50代フリーランスが振り返る「やっといてよかった」「やっとけばよかった」
2019.05.17
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。50代半ばまで20年以上フリーランスのデザイナーをやってきましたが、概ね良好な「フリーランス生活(前半)」でした。これから1年程度の休暇を取った後に「フリーランス生活(後半)」に入る前に、過去を振り返ってみようかと思います。
自分で「辞めるとき」を決められる幸せ
以前「50代フリーランスの市場価値」という記事を投稿したことがあります。
そのときには「50代フリーランス」の、今のこと、そしてこれからのことについて書いたのですが、今回は、過去を振り返ってみようと思います。
僕は、現在50代半ばのフリーランスのWebデザイナーです。
フリーランスになったのは、30代半ば。もともとはグラフィックデザイナーだったのですが、フリーになってからWeb制作者に転身しました。
開業当時のドタバタは「フリーランスになったころの失敗を記して、平成を後にしよう」に書いていますので、ご参考に。
巷で言われる「40歳限界説」も突破ででき、50歳を超えてもご発注頂来続けることができましたし、江東区の清澄白河にファミリータイプのマンションも購入しました。
そこそこの金融資産を作ることもできたので「今仕事を辞めても、どうにか食っていけるような気がする」と、新規受注を停止し、現在セミリタイア生活を送っています。
一旦、無職になって1年以上の長期休暇を取り、その後はまた別の職業に就きたいと思っているのです。
その日の食事代にも困っていた開業当時からしてみれば、とても贅沢なことを考えているという自覚はあります。
「もうひとつ、別の人生があるはずだ。挑戦したい」という前向きな気持ちと、「なんだかヤキが回ってきたな。この場を去ろう」という後ろ向きな気持ちが半々なのです。
それでも、自分で「辞めるとき」を決められるということは、とても幸せなことだと考えています。
「20年間の、フリーランス生活。概ね上手く行ったな」と感じているのです。
その間に感じた「やっといてよかった」ことと、「やっとけばよかった」ことをまとめておこうと思います。
やっといてよかった ― 「40歳限界説」を突破できた
巷で言われる「フリーランス40歳限界説」。一部では「35歳」のパターンもありますかね。
「発注者が年下になるので、年上の外注を使いたがらなくなる」っていうアレですよね。
一応、気にはしていましたが、僕がフリーになったのが30代半ばでしたので、意図的に無視してましたし、僕の場合は、どうにかこうにか突破できました。
セミリタイア生活を始めて、仕事量が激減中とはいえ、いまだに案件を運用していますし、お声がけもいただいてますからね。
ずっと心がけていたことはありますので、それを列挙してみます。
それが、40歳限界説を突破できた直接の原因化どうかは謎ですが、僕はむしろそれしかしていないし「喜ばれている」という実感もあったのです。
「仕事が速い」と言われることを心がけた
フリーランスにとって、仕事の手離れがいいと、収益の向上に繋がりますから、クライアントに喜んでもらうことのみならず、自分のためでもあるのですよ。
意図的に「仕事が速い」人になることによって、同じ時間で、多くのアウトプットをすることを意識しますし、ディレクターなりクライアントなりの「チェックする人」に早く渡すことで、先方がスケジュールを融通しやすくなるのですよ。
(参考:「仕事が速い」と言われるコツ)
学習し続けることを絶やさなかった
仕事がないときにも、ずっとひとりで謎作品を作り続けていましたし、時間が空けば何かしら手を動かしたり、新しいことに取り組んでいないと気が済まなかったのですよ。
親しい人たちには、意図的に「フリーランスにとって、盆暮れゴールデンウィークはラボなんですよ」みたいな話をし続けていました。
特にWebに軸足を移してからというもの、環境の変化や新技術の登場が目まぐるしいので、自分自身にプレッシャーを与え続ける必要があったんですよね。
(参考:「盆暮れGWはラボ」タグを付けられた記事の一覧)
コミュニケーションを取りやすい人でい続けた
もしかして、これが最重要項目かもしれません。
以前投稿した「何歳になってもコンプレックスを克服できない」という記事で、
たとえば「即レス対応」なんかもそうです。もともとは、意図的にやってたんですよね。
ちゃんと美術教育を受けていないデザイナーだというコンプレックスがあったから「反応が早いデザイナー」だと思われたかったし「クライアントの相談に軽く乗る」「一緒に調べ物に付き合う」デザイナーだと思われたかったのですよ。同様に「電話口で笑ってる」とか「ミーティング中、楽しそうにしてる」みたいなのもですね。
