働き続けるリスク
2019.03.25
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ずっと考えてるのは「フリーランスの老後」なのですよ。「働き続けること」にも「働くことをやめること」にも、どちらにもメリット/デメリットがあるんですよね。結局「ユルめに、ダラダラと、好きなように」働きたいし、それで収入を得たいのです。
そろそろ怠けたいのです
僕はフリーランスなので、定年という概念がないのですよ。個人商店のジイちゃん・バアちゃんと同じなので、その気になれば「死ぬまで働く」という選択肢がありますし「もうやめた。明日から無職」ということも可能なのですよ。
なので、多くのフリーランスにとって「いつまで働く?」は、とても関心の高いテーマだと思いつつ、なかなかこういう会話になりませんよね。
僕は今、50代半ばなのですが、50代に差し掛かったことからでしょうか、ずっとこのことについて考え続けています。
40代の頃は、ホントに「死ぬまでデザイナー」って思ってましたもん。
有名な「葛飾北斎に脂が乗ったのは、80代になってから」みたいな逸話も好んで使ってましたね…。
後述しますが、48歳のときにパニック障害を発症したのですよ。
その体験がちょっとした転機になりました。「こりゃマズいな」と感じ始めたのですよ。
僕が今、このブログでずっと書いている「セミリタイア」とか「長期休暇」とかをなんとなく考え始めたのがこのあたりです。
生涯賃金を最大化するなら「死ぬまで働く」が一番いいんでしょうね。
でも、50代になったあたりから「働くリスク」を考え始めるようになったのですよ。
お金は欲しいに決まってるのですが、最大化を狙う必要はないように思い始めたのですよ。
将来怠けるために、頑張って働いてきた部分ありますからね。
「そろそろ怠けていいんじゃないか?」「テキトーに働いて、テキトーな収入得る体制に変えたいな」なのですよ。
パニック障害を発症したとき
前述のパニック障害。前兆を自覚できたのは2・3日でしょうか。
あとになってから「そういえば」ってのは、長期間にわたって、幾例もありますけどね…。
日没とともに、寂寥感とか焦燥感を感じながら、心臓がバクバクする症状を感じて「なんか変だな」という日が2日程度。その次の日には、ほぼ日没時に脂汗ダラダラ流しながら、何がなんだかわからない精神状態に陥って、救急車を呼んだのです。
怖かった。
体力なら「ダイエットしても年々スカっと体重おちなくなるな」とか「徐々に老眼進んで、どうしようもねえな」とか、老いとともに徐々にやってくるもんなんですよね。
ところがメンタルは急ですよ。ほぼ「ある日突然」みたいな印象です。
「自覚してから対処するとか、絶対ムリだな」と思いました。
なんでもないときに「ユルむ」「休む」が必須ですね。
余談ですが、このパニック障害。ホントにパニックになって、救急車を呼んだしして大騒ぎしたのですが、この日を境にタバコをやめました。
ホントに病院から帰ってきたら、吸えなくなってたのですよ。
「ヤニ切れ」はしますから、加えて火をつけるのですが、吸えないのです。毒にしか感じなくなって、それっきり完全禁煙できました。
働き方の改善
「働くリスク」を考えたら、当然「働かないリスク」も考えるのですよ。
「引退(=アーリーリタイア)」ですよね。とはいえ、僕が社会人になったとき、定年って55歳のところが多かったような気がします。なので、今僕が引退しても、なんにも「アーリー」じゃないんですよね。
「完全リタイア」もリスク大きいような気がするのですよ。
まず、お金問題ですよね。
現状、不動産を賃貸に出したり、金融資産を取り崩し運用始めることで、なんとか最低限の生活はできるのですよ。10年経てば年金も受給できるし。
東京を離れて山口県萩市に移住しようとしてますから、そこでは平均的な生活はできると思うのです。
でも「もう少し余裕が欲しいな」という欲はありますね。
たぶん、生活には困らなくても「収入がない」ことにストレスを感じることになるでしょうね。
そして、承認欲求ですね。
僕、大学は体育学部を選んだし、職業はデザイナーだし。たぶん、身体や手を動かすことで発したパフォーマンスに対する承認欲求が強いのですよ。
そのワリに、褒められるとか、コツを聞かれるとか、そういうのウザいのですよ。
「当然のようにポジションを与えられる」とか「定期的に指名発注が来る」くらいの感じを心地よく感じる性質がありますね。
これを満たされないのも、ストレスの原因になりそうです。
どうやら「お金」と「承認欲求」を微量でいいから確保する必要がありそうだと思っています。
「働く」ということは、
- 他人のために自分の時間を提供する
- ものを作る
のどちらか、もしくは複合だと思っているのですよ。
僕はなんとなく、前者から逃れて、後者のみを残すイメージで考えています。収益化はあとでいいし、最小限で構いませんからね。
ざっくりしたイメージとしては「サイト作って、一定の来訪者を集められて、そこそこの広告収入得られる」くらいの感じがベストだと感じています。
「ちょっと工夫したら、もう少し増えた。うれしい」「良かれと思った施策が、失敗した。悲しい」をくり返しながら老後を過ごしたいのです。
たぶん途中から、今のWebサイトじゃなくなっちゃうんだろうけど、変化に対応できなくなったら終わりかな…。
そのときはそのときで、また今みたいな状態からはじめようと思います。
その前に、とりあえず休む
僕が大学のときに所属していたバレーボール部、休みのことを「レスト」って言ってました。
「単なる『練習がない日』なんじゃなくて『休養する日』だよ。休養も練習だよ」って意味合いだったのですよ。監督もよく「いい練習、いい栄養、いい休養」って言ってましたね。
でも、合宿所暮らしですから、下級生なんて雑用に追われて、なかなか「休養」にならないんですけどね。
こういうの、社会人になると忘れてました。
競技者時代と違って、身体を動かさないから、疲労を感じないんですよね。疲労の質が変わっただけで、気づけなかっただけなんですけどね。
でも、オッサンになると身にしみてわかるのですが、定期的に休めばどうにかなるようなもんじゃないような疲労も貯まってるのですよ。
ストレスとか、更年期障害とか、そういったもんなんでしょうね。
正直、どうやって解消したらいいのかわかりません。
なので、これまでの人生で体験したことないくらい長期間休んでみようと思っているのです。なので、最低1年間以上は「長期休暇」を取ろうとしてるところなのです。
これで解消しなかったら「ああ、どうにもならないもんなんだな」と思うことにします。
とはいえ僕の性格上、何も考えずに、一日中ボーッとし続けるって無理だと思います。おそらく、毎日々々何かしらを考え続けることになると思います。それならそれでいいかな、と。
たぶん、何かしら手を動かしはじめるだろうし、それらのことをブログに記録し続けるだろうし、思いついたサイトのワイヤーフレーム作ったり、コーディング始めちゃうかもしれません。
でも、気が向いたままにすすめてみることにしようと思います。
こんな感じが、自分の想定してる「長期休暇」です。
なんとなく「働き続ける」も「働くのをやめる」も両方ともリスク要因を含んでいるのですよ。
結局、このブログの色んな所で書いている「生産的な趣味」ってところで折り合いをつけることになるのですが、いろいろ考えたり、試したりを続けながら、ダラダラと考え続けることにしますし、このブログに記録し続けることにします。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。