follow hagi.life

新しい感情

2019.03.03

最終更新日:2019年03月06日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「新しい感情をどうしよう?」という結論に至る話ではないのですよ「オッサン・オバサンになると、こんなこともあるよね」みたいな話です。僕自身もきちんと折り合いが付いていないまま、こうして文章に記録してる。ただそれだけの話しなのです。

心の熾火(おきび)

「まだ」なのか? 「もう」なのか? 半世紀以上生きてきました。折り返し地点は過ぎていますので、未来よりも過去の方が大きくなり、未来の希少性が日に日に高まりつつあるのですよ。
反面、過去を振り返ることも多くて、その過程で気づくのが「心の熾火」なんですよね。

おきび【熾火・燠火】
①  火勢が盛んで赤く熱した炭火。おこし火。おき。
②  薪が燃えたあとの赤くなったもの。おき。
出典:熾火・燠火(おきび)とは – コトバンク(2019年3月3日現在)

ここでは「②  薪が燃えたあとの赤くなったもの」に近い意味で使っています。
過去の「心地よさ」とか「達成感」「高揚感」「やりかけてやめたこと」「ちょっとだけ考えてみたこと」などなど、僕自身を形成してる体験だったり、思いだったりのパッケージが、いろんなところに置きっぱなしになってるような、そんなイメージを持っているのですよ。

人生の岐路に立ったとき、ちょっと振り返ってこの「心の熾火」を基準にしながら、進むべき道を選んでいたように思うのですよ。
ハタチのときには20年分の、40歳のときには40年分の「心の熾火」がありますからね。

「成長」って、心に熾火をいっぱい作っていく作業のことだって言ってもいいかもしれません。

着火するもの、始末するもの

50代半ばになると「ああ、同世代のサラリーマンの方たちは、あと5年10年もすれば定年なんだな」とか「日本人男性の平均寿命、80歳ちょいか…、あと30年で死んじゃうんだな」みたいなことを考えて、過去を振り返りがちなのですよ。

そうするとどうしても、置きっぱなしにしてる「心の熾火」に気が行くのですよ。
前項で「人生の岐路に立ったとき、ちょっと振り返ってこの『心の熾火』を基準に…」と書きましたが、これが逆転して「心の熾火を見つけちゃったもんだから『人生の岐路』について考え始めちゃった」みたいな状態が今なのですよ。

結果、セミリタイアだの二拠点生活生産的な趣味だの言いはじめて、行動を開始しちゃってるのですよ。

なんとなく「そろそろ熾火を回収しなきゃな」と思ってるようでもあり「もう新しいことを発想するパワーないから、熾火でまかなうか」ってことでもあるような、そんな感覚なのではありますが、とにかくずっと放置してきた熾火への関心が高まっているのです。

複数の熾火を集めて、空気を送り込んで着火させたり。要らなくなった熾火には水を掛けて消化したり。まだ惜しい熾火はそのままキープしたり。
そんな感じで、今ちょっと人生のイベントっぽくなってるのです。

逆に考えると、人生の中で「心の熾火」をいっぱい作り続けてきたから、なんとなく全体的な熱量をキープできたのかな、とも思っています。
「さて、これからここに着火剤放り込んでやれ」ってポイントもなんとなく見えて来ていますしね。

新しい感情

放置してきた「心の熾火」を回収していく。点検してまわる…。
この感覚って人生初体験なのですよ。

「心の熾火」という表現自体も、昔どこかで出会った言い方ではあるのですが、自分自身でタイピングしたのは、このブログ記事がはじめてなのです。
この年になる今まで、それほど深く考えてこなかったことですからね。

こんなことを漠然と考えるようになったのって、ここ数年のことですし、きちんと思考の中で認識したのは、ここ数ヶ月。
ちゃんと言語化しようと思いついたのは、ついさっきなのです。

そして、この「初体験」と同時に「新しい感情」が芽生えてて、それがさらに「お初感」を増幅させてくれているのです。
「新しい感情」の芽生えって、子供時代から青春時代にかけて何度も体験した感覚なのですが、ここにきて、まだまだやってくるものなのですよ。
漫然とした孤独感とか不安感とか、そんな感じのものですよね。

人生のフェーズが変わってるってことなんでしょうね。

だから、思春期や、大学進学で上京(千葉だけど)するとき、社会人になるとき、フリーランスになるときに感じたようなアタフタ・バタバタ・モタモタを感じているのです。

これから先「まったく仕事で役に立たなくなった」「走ることができなくなった」「立つことが…」「しゃべることが…」と初体験を迎え、成長期とは逆順で、なにかを失うカタチの「新しい感情」が芽生えてくることになろうと思います。

僕は「この新しい感情を上手にコンテンツ化したいな」などと生意気なことを思いながら、こうしてブログを書きつつコンテンツ作りの練習をしているのですよ。

心の熾火を回収しているつもりが、別のところに火を起こしてしまったような気もしますが「ま、そんなもんだろうな」と思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。