「楽しさ成分」を増量させたい。「やりがい成分」も残しておきたい
2019.03.17
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「人となり」を知ろうとするときに、どうしても職業って外せませんよね。職業の中にその人の「得意なこと」「楽しさ」「やりがい」が含まれていると考えられているからなんでしょうね。でも「楽しさ」と「やりがい」のバランスって重要だと思うのですよ。
他人を知るときに「職業」って重要ですよね
かれこれ数年「お仕事は何をなさっておられますか?」って聞かれてないように思います。
最後に訊ねられたのはいつだろう? マンションの管理組合の係の会合だったか、出身地の自治体が催す会合後の立食パーティの溜まり中だったか…。そんなあやふやな記憶しかないほどに遠い過去のことのような気がします。
自分の職業を役割として新しいコミュニティに加わることが多いからなんですよね。
仕事とは関係のない場面でも、デザイナーであることを前提として、新しい人と出会い続けるからなのですよ。
他の人も「○○やってる、誰々さん」みたいな感じで職業名とか、やってる事業のうちの代表的なもので形容されつつ紹介されることが多いですよね。
こういう場合って、個人名よりも職業名で覚えてることの方が多かったりしますね。「ドコドコの誰々飲みのときにご一緒したライターさん、○○関係が得意って言ってた」みたいな感じ。
どちらにせよ、初対面の人の職業を気にすることって、とても自然に行われていますよね。
少なくとも、僕のまわりではそんな感じだと思うのですよ。
所属している部族のルールみたいなものがあるかもしれませんから、一般化できるかどうかは謎です。
ちょっと余談ですが、初対面の人に職業を聞くのって「失礼」ってことになってませんでしたっけ?
その昔、そんなことを聞いたことがあるのですよ。
で、ググってみると、こういう記事を見つけることができました。
この「江戸しぐさ」の中に「三脱の教え」というものがあります。「三」とは「年齢」「職業(肩書き)」「地位」のこと。昔の日本には、初対面の人に相手のプライベートに関することを聞いてはならないというルールがあったのです。
では、なぜそのような教えがあるのでしょうか?
実はその3つのことに人がこだわりを持ってしまうと、先入観でその人を見てしまいがちだからです。国際儀礼でも同様に、初対面の人にこの3つを聞くことは避けるようにと言っています。なぜなら「互いに一人の人間同士として向き合い、その人自身を見る」ことを理想としているからです。
出典:初対面で話題に選んではいけない「3つのこと」とは | なぜ、気配りができる人は出世するのか | ダイヤモンド・オンライン(2019年3月17日現在)
なるほど…。「江戸しぐさは、近年になった創作されたもの」みたいなことも聞いたこともありますし、「国際儀礼って言っても、いろんなあるだろ」とも思いますが、なんとなく理屈はわかりますね。
とはいえ「事実他人の職業聞くよね?」ということなのですよ。
職業が「人となり」に影響すると思われてるんでしょうね
多くの人にとって、仕事が人生のとても多くの時間を締めますよね。そして、仕事によって得た収入で生活を成り立たせています。
感情のコントロールの仕方も、思考の方法も、行動の様式も、仕事で培ったものが生活全般に影響を与えることは間違いないと思います。
みんな職業に多くの要素を求めていて、初対面の人の「人となり」を把握するのに便利だと思ってるってことだと思うのですよ。
なので「職業は?」って聞くことも躊躇しないし、聞かれてもまったくイヤな気しませんよね。
いや…。職業聞かれてイヤな気になる人もいるのかな? うん。このへんはなんとなくの雰囲気で察する必要はありそうですね。場によります、たぶん。「僕は、イヤな気はしない」ということで話を進めますね。
おそらく、その人が「どんなことが得意そうで」「どんなことを楽しいと感じる人で」「どんなことにやりがいを感じるのか」を予測できて、自分との共有点と差異点を確認し合うことで、スムーズに会話を進められそうな予感がするのですよね。
会話の入り口はスムーズな方が、楽しいので話が膨らんで、もっと盛り上がりますからね。
つまり、多くの人が仕事に「楽しさ」と「やりがい」を求めているということなのだと思うのです。
「やりがい」って、いまいちしっくりこない言葉なのですよ
「あなたは何にやりがいを感じますか」って、訊ねられると答えに窮しませんか?
