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50代だからこそ、新しいことを吸収するフェーズを作る

2019.06.20

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ネットの普及によって「経験の価値」が暴落しています。したがって定年間近世代の僕ら50代半ばなんて、中身スッカラカンですよ。だからここらでいったん、時間とエネルギーを「新しいことの吸収」に割くべきフェーズを作ろうと思っているのです。

1万時間の法則について

ときどき思い出したように「1万時間の法則」のことを考えるのです。
いろんなところでバズっている「何ごとにおいても、プロレベルになるには1万時間程度の時間が必要」と言うやつですね。
1日9時間取り組むとして、3年程度かかることになります。

過去にも「1万時間」のことをテーマに記事を書いていますね。

僕がもう30年程度生業にし続けている「デザインの仕事」から感じるに、どうやら1万時間で得られる成果は「プロレベルになれる」であって「食える」ではなさそうなのです。

「○○会社・デザイナー」という名刺を持っている人って間違いなく「1万時間」程度はクリアしているはずなのですよ。
加えてフリーランスなんて、その中でも「自信アリ」な人々なのです。

それでも、この10年を振り返ってみると、いなくなっちゃった人の方が多いんですよね。
もちろん自らの努力によってステージを上げ、僕の視界に入らないところまで急上昇された方もおられるのでしょうが、大部分は「食えなくなっちゃった」「社内の別の部署に異動しちゃった」なのだろうと察します。

そういう僕も、今いなくなろうとしている最中なのです。
もう「そういやあのオッサン、いなくなっちゃったね」と認識している人も出てき始めているかもしれません。

よく言われる「1万時間の法則」は、プロレベルになることはできる。
しかし、それはあくまでも「プロのフィールドに上がることができる(=スタートラインに立てる)」という意味なのであって「食える」かどうかは、そこから先の話。ましてや「食い続けることが保証される」なワケない。ということだろうと思うのです。

効率が成長を阻害するジレンマ

フリーランスになった当時。デザイナーとしての力量や営業方針の問題以前に、要らんことをしていたりするので「ちゃんと食えるな」と思えるようになるまでに3・4年費やしています。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成を後にしよう

「ようやく食えるようになった」「救われた」と思うようになってから、すぐに考えるようになったのが「効率化」です。
簡単に言うと、これまで100のチカラで100のパフォーマンスを提供していた。それを50のチカラで100の成果を出そうとしたり、100のチカラで200の評価を求めたりということですね。

これは決して否定されるものではないと思っています。
時間を有効に使い、クライアントに満足を提供する量が増すのですから、あの手この手を使って「効率化」のことを考え続けていました。

ただ、同時に起こる問題があるのですよ。

「効率化」の文脈の中に「手持ちのワザでやりくりする」という項目が入り込んでくるのです。
「お得のこれ、好きなんですよ」みたいな評価を受けたりするので、さらに拍車がかかったりするのです。

これ、僕自身の成長を阻害するのですよ。

本人の意志の問題ではあるんですけどね。
以前投稿した「フリーランスの僕が暇な時にやったこと」でも書いたように、僕は「新ワザ」の取得に貪欲であったという自覚はあるのですが、それでも「手持ちのワザでやりくり」に陥ったことは一度や二度ではありません。

提供できる価値を、吸収できる価値が超えることはないよ

僕、今50代半ばです。サラリーマンで言えば「定年間近」なオッサンなのです。
30年以上前、僕が社会に出た頃は、55歳定年の会社が多かったように記憶していますので、あのころの「事務所の片隅で、定年を待っているおジイちゃんたち」の年齢を超えているのです。

でも、50代って中身スッカラカンですよ。

僕がクライアントや社会に提供できる価値よりも、新しく吸収できる価値の方がはるかに大きいのですよ。

もちろん、ネットの普及とともに、加齢と連動して得られる「経験の価値」が暴落していて、これまで接することのなかった領域に簡単にアクセスできるようになったことの影響が大きいことは間違いありません。

上に、自分の中で「効率化」という考え方が芽生えたのは、食えるようになった頃だと書きまましたが、そのころなんとなく自分の中で「及第点」を感じたのでしょうね。

フリーになったとき「まずは年収1,000万円の壁」と思っていたので、それをクリアしたことが嬉しかったのですよ。「ハイスコアはこの方法の延長上にある」と思っていたのです。
あながち間違いではなかったとも思いますが、「なんかこじんまりまとまっちゃったな」とも思います。「普通の人の中のちょい上の方」である感じが心地よかったのです。

そしてそれが、50代半ばになった今、後悔に繋がっているのです。

繰り返しますが、50代なんて中身スッカラカンなのですよ。
ここらでいったん、時間とエネルギーを「新しいことの吸収」に割くべきフェーズを作ろうと思っているのです。
果たしていくつの「新しいこと」が1万時間に達するかは謎ですが「ま、とりあえずやってみるか」といったところなのです。
手持ちのワザでやりくりしてる暇なんかないのです。

それで食えるようになるかどうかは、また次のフェーズ。
だから僕は今、自分の状態を「セミリタイア」と呼んでいるのです。

とりあえず、この記事を投稿し終わったら、動画編集ソフト「Adobe Premiere Pro」をインストールしてみます。

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