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○歳定年説とか、限界説とか

2019.03.31

こんにちは、萩ドットライフ()です。

中高年を対象にしたリストラ実施のニュースを聞くことが多くなりましたよね。僕らフリーランスは以前から「40歳限界説」みたいなことを言われていたのですよ。「中高年の価値って下がってきてるよね」みたいなことを書いてみようと思います。

「サラリーマン45歳定年説」みたいなこと?

去年くらいから、多くの大企業が続々と希望退職を募る、いわゆるリストラを発表してるというニュースを目にするようになりましたよね。
しかも、申し合わせたように45歳以上の中高年社員にターゲットを絞っているようです。

反対に、新卒者の就職率は高くて、売り手市場だと。
どこの企業も「若返りを目指したい」というのが本音なのでしょうね。

たぶん、オッサン・オバサンの価値が低下してるのですよ。

僕はフリーランスのWebデザイナーなのですが、ずいぶん前から「フリーランス40歳限界説」みたいなのを聞いてましたもん。
その他にも「プログラマー35歳定年説」みたいなのも聞いたことがありますし、終身雇用を前提としていない業界では、少なからずありえる話なんじゃないでしょうかね。

当てはまらないケースは、山ほどありますよ。
僕は、現在50代半ばなので「フリーランス40歳限界説」を15年も超えてますから。
しかし、周囲を見渡しても、あまりおっさんデザイナーと出会わなくなったのも確かなのですよ。あまり「あの人、どうしてる?」とか聞くことはしませんから、その後、どういう人生を送られているのかは謎なのです。

そういう僕も、1年前から完全リモートワーク化しているので「姿を見なくなった人」化していますが…。

サラリーマンも「45歳定年説」みたいな感じなのかもですね。

これって「オッサン・オバサンたいへんだな」ではないのですよ。たとえば、30歳の人ならば、15年後の自分の姿なのです。
もちろん、例外は山ほどあるでしょう。たぶん、まだ「定年まで働かせてもらえる」会社の方が多い時代は続くのかもしれません。それでも「自分は45歳でリストラされるかも」というイメージは持たなきゃいけない時代に来たように思います。

オッサン・オバサンって組みにくいと思いますよ

「フリーランス40歳限界説」みたいな、以前からある「説」で、言い尽くされているのでしょうが、大きな理由として「オッサン・オバサンとは組みにくい」というのがあるのだろうと思います。
フリーランスであれば「発注してもらえない→終了」というわかりやすい結末を迎えていましたが、サラリーマンの場合は、そうもいかないので経営者がどうにかして早期退職してもらえるように誘導するしかありませんもんね。

その上、政府は企業に対して雇用の延長を求めていますから、45歳時点で「こいつ不要だな…」と感じ始めた従業員を、もう四半世紀も雇い続けなければならないとなったら悪夢ですよね…。

概ね、オッサン・オバサンは、新しいことへのチャレンジを嫌がって、過去の経験則に基づいた現在の手法を取り続けたがるのですよ。
また、新技術や新価値へのキャッチアップが遅いし、これまた嫌がったりするのですよ。
結果、組織のアップデートができなくて停滞する、と。

たぶん「経験」と「知識」の価値が下がってるのですよ。
「○○さん知ってる」とか「こういうトラブル、前にもあったよ」みたいなことが、ITで共有されやすくなってるし、ものすごく短い期間で陳腐化してしまう時代になっているのだと思います。

もちろん、それでも人間関係や枯れた技術、過去の価値観の思い出しを要する場面は残り続けていると思いますが、そういう場面で必要とされるオッサン・オバサンは微量で用が足りるのですよね。

その上「年上」とか「社歴長い」とか「会社内でのポジションが高い」などで、威張ってたりするのですよ。
当然、経営者が中高年従業員を見る目は厳しくなりますよね。

50歳超えてフリーランスやってる僕がやってきたこと

前述の通り、僕はフリーランスなのでサラリーマンのことをよく理解できていないのですよ。
なので、普段はあまり「サラリーマンの働き方論」に口出しすることはないのですが、最近の45歳以上をターゲットにしたリストラのニュースを見て「もしかして、サラリーマンもフリーランスに近くなってきてるのかな?」という気がしてきていたので、どうにかして共通点っぽい部分を抽出してみようと試みています。

僕が「フリーランス40歳限界説」を聞いたとき「そいうのって、気にする必要ない。定期的に自己研鑽を積まないヤツがフィルタリングされてるだけだから」と感じていました。「年齢じゃないよね、毎日の積み重ねだよね」と。

これが全てだとは言いませんが、僕、50代半ばまでフリーランスでメシ食えているので、たぶん正解のひとつなのだろうと思います。
この辺のことは「50代フリーランスの市場価値」で、なんとなく自分で思ったことを書き連ねています。

あと、仕事中に発生する「普通のこと」に気を配ることって大切だと思うのですよ。
以前投稿した「何歳になってもコンプレックスを克服できない」という記事で書いた、

たとえば「即レス対応」なんかもそうです。もともとは、意図的にやってたんですよね。
ちゃんと美術教育を受けていないデザイナーだというコンプレックスがあったから「反応が早いデザイナー」だと思われたかったし「クライアントの相談に軽く乗る」「一緒に調べ物に付き合う」デザイナーだと思われたかったのですよ。

同様に「電話口で笑ってる」とか「ミーティング中、楽しそうにしてる」みたいなのもですね。

当然、問題解決に対する思考も、ビジュアルを作り込んでいくスタイリングも「少しでもレベルの高いものをアウトプットしよう」と思っていました。

みたいな感じのこと。
「ちょっとだけみんなより自己研鑽するし、なんてことない場面で気を使う」「そしてそれを、継続する」そいいうことで、ずっと居場所を作り続けてこれたのかな、という気がしているのです。

自分が望むタイミングで去ることにするよ

僕は今「フリーランス55歳。もうそろそろいいんじゃないか?」と思っています。
すでに、新規案件の受注を停止してセミリタイア生活に入っているし、このまま長期休暇に突入することにしているのです。

いったんデザイナー業をやめて、また何かの初心者になろうとしているのですよ。
長年染み付いた職業スタイルだったり、思考様式だったりするので、デザイナーをやめてもデザインはやりつづけることになると思います。

「○歳定年説。限界説」を超えて職業人で居続けることは、人生設計の上でも承認欲求を満たす上でも、とても大切なことだとは思いますが、ずっとしがみつくのも「楽しくない」と感じているのですよ。
いずれどこかで最後は来ます。ならば自分のタイミングで去りたいですよね。

リストラされたサラリーマン。発注が来なくなったフリーランス。どちらも失意のうちにフィールドから去ることになります。
定年退職で去る人も、それが本人が望むことなのかどうかは、誰にもわかりません。

僕は「フリーランス40歳限界説」を信じて、「自分は例外になろう」と足掻いたように、昨今よく見聞きするようになった「人生100年時代」という言葉も真に受けているのですよ。
「そっか、75歳とか80歳まで働くことになるのか。ならば今、動くことにするか」と考えているのです。

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