余力のあるうちに人生を軌道修正しよう
2019.04.10
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。大きく人生の軌道修正をしようとしている時期なのですよ。これまでもずっと、自分の型をメンテナンスし続けては来ましたが、いろんなものをリセットして整理し直したいのですよ。心身ともに余力のある今のうちにやるのがベストだと思うのです。
自分の型を持つ
何かが上手く行ったときの手段って、意図的に何回もくり返しますよね。成功体験が自分の中に「型」を作ってくれるのですよ。
「型通りのことしかできない」は、能力が低い人に使われがちだし、「型破り」は、天才とか有能な人を修飾する言葉だったりしますが、決して舐めちゃいけないものだと思っています。
あらゆる場面において、状況は均一ではありませんし、管理することが困難なのですが、唯一自分だけが管理可能なのですよね。
わかりやすいのが、最近スポーツの世界で使われている「ルーティン」ってやつですね。
昔はもっと、おまじない的な意味合いの強い「ジンクス」っていう言葉が使われていましたかね、試合前に決まったメニューを食べるのも、靴は左足から履き、シャツには右手から通すのも「縁起をかついでるのだ」と。
おそらく同じ効能を狙ってたのだと思うのですよ。「違和感の発見」ですよね。
毎回、同じ動作をすることで、自分の中にいつもと違うところがあれば、それを察知したいのですよ。認識できないと修正作業ができませんからね。
そして、それが日常だったり、何度も経験してきた場面と同じ精神状態を作り出すことにつながるので、いつでもどこでも、自分の想定する水準のパフォーマンスを発揮することができるのですよね。
「型」と呼ぼうが「ルーティン」でも「ジンクス」でも、なんでもいいのですが、上手くやれるためのサポートになる動作って、習慣化するのですよ。みんな「うまくできる手法」を手放したくありませんからね。
無意識に自分の中で決めごとを作って、それに従って行動しているのですよ。
だから、突然電話が鳴ったり、宅配便の配達員がインターホンを鳴らすと、イラっとするのって、型を妨げられるのが不快だからなんですよね。
なので、僕は「自分の型を持つということは、いいこと」だと思っています。
意図的に変化を作る
「型」は、自分の目的の達成のためのよき手助けになりますし、毎日の生活リズムを作ってくれて、健康的な生活を送ることができるという効能もあるのですが、一度、習慣化した「型」を原理主義的に守り続けることに関しては、違和感があるのですよ。
前述の通り、あらゆる場面において、状況は均一ではありませんし変化し続けているのですよ。
環境の変化だったり、技術の進歩だったり、世相に応じて、自分の管理体制を定期的に見直す必要があると思っているのです。
「型遅れ」という言葉があるように、自分の型は、そのうち役に立たなくなっていくものだと思うのです。
恐れるべきは「自分の変化」じゃなくて「まわりの変化に対応できないこと」なのですよね。
失敗しても構わないから、意図的に変化を作るべきだと思っているのですよ。
僕はフリーランスになって20余年、途中で細かい危機はありましたが、おしなべて順調だったのですよ。
もともとアスリート出身でしたから、なんとなくの「型」の存在には気づいていましたし、うまくアップデートしてこれたとも感じています。
ただ「そろそろ、型そのものを見直す時期かな」と思っているのですよ。「ちょっと遅れたかな」とさえ思っています。
今は、新規案件の受注を停止してセミリタイア中。半年程度が経過したところなのですが、それまでは発注が途切れたことはなかったのですよ。
「50代に突入して、ずいぶん経つけど、切れないねえ」と喜んでいたところだったのですよ。
だからこそ「順風な今、変わっといたほうがいいな」と思ったのですよ。
不調になってからものを考え始めると、現状にしがみ付こうとしますからね。
それで今「セミリタイア」だし「長期休暇」だし「デザイナーやめる」ということになっているのです。
余力のあるうちに変化しよう
正直、自分の中にも迷いはずっとあって、一度は決断したものの、正当化し続けたり、決断に至るロジックにさかのぼって微調整を加え続けたりしているのですよ。
どうしても「もらえるはずの仕事、断るってバカ?」「行けるところまで行けばいいじゃん」みたいな考えは浮かんでは消えていきますからね。
ただ僕は「余力があるうちに、次の自分に変わる施策を打とう」ということに決めているのです。
例えば熱中症。
「アレ? 体調おかしいな」と思ってから水分を補給しても遅いのですよ。すでに脱水状態になっていたり、急速に意識の混濁が始まっていて、正しい判断ができなくなるのですよね。
それと同じことだと思うようにしています。「変わらなきゃ」って思ったときは手遅れだと思うのです。
特に僕は50代半ばですから、このへんの感覚がニブってることを自覚しているのですよ。
先日投稿した「仕事をやめた後のこと」で「とにかく、いろいろやってみる」と書いた通り、好きなこと、やりたいことの再確認と、新しい「型」の構築みたいなことを数年かけてやってみたいと思っているのです。
「60代になったら、そんなことムリだろ」と思っているのですよ。
10年後「70代になっちまったら…」って言いながら、今と同じことをやってるかもしれませんけどね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。