継続することの価値
2019.04.16
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。僕は「継続の価値」を信じてるのですよ。継続しても報われないことだってありますし、悪い習慣につながることもあります。それは継続の先にある成果をイメージしつつ、継続の方法を微調整しつづけて始めて「価値」たりえるものだと思うのですよ。
継続は力なりという言葉があるように、何かを継続したことでひとつの成果を出した体験をしたことがある人は「継続の価値」を実感します。
何かを継続したからといって、成果を得られるとは限りません。ただ、成果を得ようとすると、努力なり行動なりをし続けることが必須なのですよね。
あくまでも、継続は成果を得るための必要条件であって、十分条件ではないのですよ。
まずは、継続してみる
成果を得るためのショートカットなんて、どこにもないのですから、とにかくまずは継続してみるしかありませんよね。
「こんなこと、やっても意味ない、ムダ」と思って、やめてしまったら、そこで終わってしまうのですよ。
よく「努力する才能」という言葉を聞きますが、僕は「才能なくても、自己管理でどうにかんるんじゃないかな?」と思っているのですよ。
例えば、僕の生活を支えてくれているデザインにしても、もともと豊かな才能があるとは思っていません。
ただ、ずっと努力や学習をずっと継続してきたという自負はあります。
その成果が輝けるものだっかたどうかは謎ですが、50代半ばまでフリーランスのデザイナーを続けることができ、「ここで一旦デザイナー業をやめて、ゆっくりと次の人生を考えよう」という考え方を支えてくれる程度の資産を築くことができましたので、おおむねヨシということにしています。
僕は「継続の価値」を信じてるのですよ。
ずっと何かをやり続けてもダメなことだっていくらでもあるのです。報われることは誰も保証してくれないのです。それでも、どこかで腹をくくって、自分を信じ続けるしかないんですよね。
これって「信仰」みたいなもんなんです。
僕は「真面目な怠け者」なのですよ。
なにかの理由で、ちょっと間が空いたら自分を許せなくなって、それをやめる理由にしてしまうのです。
キツいことが嫌いなので、なんだかんだと理由を付けてやめてしまうのですよ。
そのくせ「努力を楽しむ」みたいな工夫もしないのです。
一旦、継続を目的化してみる
後述しますが、継続を目的化すべきではないのです。
ただ、これまで僕がたどってきた道を振り返ってみると「一旦、継続を目的化してみる」という工程を作ったほうが上手く行ってるような気がするのですよ。
努力なり学習を「習慣化」するまでの過程ですね。
一旦、習慣化してしまうと、やらないほうが気持ち悪くなってくるのです。そうなると、継続は容易になりますね。
特に、楽しくもなく、ツラくもなく。淡々と継続できるようになる気がします。
とりあえず「しばらく成果なんて得られるわけがない」と決めて、継続だけを目的化するフェーズを作るのですよ。
何かを始めたばかりの時期に設けるフェーズですから、ただ継続しているだけでも、何かと学習することが多くて、意外と虚しさを感じないものなのですよ。疑似達成感みたいなものが得られて、ちょっと充実するのです。
その期間に、継続しやすい時間や場所、タイミングを調整すると、どんどん継続することがラクになってきますし、少しずつ継続が習慣化しつつある自分が好きになっていくのですよ。
先日投稿した「余力のあるうちに人生を軌道修正しよう」で書いたように「型」とか「ルーティン」みたいなものができていくんですよね。
そうして習慣化すると、あとは淡々と継続できるようになります。「仕組み化」ってやつですね。
結局、求めるものは成果なんですけどね
何かを継続することを習慣化すると、いくつかの弊害もあると思っています。
その中のひとつが「継続が目的化してしまうこと」ですね。
いつしか「継続が習慣化したのだから、そのうち成果は出る。焦らなくてもいい」という考え方になるのですよ。思考停止ですね。
継続というものは、あくまでも過程なのですよ、成果ではないのです。
もちろん、過程は非常に重要です。僕は「成果よりも過程のほうが重要」だと思っているのですが「成果をイメージした上での過程」が重要なのであって、過程そのものを目的化しちゃダメだと考えているのですよ。
「継続は力なり」は、目的を持った上で、行動を正しく補正続けることを「継続」しないと「力」にはなってくれないのです。
一定期間継続してみて成果が出なければ、継続の仕方を見直すべきなのですが、継続が目的化していると、なかなかそういう考えに至らなくなっちゃうんですよね。
また、僕の場合は長い間、ブラック労働が習慣化してしまいました。
現在は、新規案件の受注を停止して、セミリタイア期間に入っていますので「今から思えば…」なのですが、我ながらひどい働き方をしていたと思います。
「起きてる間はなにかしら、仕事のことを考える」ことが習慣化していたのですよ。
これは特に弊害になることとも思えず、職業人にはこういう習慣が身についてる人って多いんじゃないでしょうかね? それがいつしか、ずっとPC前に陣取り、手を動かし続けるようになっちゃったんですよね。
そうなっちゃうと「乗ってきたから、ここまでやろう」とか「まだ眠たくない」「明日の朝一にプレビュー出したい」など思うようになり、結局「起きてる間ずっと働いてる」みたいな状況になってしまったのですよ。
この習慣に関しては、40代後半にパニック障害を発症したときにリセットしました。
余談ですが、このパニック障害発症の翌日から、これまで何をやってもやめられなかったタバコが吸えなくなりました…。以降、1本も吸ってません。
別に禁煙をするつもりではなかったので、何度か吸いたくなって買ったのですよ。でも、1本目に火を付けて吸い込んだとたんに「あ、ダメだ」となって、ひと箱まるごと捨てる…を2・3度繰り返しましたが、結局そのまま完全禁煙してしまいました。
話を戻します。
結果、継続することには価値があります。
継続できなければ、何もはじまらないのですから。
でも、継続の仕方には常時、気を配るべきだと思います。
一定期間、成果が見られなければ、方法を見直すべきだし、状況を悪化させる習慣であれば、あっさりと停止する勇気も必要だろうと思うのです。
そのためには、継続の先に得られる成果を常にイメージできているかどうかを、自問自答しつづけることが大切なのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。