動きながら考える
2019.04.17
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「動きながら考える」ということをオススメしたいのですよ。簡単に言えば「やり直しOK、とりあえずやっちゃえ」という意味でありつつも、それは決して、事前の戦略立案や、要所々々での軌道修正をないがしろにするものではないのです。
萩の作業場にいるときも朝ランの習慣は欠かしません。今ご覧頂いている「萩ドットライフ」のロゴマークにもなっている、萩市のランドマーク「指月山」を臨む風景を眺めつつランニングを楽しんでいます。
萩ドットライフのロゴマークをご覧いただくと、山の麓に海と浜が描かれていますように、指月山は海に突き出た山なのです。麓の浜は、菊ヶ浜といいます。
この菊ヶ浜沿いを走るのが、萩での朝ランの一番の楽しみなのですよ。
先日、この菊ヶ浜沿いを走ってたとき、たまたま朝の散歩中だった知人と出会い、ちょっと立ち話をすることに。
聞くと、僕の仲の良かった同級生が「市役所を辞めた」と、あと5年もせずに定年退職なのですが、定年まで待たずに退職したようです。
しばらくゆっくりしたあとは海士(あま)になるようです。
本人と直接会って話したわけじゃありませんから、想像でしかありませんが「5年が待てなかったんだろうな」と思うのですよ。
僕が今まさにそんなタイミングで、カラダの利くうちに二段目のロケットエンジンに着火したいのですよ。
ほかの同級生たちが定年するころ、自分は別の職業についてて「脱ビギナー」くらいのポジションにいたいとか考えちゃうんですよね。
「なんかしら、そういう年頃なんだろうな」と感じた次第です。
まずはスタート切れ
ものすごく当たり前のことですが、決断って「スタート」ですよね。「ゴール」じゃありませんよね?
こうやって言語化してみると、みんな頷いてくれると思うのですよ。
ところが、実際は決断がゴールであるかのごとく振る舞うことってあるんですよね。
他人がそうなってるのを見て、イラっとすることもあれば、自分もそうなることがあります。
何かを思考し始めちゃうと「決断するために、アレが足りない、ここを確認した。まだ早い」ってなっちゃうんですよ。そういう状態に陥ると、決断が「到達するもの=ゴール」みたいに思えてきちゃうんですよね。
そういうときは、一旦考えることをやめます。ふりだしに戻るのですよ。
そして再度「決断はスタートだから」というところから始めることにしています。とにかく「始め方」だけを考えるのです。
「決断は何回もやり直すに決まってる、っていうか毎日見直す」と、決断の可逆性を再確認することにしています。
簡単に言えば「やり直しOK、とりあえずやっちゃえ」ということなのです。
こういうのって、なんでもそうなのですよ。
たとえば「デザイナーってどうしたらなれます?」って聞いてくる人がいたとして、その中で、なられる人って、もう何かしら作品があったり、友達のショップのロゴとかメニューとか作ってたりするもんなんですよね。
頭の中で妄想ばかり繰り返していても、何も前に進まないのですよ。
失敗してもいいから「動きながら考える」が一番だと、僕は思っています。
軌道修正をためらわない
動き出すと、景色が変わってくるのですよ。
何かをやり始めるとき、当然、自分は初心者なので先行者よりもはるかにパフォーマンスが低くて、何をやっても満足いかない結果になることに決まってるのですよ。
「あれ? こんなはずじゃなかった」と思うことの連続です。
「オレ、こんなにヘタクソなんだ」が最初の感想だったとしても、それは新しい発見なんですよね。
少しずつ「ヘタクソである理由」を解きほぐして、一つひとつ解決していけばいいし、その過程で、次々と新しい発見をすることになるし、考え方もどんどん変わっていき、向き合っているものの解像度が急速に高まっていくのですよ。
決断までに長い時間をかけて、不安点をすべてツブしてから動き出すよりも、ずっと効率的なはずです。
「知ってる」と「やってみた」は全然違うのですよ。
アタマでわかったつもりでも、行動してみると、予想外のことが次々と起こってくるものなのです。
これは「やってみた」を経ないとわからないことなのですよ。
だから動きながら、学んだことを少しずつ軌道修正して、また行動する、という繰り返し続けることになるのですよ。
最初に「やり直しOK、とりあえずやっちゃえ」という決断から始まっているので、軌道修正に関しても、気軽に試してみればいいと思っています。
「最初に決めたやり方だから」と、頑なに最初の方法論を守り続けるのは、あまり良くないんじゃないかな? と思っています。
とはいえ、事前の戦略立案をないがしろにしない
「やり直しOK、とりあえずやっちゃえ」は、行き当たりばったりということではありません。
どうしても、動き始めてしまうと自己検証する余裕がなくなりますよね。「動く」に意識が行って「振り返る」「立ち止まる」に気が向かなくなってしまうのですよ。
20年以上フリーランスのWebデザイナーをしていた僕は、50代半ばになってようやく「立ち止まって」「振り返って」いるのです。
あとから考えると「軌道修正したほうが良かった」「すべきだった」ポイントっていくつかあったんですよね。でもそのときは、ウッスラと気づいていたものの、見て見ぬふりをしつつ前に進む(=現状維持)を選んでしまいました。それが正しかったのか? 間違ってたのか? は、今となっては検証できませんが「違うパターンも見てみたかったな」という後悔にはなっています。
動き出す前に、そして動き出してからも、要所々々で立ち止まるポイントを作って、検証と計画の見直しをするフェーズを作るべきだと思います。そして、その都度、軌道修正の方法を考えるべきなのです。
「動きながら考える」って、そういうことなのですね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。