しさの源泉だと思っているのです。

「仕事を作る」「家具を作る」「畑を作る」「仲間を作る」…。「作る」という言葉にはとても広い意味があるのですが、おおむね

手を加えて、もとと違ったものに仕上げる

という意味で合ってると思います。
(ググって辞書的なものを引用しようとも思ったのですが、あまりにも意味が多岐に渡っていたので、とりあえずパッと目についたも一文だけを引用しました)

まず意思ありき

作るものを自分で決める人でありたいのですよ。
僕はWebデザイナーを生業としているので、もともと「作る人」ではあるのです。ただ、業務である以上「作ることを仕事にしている人」なのですよ。

その「仕事」の部分が多少やっかいで「作るものを他人が決める」「作るものをみんなで決める」みないな要素がどんどん押し寄せてきて「オレが決める」の部分を侵食していくのです。

僕のイメージの中では「作る」と「業務」が対立概念化していて「自分が決めたように作ることができる」部分が増えるほど「楽しい」と感じるようになってるのですね。
駆け出しの頃からこういう傾向はあったのですが、その頃は「ベテランになったら慣れるんだろうな」などと思っていました。
でも、50代半ばを過ぎた今でも、全然慣れませんね。
それどころか、オッサンはイライラしますから「やってらんねえな。引退だな、職替えだ」みたいなことを考えるに至り、実際に僕は今、新規案件の受注を停止してセミリタイア中なのですよ。

サラリーマンデザイナーじゃなくて、フリーランスだから可能なんですけどね。
それでも、仕事仲間に迷惑をかけたくないので、数年がかりでジワジワと行動してきたのです。

もう一度「オレは自分が作りたいものを作ってる」という状態になりたいのですよ。

実はこの部分「オレたちは」でも「このチームは」でも、そこそこ楽しいし「オレは」では得られない高揚感もあったりするのですが、一旦シンプルに「オレは」の状態から見つめ直したいと思っているフェーズなのです。

「伝える人」でありやすくなった今だから

「作る」という行為には、他人を楽しませる効果があります。モノによっては感動させられることもできます。誰かに伝えて、反応をもらうことも「作る」の一部なんですね。
「自分が作りたいものを作る」と言いながらも、人との関わりがないと「作る」という行為は成立しないのですよ。

僕は、デザイナーになるための練習中は、誰にも見てもらえない謎作品を延々と作り続けたりしました。たとえばDIYが好きな好きな人であれば、自分しか使わない椅子を作ったり、庭で家族しか食べない作物を作ったりという、他人との関わりを持たない「作る」も存在することは理解しているのです。
それを承知の上で「他人と関わることで『作る』の楽しみは膨らむよ」と考えているのです。
その方が、自分の体験が豊かなものになると、信じているのですよ。

「作ったもの」と同時に「作る喜び」も添えて伝えられれば、もっと楽しいと思うのです。

ネットの効能だと捉えていますが、誰もが情報を発信しやすくなりましたよね。
以前は「作る人」と「伝える人」が、違う人であることが多かった思うのです。
たとえば、誰かが「カッコよくて使いやすい靴べらを作りましたよ」という。でも、それだけでは伝わる範囲がものすごく限られているので、雑誌やテレビ番組で「こんな靴べらを作った人がいますよ」と言ってあげることで、広範囲に伝えられる。
それが今は、SNSや自分のサイトで直接「作る人」が伝えることができるようになっています。
もちろん、それなりのマーケティング手法は必要になりますが、以前より容易になったことは確かなのです。

「作る人」が伝えることを意識しながら創作活動を始めたり、「伝える人」が自分でモノやコトを作り始める事例は昔からありますが、これからどんどん増えていくのでしょうし、そのうち境目がなくなっていくように思うのです。

もともと「作る人」である僕にとっては「楽しそうな要素がひとつ増えたな」と感じています。
僕は伝えることに関しては、まったくのシロートですが、「また何かの初心者になりたい」と考えているフェーズなので「伝える人」になる学習中でもあるのですよ。
こうして毎日ブログを書いているのも、その一環なのです。

「作る人」でいることは楽しいのです

まず「作る」という行為は、自分と向き合うことなんですよね。
「自分が作りたいものを作る」という状態は、そのときに自分が「関心を持っていること」「好きなこと」「美しいと思っていること」を浮き彫りにしてくれるのですよ。

だから過去に作ったものを見て、嫌悪することもあったりするのですが、そうしたことで自分の価値基準が変わりつつあることを把握できたりもするのです。
自分の中にモノサシを感じるようになることで、自分の主体性を感じるのですよね。
この主体性こそが楽しさの源泉だと思うのですよ。
(参考:フリーランスだからといって、主体性を持ち続けられるワケじゃない

主体性を持ち続けるために「作る人」で居続けたいし、作り続けることで自分に主体性があることを確認し続けたいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。