[フリーランスの老後]人生の幕間を設ける
2019.05.02
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。僕は「人生100年時代」を真に受けているので、定期的に考え方や行動をチェックする期間を設けたいのですよ。20年後も今と同じことをやってるなんて考えにくいですからね。そのために「人生の幕間」のようなものを意図的に作っていこうと思うのです。
「大人のギャップイヤー」みたいなもんでしょうかね
「幕間」とは、もともと演劇で使われる言葉です。
まく‐あい〔‐あひ〕【幕間】の意味:
演劇で、一幕が終わって、次の一幕が始まるまでの間。舞台に幕が下りている間。
[補説]「まくま」とは読まない。
出典:幕間(まくあい)の意味 – goo国語辞書(2019年5月2日現在)
僕は今、セミリタイア中です。人生の転機を前に、1年間を超える長期休暇を含む「幕間」の期間を儲けようという計画が始まったところなのです。
「ちょっとした中休み」のような印象を持つ言葉ですが、僕にとってはそれ以上の意味をもっているのです。
長年働き続けて、疲労した心と身体を癒す期間であると同時に「やり残してきたこと、今やりたいと思っていることを行動に移す」ための期間なのです。
僕は、昨今言われ始めた「人生100年時代」を真に受けています。
フリーランスのWebデザイナーをしていますので、定年という概念がないこともあり、75歳から80歳くらいまでは、労働と上手に向き合いたいのですよ。
有り体に言えば、収入は少なくていいから、楽でストレスのない仕事を自分で作り出したいのですよ。
(参考:「生産的な趣味」タグを付けられた記事の一覧)
そのために必要となる、考え方の整理だったり、情報収集、ちょっとしたトライアルに時間を費やすつもりなのです。
「大人のギャップイヤー」みたいなものを想定してるのですよ。
ギャップイヤーとは、高校や大学を卒業後したあと、すぐに進学や就職をせずに、自由に過ごす時間を設けることですよね。
社会人になるとどうしても「仕事をすること」「稼ぐこと」「社会の役に立つこと」を求められます。
20代から80代まで、ずっとはキツいですよね。定期的かつ意図的に「幕間=大人のギャップイヤー」なる期間も設けて、リセットもしくはリフレッシュしてみたいのです。
一度目の「人生の幕間」
以前、投稿した「人生の転機は、よきタイミングでやってくる」で書いたように、僕にとっては今が二回目の転機なのですよ。
一回目の転機だったのが、フリーランスになったとき。僕は30代半ばでした。
そのときにも「人生の幕間」を作ったのですよ。
「1ヶ月間の休みを取ろう」と、東京(正確には千葉県に住んでいましたが「東京」ってことにしておきますね)を離れ、山口県萩市の実家に帰り、ひと月過ごしたのです。
はじめて自腹でMac(モニタがモノクロのPowerBook 5300)を買い、電話のモジュラージャックにモデムを繋いでインターネットに接続していた1997年のことです。
結局、ひと月が過ぎて東京に戻ってきても、法人登記の手続きをしていたり、人とあって夢を語ることだけに終始していたり、当初描いていた目論見が次々とポシャってヘコんでたり、なんだかんだで1年程度は「幕間」が続いたでしょうかね。
現実の舞台のように、すんなりと次の幕は開いてくれなかったのですよ。
おそらく、これから始まることに対するワクワクの方が勝ってたんでしょうね。
不思議と不安も恐怖も感じなかったのですよ。
とはいえ「フリーランスになる」なんてはじめての挑戦ですから、少なからず恐怖心はあったはずなのですが、10年間勤務した会社を退職した開放感が強かったのです。
不安と恐怖に見舞われたのは、東京に帰ってきてしばらく経ってからです。
延々と続く準備。はじめて気づいた目論見の甘さ。
徐々に「あれ? こんなはずじゃなかった…」と思うようになりました。
ネガティブなことばかり考えるようになっていくのですよ。
「どうせ失敗するなら、こっちから仕掛けるか」と舞台公演を企画して借金を作ったり、なかなかグラフィックデザイナーの職にありつけず、グズグズと過ごした結果、どうにかこうにかWebデザインの仕事にありついて、V字回復することができ、なんとか救われたのです。
二回目だから、ちょっとは上手くできるはず
今回は、二回目の転機に向かうための「幕間」です。
自然とフリーランスになったときのことを思い出しますよね。
あのとき感じた恐怖の原因は「お金」でした。
その当時感じていた「上手く仕事が見つからない」とか「こいつ、言ってたことが違うじゃん」みたいな焦りや怒りは、すべて「お金稼げない、マズい」に帰結していたのですよ。
両親、知人、カードローン。借りられるところからはすべて借り尽くしたのですが、返せなくなったら終わりですからね。
せっかくワクワクしながら始めたフリーランス生活、も絶望のうちに幕を閉じることになるのです。
それに対する恐怖は絶大でしたね。
今回はそのようなことがないように、それなりの資産を準備しています。
このまま幕が開かなくても「お金」が原因の恐怖と向き合わずに済む程度には、です。
冒頭に書いた、
- 長年働き続けて、疲労した心と身体を癒す
- やり残してきたこと、今やりたいと思っていることを行動に移す
に没頭できる期間を得られるはずなのです。
ただ、1回目の「幕間」で、「お金が原因の恐怖」と向かい続けたおかげで、運よく仕事にありつけたあとでも、さほど浪費せずに不動産や金融資産の取得に向かうことができたのだろうと思います。
それが、僕が今2回目の「人生の幕間」を設けることを可能にしてくれているのです。
もしかすると、今回も別の恐怖と向き合うことになるのかもしれません。
1回目と同じように、今は開放感とワクワクが勝ってますからね。
それでも、恐怖をネタに自分自身と向き合うことって、それほど悪いことじゃないような気もしています。
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