「プロ失格」を許容して、残りの人生を再構築する
2019.06.18
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ずっと考えてきた「プロの要件」、演じてきた「プロの姿」を継続することにバテてきているのですよ。いったんすべてを地べたに降ろして「プロ失格」を自覚した上で、再び残りの人生を構築することが、今進めている「セミリタイア」の本質なのです。
プロフェッショナルの要件
ずっと、自分なりの「プロフェッショナルの要件」なるものを考え続けてきました。
とくに20年以上前、フリーランスになってからは、職業人としての態度が生活の豊かさに直結しますので、自分が考える「プロの姿」を大げさに演じていた部分もあります。
- 「できない」ことを「できない」と言う責任
- 自分の「やりたい」よりも、クライアントの利益のための「すべき」を優先
- クライアントの要求を満たすアウトプットの提供
- 自分がいると、コミュニケーションが捗るという雰囲気作り
などなど、本来は場面に応じて細かく、思いついては積極的に実行するということを繰り返してきました。
僕の職業はデザイナーなのですが、長らく「デザイナーであること」と「プロフェッショナルであること」を、別のものとして捉えてきたように思います。
当然、重なる部分はあるのですが「デザイナーとしては、こう考えるが、プロとしては…」というところもなきにしもあらずだったのです。
そして50代半ばになった今、ずっと「プロとして…」と考え続けることに少々バテてきているのですよ。
だから「セミリタイア」という状態になることを選択したのです。
「セミリタイア」は、いったんすべてを地べたに降ろす作業
ずっと自分が「プロとはこうあるべき」と考えてきたことが、正しい答えかどうか分からなくなっているのですよ。
周りを見ると、どんどん新しいスタイルの「プロフェッショナル」が登場してきていませんか?
ひとつの時代に無数の「プロの姿」はあるし、時代とともにその姿はどんどん入れ替わってるように思うのです。
僕自身がずっと考えてきた「プロの姿」を演じることにバテてきているが故に、異なるスタイルで職業人生を歩んでおられる方々のことが目について仕方ないんでしょうね。
「焼きが回ってきた証拠かな」と思う一方、「自分が選んだプロの姿がベストだと思わないほうがいいな」という気持ちも強くなってきているのです。
30代から40代にかけて、なんとか食えるようになったときに築いたスタイル。
開業後のキツい時代を乗り越えることができて、なまじ「救われた」「このスタイルでいける
」と思ったもんだから、そのスタイルに固執しすぎたきらいがあるのです。
『結局「取引先の分散」なんてしなかったな』でも書いたように、上手く噛み合ったクライアント、業種に特化すること、掘り下げることに夢中になりすぎたように思います。
この頃のことを、振り返ってみると、非常に複雑な感情を抱くのです。
このスタイルを作らないと、もしかして食っていくことができずに、途中で廃業していたのかもしれないのですから。
「決して間違ったことはしていないけど、やり残しを多く作りすぎた」と思っています。
そのあたりのバランスを取りながら職業人生活を送ればよったのでしょうけれども、そのときは「これが一番効率がいい」と思っていたし、それなりの所得を得ることができたために「余白」を作る勇気を持てなかったのですよ。
その余白で「デザイナーではないこと」をすればよかった。フリーランスなのだから、そのへんは少しワガママでも良かったのでしょうね。
結果。50代半ばの今、自分の中の「やりたい」が肥大化しています。
クライアント・ファーストの考え方から離れて、自分と向き合う時間を作りたくて辛抱できなくなっているのです。
そのために、いったんすべての自分が考える「プロの要件」を放り出すこと、それが僕が選択した「セミリタイア」の本質なのです。まずは「プロ失格」であることを受け入れるのです。
自分が考える「プロの姿」も時代とともに変わってきているのです
僕は、自身の職業人生を、あと20年程度だと見込んでいます。
今50代半ばなので、75〜80歳くらいまで働こうとしています。
これは、30代40代の頃からそう考えていました。
葛飾北斎が70歳を超えてから「富嶽三十六景」などの名作を多数発表していることを引き合いに出しつつ「80くらいまでは、デザイナー続けますよ」などと言っていました。
現実はこの通り、50代でバテました。
20年前にフリーランスになった頃と比べて、僕自身が考える「プロの要件」も相当変わっているのですよ。
当時は、50歳を超えて「無駄なミーティングやめましょうよ」「連絡やコミュニケーションはディレクターに任せて、作業に集中したほうが効率いいです」っていい出すようになるとは思いもしませんでした。
ただ面倒くさくなっただけなのか、職業人として焼きが回ったからなのか、ずっと思い描いていた「完全リモートワーク」という実験を実行したかったのかは、自分でも判断できていません。おそらく複合でしょうね。
夕方からミーティングが始まって、夜持ち帰り、深夜から朝にかけて手を動かすような働き方に耐えられなくなったことは確かです。
いつしか「ダラダラと何も決まらない打ち合わせやるんだったら、決まったことをメールとPDFで指示くれ」と思うようになっていたのですよ。
フリーランスになったばかりのときは「僕の持ち場じゃない打ち合わせでも、声かけてください」「可能な限り出席したいし、発言もしたいのです」と思っていたし、そのように関係者たちに告げていましたから。
もちろん、PDFの登場や、大容量ファイルもネットで送られるようになったし、チャットシステムで複数人のリアルタイムのコミュニケーションが可能になるなど、技術の進歩による影響は否定できません。
もう一度、違うスタイルのプロになる
20年以上フリーランスのデザイナーを生業としている間に、クライアントワークではない職業人のスタイルに対する憧れが育ってきた感じはあります。
特定のクライアントに向けたアウトプットをしない職業。
たとえば、作家とか、画家、ミュージシャン、大道芸人、工芸品の製造販売、野菜の無店舗販売などなど。新しい職業ならば、ブロガーやYouTuberなどでしょうか。
もともと、そういう職業に対する憧れもあり、フリーランスになった直後すぐにデザイナー業に取り組まずに、舞台公演のプロデュースを手がけて借金を負ったりしたのです。
またそのときに近い感情が芽生えてきています。
これまで生業としてきた「デザイナー」というクライアントワークではないスタイルのプロになるトライアルをしてみたいのですよ。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成を後にしよう)
そのために、たデザイナー業に関しては、すでに新規案件の受注は停止して、運用中の案件だけを受け持ちながら、すべてクローズするのを待っているところなのです。
すでに、自分の「やりたい」で頭がいっぱいになっている「プロ失格」の状態と、残された案件がクローズするまでは、プロである姿勢を崩すことができないという、ふたりの自分の間を行ったり来たりしているところなのです。
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