努力なんて続かないに決まってる
2019.04.25
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「だから、努力なんてやってもムダ」なんてことが言いたいわけではないのです。成果を出すためには、努力し続けなければならないのですよ。でも「努力」が「努力」のままでは続けられないのですよね。「快楽」になって、ようやく習慣化するものなのです。
「努力」と「し続ける」。僕は「し続ける」の方が大切だと思っています。
「努力」って、どいうしても苦痛とか、強い意思を求められますからね、どうしても逃げたくなっちゃうものなんですよね。
わかりやすいところでいうと「禁煙」「ダイエット」「勉強」などでしょうかね。
何回も「よし、今度こそは」って始めますよね。で、いつの間にかやめちゃってる。
努力は「快楽」に変わらないと続かない
今週のはじめからダイエットを始めることにしたのですよ。
もう何年も、朝ランの習慣を持っているのですが、体重が増加中なのです。加齢のせいでしょうかね、代謝が運動量に追いつかなくなってるっぽいのです。
そのため、ランニング自体に影響がでてきて、ずっと親しんできた8kmコースを走り続けられなくなってきてるのです。途中で、膝が痛くなったり、バテたりでウォーキング区間を設けることが増えてきたのですよ。そのため「10kg程度、絞ってみるか」と決心するに至りました。
とりあえず、すでに運動の習慣はあるのですから「食事」と「酒」で調整することにします。
それと、ランニング前に準備運動的にやってる、腕立て伏せ、腹筋、スクワットの回数をちょっと増やすか…。
それにしても、ランニングは続いているのですよ。
20代・30代の頃は「絞りたくなったら、ランニングを開始する」「3ヶ月間走って、10kg程度減量したらやめる」を繰り返していました。
今のように、年間を通してずっと走り続けてる(頻度は変化しますが)のは、40代後半からです。
もう7・8年続いてることになりますね。
パニック障害の発症をきっかけに、朝型に変わったことも影響しています。
もう「努力」なんてしていないのですよ。でも「継続してる」のです。
最初は「努力」でした。朝起きて雨が降ってると「今日は走らなくていい。ラッキー」などと思っていたのですよ。
それが今は「ダメか…。走れない」とムズムズするようになっています。
好きで走ってるのです。
入り口は「努力」でも、途中で「快楽」に変わることで、継続できちゃうんですよね。
もちろん、最初の「努力」がないと、そのあとの「快楽」は得られないんですけどね。
始めたばかりのダイエット。
まずは、禁酒しました。セミリタイア中とはいえ、まだ運用案件を受け持っているので、ユルめのフリーランスのWebデザイナーとして暮らしているのですよ。
夕方の食事とともにお酒を飲み始めることをもって「終業」のタイミングとしています。
お酒を飲むと、ずっと何かをつまんでいたくなりますし、酔が満腹感を麻痺させて、食事量が増えがちになりますからね。なので、まずは「酒を断とう」と。
加えて、夕食は炭水化物抜き。この2本立てで始めてみました。
まだ5日しか経っていませんので、成果は出ていませんし、ツラいです。
当たり前ですが、まだ「努力してる」感ありますね。
おそらく、体重と体脂肪が減り始めると、だんだんと「快楽」に変わっていくんじゃないかと思っています。
「やる気」なんて当てにならない
始めたばかりのダイエットに関して、僕は今「やる気」があるのですよ。だから「努力」し始めることができたのですね。
でも、この状態が通常ではないことは理解しています。
「やる気」がある状態って、普段どおりではないのですよ。異常な状態なのです。
ほっといたら、普段の「食べたい」「お酒飲みたい」状態に戻るに決まっているのですよ。
なので、定期的に「やる気のある状態(=異常な状態)」を作り直さなければならないのですが、そのために必要なのが「小さな成果」なのだろうと思います。
それを繰り返していくうちに、やっと「努力」が「快楽」に変わって習慣化してくれるはずなのですよ。
だから、早く「あ、体重減ってきた」「ジーパン、ユルくなった」が欲しいのです。
「やる気」だけじゃどうにもならないことを前提として考えているのですよ。
要は「継続できる状態」を作ることが肝心なのですから。
おそらく、何度か「成果」を得られると、勝手に次の成果を予想し始めちゃうような気がするのですよ。
僕は、長い間「セルフ・ブラック」でした。
フリーランスなのにも関わらず、自分自身で勝手にブラック企業のような働き方をしていたのですよ。
今でもその名残はあって、ずっと業務に関することを考えているのですよ。
セミリタイア生活を始めた今でも同じです。
「今やってること」よりも「これから何やろうかな」の比重が大きくなっていますから、思いつきを拡散させたり収縮させたりを繰り返して、上手い着地点を見失った状態になっていることも多々ありますが、それが楽しいのですよ。
簡単に言えば「妄想」なのですが、過去のちょっとした成果が妄想をかき立ててくれるのです。
これがあるから、ずっとデザイナー業を続けてこられたと思うし、「次のやりたいこと」に向けて、一歩ずつ進んでいくことができてると思うのです。
「盆暮れGWはラボ」というタグを付けた記事を何本か書いているように、僕はずっと暇さえあれば、なにかしらの技術に関する習得・学習をすることが趣味みたいになっちゃってたのですよ。
「努力」などしておらず「快楽」として継続していたのです。
今は「1年以上の休みを取るフェーズ」に向かっている状態なので、なんの学習にも取り組まないつもりではいるのですが、これから始まる「平成から令和に変わる10連休」を目前に、ちょっとムズムズしています。
三日坊主を繰り返して「継続してる」と主張してみる
前項で「定期的にやる気のある状態(=異常な状態)を作り直さなければならない」と書きましたが、これって「三日坊主」のことですよね。
僕、三日坊主で終わったことって多いですよ。
以前、興味をもってアカウント登録してみた「Progate[プロゲート](プログラミングの学習サイト)」だって、いっぱい途中になってるし、最後まで読めてないオライリー本いっぱいあるし。
以前投稿した「新しい感情」では、やりかけて途中でやめちゃったモノ・コトを「心の熾火(おきび)」なんてカッコ付けた言い方をしていますが、とにかく、いろんなことを中途半端のままにしているのですよ。
その中の幾つかが習慣化してくれて、成果に繋がったに過ぎないのですよ。
「三日坊主」をいっぱいやらないと、「三日坊主で終わらないもの」は見つからないのです。
そして「三日坊主」と「習慣」の間には「三日坊主を断続的にしてる」状態があるのですよ。
年に一度、ゴールデンウィークあたりに、半袖短パンの自分を想像してランニングを始める、でもキツくてすぐやめちゃう人は「三日坊主」ですが、ずっと毎週末にランニングしてる人は「継続してる」といっても差し支えないですよね。
では「月に10日走ることもあれば、2ヶ月空くことのある人」はどうなんでしょう。
僕はもう「ランニング習慣ある」って言い張ってもいいと思うのですよ。
習慣化の前提として「繰り返す」ことがとても重要だと思うからです。
そのうちに快楽に変わってきて、繰り返す頻度が上がって、やがて習慣化するものなのですよ。
「努力なんて続かないに決まってる」のですよ。「快楽になってナンボ」なのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。