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人生の転換期に起こること

2019.04.20

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「今、人生の転換期だな」と感じています。過去にも何回かあります、中には気付かずに見逃したものもあるのかもしれません。このブログにも何度か書いていますが、20余年前に「フリーランスになる」と決めたとき以来の大きめの転換期なのです。

初動はスムーズでした

常に「あのとき、もうちょっと早く決断していれば」と感じるものなのですよ。
何度も何度も悔やんできました。なので、最新の転換期である今回は、以前よりも少し素早い決断ができたと思っています。

今回の決断は、

  • セミリタイア生活開始
  • 1年以上の長期休暇の取得
  • デザイナー活動停止
  • 二拠点生活を経て地方移住

などの「はじめる」よりも「やめる」という性格が強い決断なので、行動に移しやすかったのかもしれませんね。

もちろん「1年以上の長期休暇」を取ったあとに始めたいことのイメージはなんとなく持っていますが、ボンヤリとしたものがたくさんあるだけなのですよ。
「あれやりたい、これやりたい」と言い始めるとキリがないのですが、このへんは、長期休暇中に徐々に解像度が上がってくるものだと感じています。
また、以前「新しい感情」という記事で書いた「心の熾火(おきび)」みたいなものも幾つかありますので、「そろそろ休暇に飽きてきたな」と感じる時期に「やりたいもの」をやることになるんだろうと思っています。
この辺は、いいかげんに処理しているのですよ…。

他人にアドバイスを求められたら「確固たる信念と、しっかりとした計画性を持って」などと言うんでしょうけどね。

むしろ、細かい計算をしているのは、資金計算の方ですね。
ここで一切の受注を停止して収入を失っても、質素な生活をしている限り、なんとか生きていけるということについては、何度も検証しました。
(参考:自前のベーシックインカムを作る

好きだったことから、距離をとりたいと思うようになる

人生の転換期なのですから、そういう決断に至る前に「予兆」のようなものはあるのですよ。
僕の場合は、デザイナーでいることが苦しくなりました。

「興味を失った」とは思いたくないし、仕事であることを除けば、基本、デザインが好きなのですよ。
かつては、デザインでメシを食っていくために夢中になっていましたし、アップデートも欠かしませんでした。なんとか50代半ばまで、ポジションを確保し続けてこれたのですから、感謝もしています。

もちろん仕事ですから、苦痛も面倒も伴うのですが、ガタガタ文句をいいながらでも処理して、乗り越えるのが楽しかったのですよ。

それが、フと気付くと楽しくなくなってきてたんですよね。
今のポジションが居心地悪くなってたのですよ。

「もっとこう、何かしら別の世界があるんじゃねえかな」みたいなことばかりを考えるようになるんですよね。
もしかしたら、僕自身のステージが上がって、次のフィールドを求めているのかもしれませんし、人生折り返しちゃってますから、単純に生き焦っちゃってるだけなのかもしれません。

いっときネガティブな気持ちになりますよ。
だって、やる気が起こらないし、「なんだか、メンドくせえな」って感じながら作業を続けてるんですもん。「ダメだオレ、ヤキが回ったわ」って何度思ったことか…。
今でも、新規案件を請けなくなったことを説明するときに「僕もそろそろ、ヤキが回ってきちゃいましたからね」という表現を使ったりもします。

なんか、ちょっと楽しくない、足踏みしてるような感覚が「人生の転換期の予兆」としてあるようです。

心地よい方に歩き出す

とにかく、生活の中のいろんなことを変えたくなるのですよ。
今回の僕の「人生の転換期」は、「休む」ということに重きを置いているのです。
なので、仕事をやめたり、移住したりしようとしているのですが、その他にも様々な症状が出ているのですよ。

まず、身なりが変わりました。
完全リモートワークで働いているので、人前に出ることがなくなったこともありますが、基本ユニクロしか買わなくなりましたね。
靴は、アシックス。ランニングで使って、カカトが削れたものを普段履きにしています。
今、普段着よりもランニングウェアの方が高いの買ってます。
この冬は、ずっとベンチコートで済ませました。

人付き合いも変わりました。
仕事、プライベート関係なく、つまらない飲み会への参加を断ることに躊躇がなくなりました。
「付き合い」という概念がだんだんと薄れてきたように思います。
仕事上、案件が公開した後の「打ち上げ」は大好きですが、親睦会的なものには参加しなくなりました。「新しいことを始めるよ」という人を囲んで少人数でやる作戦会議的な飲み会には、何を置いても参加しますが、同窓会への参加は、ちょっと躊躇します。

そうした方が快適なのですよ。
傍から見れば、着るものはダサくなってるし、人付き合いも悪くなってるので、「ヤキが回った」と思われても仕方ない状況なのです。

僕は今、東京と山口県萩市を行ったり来たりの二拠点生活をしているのですが、特に人と会うことを目的としていません。
場所を変えたときの、ちょっとした環境の変化が快適なのですよ。
朝のランニングの景色の違いが心地いいのです。

自分が心地いいと感じる方へ歩き出してるのですよ。
意識的にやってるときもあれば、無意識のうちにそうなってるときもあります。

現状維持が不快に感じるようになってるのかもしれませんね。

気楽に動いてみたほうがいい

仕事をしなくなったり、人と遊ばなくなったり、服装がダサくなったり、全般的にネガティブな感じに仕上がっています。

でも、生きるエネルギーは増してる気がするのですよ。
たぶん、その大部分は「人生の転換期」を経た先の、新しいフィールドに向いてるんでしょうね。
そういう気がします。

思い起こすと、30代半ばでフリーランスになったときも、そんな感じでした。
当時、転職ブームだったこともあり「ちょっと環境を変えたい」と思ったり、ずっとつるんでた集団がすごくつまらなくなったのが「予兆」だったのですよ。

もともと、社会人になるときに就職先の社長面接で「僕は10年後に自分の会社を持つことを計画しています」って言って入れてもらったんですが、それを思い出して実行に移すことになったのは、この「予兆」から始まってるのです。

結果、僕はフリーランスになって良かったと思っているのです。
(参考:今のところ、フリーランスになって救われてる

たぶん「人生の転換期」って、最初は「なんか最近、つまんないな」みたいなことから始まったりするんじゃないでしょうかね?
「最近つまんない」のは、ちょっとずつ視野が広がってきて、次のフィールドがぼんやりとイメージできるようになってきたからだと思うのですよ。

「今が辛抱だ」を否定する気はありませんが、同時に「今が動きどき」ってことだとも思うのですよ。
過去に何度か、人生の転機に気づかずに辛抱してしまった「最近つまんない」もありますが、「今が動きどきだ」って感じて、行動することを決断したことが、結局いい結果に繋がってるように思います。

悪い結果になったものも、あるのかも知れませんが、それは忘れて「なかったこと」になっちゃってるんですよね。
今のところ僕は、気軽に動いたほうが良かったと思っています。

◆ ◆ ◆

この記事を書いている途中で気づいたのですが、以前「人生の転機は、よきタイミングでやってくる」という、似たようなタイトルの記事を書いていました。
中身は相当違うし、今回の記事との整合性も取れてない箇所もありますが、ご容赦を。

「いつも同じようなことを考えてるし、考え方は少しずつ変わってる」ってことなんですね…。
「人生の転換期」「人生の転機」。どっちのほうが、しっくりくるんでしょう?

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。