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「暇な時間」もスケジュールのうち

2019.03.08

こんにちは、萩ドットライフ()です。

50代に入った頃から「暇な時間もスケジュールのうちだよな」と思うようになりました。同時に「シンプルなことにこだわる」時間が増えたり、やってくお誘いをすべて「暇な時間」と重要度を比較した上で出欠を決めたりするようになっているのです。

暇な時間って、長期的な目標のための時間なんです

僕にとって、特に予定がないときは「暇な時間とういうスケジュールが入ってる」と考えているのですよ。
スケジュールというと「○○日締切の作業をやらなきゃ」とか「何処々々で誰々さんと会わなきゃ」という、カレンダーに書き込むようなものをイメージしますが、これは短期的な業務をこなすためのスケジュールですよね。
締切日が過ぎたり、ミーティングが終われば当面の目的は達成されるのですよ。

そうではなく、終わりのない延々と考え続け、行動し続けるような、長期的に使い続けられる時間を自分自身で確保することも、必要なスケジューリングだと考えているのです。
生活や娯楽にも関わりますから「業務上」という言い方はできませんが…。

なので、誰かから会合や食事会の誘いがあった場合、「暇な時間」とのスケジュールの取り合いになるのですよ。
比較した結果「暇な時間の方が重要度が高い」と判断すれば、会合への出席を断ります。

「忙しい」からではないのです。
「暇な時間というスケジュールを外すことができないから」なのです。

だから「どうして? 忙しいの?」とか言われると、返答に困るんですよね。
だいたいの場合は「いや〜、まあ、そんな感じっすね」「また何かあったら誘ってください」みたいな返答をすることが多かったのですが、最近は断り方を考えるのも面倒くさくて「出席しても楽しめそうにありませんし、ムダな時間を過ごしたくありませんから」と、きっぱりと断るようにしています。
「いつなら大丈夫?」「メンバー調整しようか?」みたいな話が続くのがイヤなのですよ。

忙しいワケじゃないんです

僕は今、セミリタイア中なので、全然忙しくなんかないのですよ。
作業も、運用案件の更新作業が定期的にあるくらいだし、もう1年近くも対面ミーティングには出席していないので、カレンダーは、ほぼ真っ白なのです。

ただ、もしカレンダーが埋まってたとしても、どうにか融通をつけて、本当に出席したい会合や食事会には参加します。
忙しいか、忙しくないかという問題ではないのですよ。

それと、字面から来る印象かもしれませんが「忙しいの?」って尋ねられると、「テンパってるの?」って言われたくらいのインパクトありません?
「忙しそうで羨ましいですね」という褒め言葉をあまりポジティブに受け取ることができなかったりするのですよ。

昔どっかで「忙しいとは、心を亡くすと書きますな」って、CMかなんかで誰かが言ってませんでしたっけ? ググってみたけど見つかりませんでした。
でも「忙しいとは、心を亡くすと書く」みたいなタイトルの記事はいっぱい出てきますね。
結構こんなふうに思ってる人、多いんでしょうね。

でも「今、忙しい?」って聞かれて「忙しいとはなんだ! オレが心を亡くしてるように見えるのか? 『ご予定いかがです?』って聞け」みたいな返しをすることはありませんが、小さくイラっとはしますね。

シンプルなことが気になって仕方ない

大なり小なり、職業に関わってる人って、シンプルなことに気が行ってしかたなくなることってあると思うのですよ。ちょっとメンドくさい感じにはなるんですが、職業人としては必要なことだったりするんですよね。

巨匠っぽい人が「この線をひくために、一生を費やすんですよ」って言ってる感じのアレですね。

ちょっと話は飛びますが、僕はデザイナーを生業にして30年が過ぎていますが、美術教育は請けていないのですよ。体育学部卒なのです。
で、その体育学部に入学仕立ての頃、「正しく歩く」って講義がありましたね。「基礎運動」だったか? 陸上関係だったか? 特論系のやつだったか…?
もう40年近く前のことなので、すっかり忘れましたが「100m何秒で走るぜ」とか「垂直跳びでバスケットリング両手で掴むよ」みたいなヤツがゴロゴロ集まってきてるような学校ですよ。
「どんな高度なことをやらされるんだろう?」と期待と不安がないまぜになった状態で「ちゃんと歩けるようになろう」ですからね。ちょっと面食らいました。

ただこれ、結構難しかったんですよ。
今でも街を歩いてて「あれ? なんかバランス悪いな」って思い始めちゃうと、ずっと気になって仕方なくなっちゃいますね。

飲み会とかで話すときには、ちょい盛りして「最初の講義が『歩き方』だったよ」みたいな言い方をします。そうすると、ちょっとウケがいいんですよね。
決して「最初の講義」ってワケじゃなかったですけどね。でも入学して間もない頃だったことは覚えています。

その「シンプルなことが気になって仕方ない」時間が増えたのと、「暇な時間もスケジュールのうちだよな」と思い始めた時期が同じ頃なのですよ。
オッサンになってからです。50代になるかならないかくらいの頃からでしょうかね。

たぶんシンプルなことって、「わかった気」になりやすいんでしょうね。

ホームページの文字色や文字の濃さとか、角丸のバランスとか、ちょっとした吹き出しの形とか、造形的なことだったりをずっと考え続けてることもあれば、延々と作業台の上に置いてあるものの位置を変え続けてみたり、朝ランニングするときのルーティーンを何パターンかイメージし続けてみたり…。

「わかった気」になってるからこそ「あれ? ちょっと違うかも」って思い始めたときのケツの座りの悪さに耐えられなくなってるんですよ。これも、加齢の影響でしょうかね?

シンプルなことが気になって落ち着かないのはどうしようもないので、「暇な時間」を充てて、考え続けることで折り合いを付けるしかありませんよね。
たぶん、ずっと考え続けるんだし、ずっとトライアルし続けるんだと思うんですよね。

ひとつ行動を変えると、いろんなものが連鎖反応を起こして変わってくれるんですが、今の僕にとっては「セミリタイア」がうまくハマってくれたように思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。