僕は今までの人生の中で、この質問されたことがないように思うのですよ。したこともありません。
当然「やりがい」を感じたことは何度もあるのですよ。幸福感を得るためにとても重要な要素だと思います。
でも「やりがいって何だっけ?」と問い直すと、いまいち実体を把握できていないのです。
「好きなことをやっている」「やりたいことを見つけた」という感情は「やりがい」に直結するような気がしますね。ほかにも「高い収入を得られる」「他人から認められる」「自分の成長を感じる」みたいなのも、やりがい要素ですよね。
なんかピントが合ってこないので、ググってみる、と。
やり甲斐
読み方:やりがい
別表記:遣り甲斐
事に当たる際の充足感や手応え、張り合い。過去に行った事について評価する場合は「やり甲斐があった」の他に「やった甲斐があった」とも表現する。
出典:やりがいの意味や漢字 Weblio辞書(2019年3月17日現在)
なのだそうです。
「充実感」「手応え」「張り合い」か…。
これって「求める」ものじゃないような気がしますが、いかがでしょう?
何かをやり続けて、成果を得たら、どこかしらから勝手に湧き上がってくるもんなんじゃありませんかね?
最近、ネット上の記事やSNSなどで「やりがい搾取」という言葉に出会うことが多いのですよ。
「好きなことをやってるんだから、給料安くてもいい」とか、なんでもかんでもすぐに「ボランティアを募集しましょう」っていうイベント関係者とかですね。
(※ここまで書いて、既視感あって過去記事検索したら「デザイナーの収入。好きでやってるんだから低くてOKなワケないよね」って記事を書いていました、ご参考に)
多くの人が仕事にもとめる「楽しさ」と「やりがい」って、実は相反するものじゃないかと思うのですよ。
そのうえで、成分として両方必要だし、2つでバランス取り合ってるし、と。
たとえば「楽しさ100%・やりがい0%」って、たぶん苦しいですよね。
ものすごくお金持ちになったとして、ずっと「美味しい」「楽しい」「気持ちいい」ばかりをくり返していても、誰から(自分からさえ)も行動の価値を認められなければ、辛いと思うのです。
逆に「楽しさ0%・やりがい100%」。こっちは簡単に想像できるんじゃないでしょうか、ただ苦痛なだけだと思います。
継続できるから「楽しさ優先」ってことにしよう
前述の通り僕は、やりがいを「何かをやり続けて、成果を得たら、どこかしらから勝手に湧き上がってくるもん」だと感じているのですよ。
最初からやりがいを求めても仕方ないし、持とうと努力したり、見つけ出そうとするようなものでもないように思っているのです。
なんかしらの「得意なこと」「楽しめること」を継続してればいいんじゃないでしょうか。
「やりがいのあること」よりも「継続できること」の方が重要だと思っているのです。
「やりがい」を追求していくと、どうしても訓練・トレーニングの要素が強くなると思うのですよ。
それは「楽しさ」を阻害するし、補強もするのですが、楽しさを失うほどこだわってしまったら意味ありませんよね。
「結局、バランスだよね」みたいな陳腐な答えしか導き出すことができませんが、ずっと悩み続けている課題ではあるのです。
でも、50代半ばまでデザイナーを続けてこられて、少しの反省も含めつつ、なんとなく思うのは、
- もっとも大切なのは「継続」
- やりがいなんて後からついてくるから、楽しさ優先でいいんじゃない?
- キツくなったら、やりがい成分減らして、楽しさ成分増やせ
みたいなことでしょうかね?
楽しいときには勝手に手が動くし、手が動けば「やりがい」っぽいものが生まれてくるのですよ。
なので「やりがい」を基準に、やるかやらないかを決めるの、やめましょう。
僕がこのブログ内で「労働を生産的な趣味にしたい」などとくり返し書いているのは「楽しさ成分を増量させたい、やりがい成分もちょっと残しておきたい」ということなのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。