自分で決めて、自分で行動することの効能
2019.06.21
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「自分の意思で」「自分で行動する」って快適だし、この高揚感が努力を継続するためのエネルギーになってくれると思うのです。いつも自分勝手というわけには行かないでしょうが、要所々々では「主体性」を発揮して行動することが必要だと思っています。
何かをする人って、自分で勝手に行動しちゃうもんなんです
以前『フリーランスになりたいと言ってくる人には「やめとけ」と答えます』という記事を書きましたが、その中で
漠然と「僕もフリーランスなったらいいんですかねえ」とか「僕もいつかフリーになりたいんです」という人には「やめとけ」と言って、そこで話を打ち切ります。
その人、たぶんフリーランスにならないんですよ。
いつでも「会社やめる」って言ってるサラリーマンの人いません? だいたい「やめる、やめる」いい続けながら会社に残ってますよね。
そういう人って「やめたい」人じゃなくて「やめるって他人に言いたい」人なんですよ。
「フリーランスになりたい」って人も、その亜種なんですよね。
などと書きました。
僕がフリーランスになったのは、20年以上も前のことです。
その頃は「フリーランスになりたい」と相談されれば、会社を辞めるときの段取りから、「最初はあまり大きな事務所借りちゃダメだよ」とか「会社員でいるうちに、目ぼしいところに営業掛けてみたら?」みたいな自分の失敗談を混ぜたアドバイスをしていました。
「デザイナーになりたい」と言われれば「ご自分の名刺でもいいし、コピーや写真はその辺からパクってきて、自分なりにレイアウトしてみましょうよ」「それを見ながら、一緒にお話するくらいならできますよ」くらいのことは言ってたものなのですよ。
でも、みんなことごとく、フリーランスにはならなかったし、デザインの練習も始めなかったのですよ。
数名、フリーランスになられた方は「このたび、自営でやることに」「独立して自分の会社を」と、事後報告もしくは実際に行動されてから聞かされることになりました。
そんなもんなんです。
行動する人って、自分で勝手にはじめちゃうんですよね。
「相談があります」とか「教えてください」が実際に行動につながったケースって、記憶にないのですよ。
もしかすると、何かを始めたことが僕に伝わってきていないだけで、実際は行動された方もおられるのかもしれませんが、概ね「何か始めるヤツは『やめとけ』って言っても始めるだろ」というのが、僕の認識です。
行動しない理由
中には「こないだのアレ、どうなりました?」と聞くこともりましたが、帰ってくる答えは「まだ、いろいろと考えてる最中なんです」「今、忙しくて。ひと段落ついたら再考するつもりです」「考えた結果、いったんペンディングです」みたいな答えが帰ってくることが多いのです。
彼らが「フリーランスになりたい」「デザイナーになりたい」と軽い気持ちでウソをついたとは思っていません。
おそらく、本気で「自分を変えたい」と思っていたはずなんですよね。
何度かそんなことを繰り返すうちに「フリーランス? つまんないよ、やめとけば」というようになったのです。
行動するって、メンドくさいのですよ。
そのメンドくささから逃れるために、リクスやらデメリットを拾い集めて、頭の中で増幅させて「行動しない」という結論に至ってしまうものなのですよ。
僕自身、そのメンドくささに耐えかねて「従業員か…。雇わない、ひとりがいいもん」「プログラミングか…。デザイナーの領域じゃないでしょ」「写真・動画みたいな素材作り…。ん〜、そのうちね」と、いろんなものが「行動しない」という結論に至らせてしまっているのです。
だから「オレは行動するけど、なんだかんだ言い訳して行動しないキミら、ダメね」ということが言いたいわけではないのです。
年齢50代半ばになった今。
結局、なんだかんだ言いながら「とりあえず、やってみるか」と始めてしまったほうが幸福感が高いように思っているのです。
(参考:決断が先、迷うのはあと)
損得で考えると足が止まりますよね
何か新しい行動をするときって、どうしても損得を考えますよね。
例えば僕が20年前に「フリーになりたい」と思ったとき
- 得:もしかしたら収入が青天井で伸びるかも
- 損:これまでもらってた月給は失う
今「いったん無職になって、新しい職業に取り組もう」と行動し始めていますが、
- 得:もしかしたら職業人としての寿命を延ばせるかも
- 損:今のクライアントと売上を失う
と、どうしても「得」は、未来に「もしかして」手に入るかもしれないもの。「損」は確実に失うものを比較して考えがちになってしまうんですよね。
実際はいろんなものが絡み合っているにもかかわらず、こういう単純思考に陥りやすいものなのです。
だから、現状に不満があっても、行動することに躊躇してしまいがちになるのですよね。
行動しなければ、現状維持。損をすることはないのですから、今日と同じ生活が明日も続くのですよ。
自分の意思で、自分で行動する
僕は、行動すべきかせざるべきか悩んだとき「損得で考えるべきではない」と考えるようにしています。
「楽しそうな方はどっちだ?」という考え方をしたいのです。
前述の通り、自分で決めたことを「とりあえず、やってみるか」と、自分で行動を起こすと、それだけで楽しいのですよ。
あとは「オレの行動は正しかったはずだ」という結論に至らせるために、ガムシャラにガンバることになるにですが「自分の意思で」「自分で行動した」という事実が高揚感につながり、ちょうどいい具合に努力が継続できてしまうものなのですよ。おそらくこれ「根性」の正体ですよね。
以前「フリーランスになったころの失敗を記して、平成を後にしよう」という記事で、フリーランスになっ後、最初の2年半くらいは、鳴かず飛ばずどころか、完全に「失敗してる」状態だったことを書きました。
毎月の生活がカツカツな僕が、700万円の借金を負いましたからね。
でもなんとなく「楽しさ」が底流にあって、「あと少し」「もうひとつの何かを」と、頑張り続けることができたのは「自分の意思で」「自分で行動した」からだったのですよ。
人生をコントロールしてる感覚が心地よかったので、辞めたくなかったのです。
子供の頃からずっと「主体性を持て」と言われますよね。
これ、オッサン、オバサンになっても持ち続けてます?
大人になって、いつしか「責任だ」「立場だ」「常識だ」と言いながら、自分事ではない要素を思考の中に多く持ち込むようになってはいないでしょうかね?
これは「自分勝手」と紙一重かもしれませんが、人生の転換期に起こる「ここぞ」という決断は、自分が主体性をもって決める場面は必要だろうと思うのです。
そして「迷うのはあと」ですよ。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。