当然、問題解決に対する思考も、ビジュアルを作り込んでいくスタイリングも「少しでもレベルの高いものをアウトプットしよう」と思っていました。
と書きました。
それでも、20年間のフリーランス生活の間に「話しやすい仲間」だったのが「信頼できる年上の外注さん」を経て「上司が推してくる外注」にポジションを変えてきてるような感触があります。
「上司が推してくる外注」って、ちょっとちょっと鬱陶しいですよね…。
やっとけばよかった ― 積み残しは多々あります
前述の通り、概ねこの20余年のフリーランス生活は上手くいったと感じてはいるのですが「ちゃんとやっとけばよかった、何やってんだオレ」ということもあるのですよ。
10年前に気付いていれば、もう少し状況が良くなったかも知れないことをいくつか書き出してみます。
コンディショニング
先日「考え続けること(思考のアイドリング)」という記事を投稿しましたが、その中で、
「練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかる」
若い頃にスポーツをやっていたにとって、一度は聞いたことがある言葉なのではないでしょうか。
ということを書きつつ、スポーツ選手のみならずデザイナーになっても当てはまることに触れましたが、同時に「これ、アスリートだけじゃないな」と感じていたのが、コンディショニングなのですよ。
大学のバレー部時代、よく「いい練習」と「いい休養」と「いい栄養」って監督が言っていました。
さほど意識して守っていたとはいい難いのですが、記憶には鮮明に残っているのです。
これ、フリーのデザイナーにとっても有効なお言葉でした。
僕は、40代後半でパニック障害を発症し、そのときに同時に「高血圧症」と「心肥大」が見つかりました。正直、ちょっと危険な状態だったようです。
20代、30代、40代のフリーランスのみなさん。
「寝ますしょう」「休みましょう」「メシ食いましょう/食い過ぎないようにしましょう」「健康診断生きましょう」
僕はずっと「夜を徹して、案件のことを考え続けるのが最高のエンタメ」とか思っていました。
どうやら、もうちょっとユルめた方がよかったようです。
資産運用
ずっと普通預金口座に現金を置いていました。知識がなかったし、どこかで「資産運用とか考えるのって、クリエーター的じゃない」ってカッコつけてたところもあります。
僕は法人を持っているにもかかわらず、ずっと国民年金に加入してたのです。数年前に年金事務所から「法人の経営者は厚生年金に入らないとダメですよ」って言われて切り替えたのですが。
フリーランスの多くは個人事業主、すなわち国民年金だと思います。
僕がそうであったように、売上のない時期は未納にしてたりしますよね。
それだと、老後に不安が残るのですよ。
いつまで経っても、仕事を辞められなくなるのです。自分が望まない仕事を請け続けなくてはならなくなるのです。
僕が金融資産を購入し始めたのは、50歳を超えてからでした。
ちょうど世界経済が上向いていた時期でもあり、効果は感じています。
惜しむらくは「もっと若い頃から考えておけばな」と思っているのです。
事業展開
「結局「取引先の分散」なんてしなかったな」という記事で書いたように、僕は「快適な方へ」「収集力が増す方へ」「業務管理がしやすい方へ」流れていった結果「メインクライアントに集中する」という方法を取ったのです。
結果、そこそこ上手く行ったと思っています。
世間で言われる「取引先を1社に絞ると、その会社に生殺与奪の権を握られるので、取引先は複数持つべき」とは逆のことをしたのです。
メインクライアントは、マンションデベロッパーなのですが「もっと他の業種のクライアントと仕事をしたかったな」とは感じます。
同時に、ずっと「デザイナーでいること」にも集中し過ぎたかな? とも思っているのです。
今こうしてブログを書くようになって「なんてオレは文章が下手なんだ」と愕然としているのですよ。もっと興味をもって仕事にならないまでも、何らかの練習をしていれば良かったな、と。
最近、サラリーマンに副業を勧めるような言説を見聞きすることが増えてきましたが、フリーランスにとっても「本業以外」を意識することは大事だったように思います。
考えてみれば、僕が今メシの種にしている、Webについても元々は「副」の部分でしたからね。「主」はグラフィック。
Webでメシが食えるようになってからというもの、集中した期間が長すぎたと感じています。
もっと、いろんなものに興味を持って、サイコロを振り続けていたほうが良かったなと思います。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。