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50代でセミリタイア生活をはじめて半年経過した今の感想

2019.06.24

こんにちは、萩ドットライフ()です。

フリーランスにとってのセミリタイアって、スタート地点が曖昧なのですが、なんとなく「半年くらいは経過したかな」という印象です。概ね、50代のいま開始してよかったという印象です。他記事とダブる箇所もありますが、今の心境を記しておきます。

このブログ内で、何度も繰り返し書いていますが、僕は20年以上、フリーランスとして働いています。その上で、50代になった今、セミリタイア生活をはじめたのです。
サラリーマンの方のように「会社を退職しました、今日からセミリタイア生活を始めます」みたいな状況とは少し異なるのですよ。

サラリーマンの方が抱く「セミリタイア」とは、少しニュアンスが違うことは承知しています。

新規案件の受注を停止し、日を追うごとに仕事量と収入が少なくなっていく。当然、暇な時間も増えていく状態を感じつつ「セミリタイア、始まったな」と感じていたのですが、最近は少し違う感じ方もしているのです。

もともと「セミリタイア」とは、明確な定義を持たない言葉なのですが、自分の中でも少しづつ変わり続けているようなのです。

セミリタイアは、やりたいことを処理する期間

僕は今、50代半ばなのですが、この年代でセミリタイア生活をはじめたことには一定の理由があると思っています。
このことについては、過去に

という記事なども書いていますので、ご参考に。

これも、このブログ内で何度も繰り返している表現なのですが、僕にとっての「セミリタイア」は「労働を辞めるため」ではなく「労働を続けるため」の行為なのです。

「人生100年時代」を真に受けているし、もともとフリーランスでもありますし「60歳・65歳で定年。あとは悠々自適」なワケないことは、ずっとイメージしていたのです。

僕の職業はWebデザイナーです。
今はじまったセミリタイア生活の中で、一旦Webデザイナーの職を辞することを決めています。「セミリタイア」と言えども「あれやって、これやって」と、いろいろと予定が詰まっているのですよ。

Webデザイナーでなくなったあとは、1年以上の長期休暇を取ることを決めています。
1年以上無収入になるって、学生時代以来なのですよ。学生時代には親からの仕送りで生活していたので、まさに人生初なのです。

20年以上前にフリーランスになったとき。「サラリーマンと違って、オレはもっと自由なんだ」と思っていました。「数週間程度の休暇は自由に取ってやるぜ」と。

そんなワケありませんでした。
フリーランスにとって「休み」って恐怖なのですよ。

50代半ばにして、ようやく叶いました。
このまま職業人として復帰できなければ、実質アーリーリタイア(無職のオッサン)です。
自分自身に「そういうことじゃないぞ」と言い聞かせるためにも、意識的に「セミリタイア」という言葉を多用しています。

暇になったら「やりたいこと」が増えてきた

先に述べたように、フリーランスのセミリタイアは、なだらかに始まっていくのですよ。
徐々にセミリタイア感が高まっていくのです。
なんとなく「半年くらい経過したってことにしてもいいのかな?」みたいなテキトーな感じなのですよ。

日を追うごとに楽になってきています。

そうすると、やりたいことが増えてくるものなのですよ。
「あれ? このあと長期休暇取るつもりなんだぞ」とも思うのですが、どうしても空いた暇を埋めたくなるのですよね。

このために資金を準備しているのにも関わらず「減るのがイヤ」という感情も芽生えてきています。

この辺はまだ、自分の中での折り合いがついていません。

「長期休暇って言っても、ずっと暇に耐え続けられるワケないし、遊びの範疇で何かはじめたほうがいいよ」と「長期休暇を体験することが目的。ここを逃したらもうないよ」が自分の中でせめぎ合っている状態です。

やりたいことの中のひとつ「動画制作の学習」に関しては、軽い気持ちでAdobe Premiere Proという、本格的な動画編集ソフトをインストールして、チュートリアル動画を眺めたりしていますし、こんな感じで「興味を持ったら触ってみる。飽きたら放り出す」を繰り返しながらしばらく過ごしていくような気がしています。

「特に何も決めない」がセミリタイア

僕の「セミリタイア」は、あと四半世紀くらい続くと思っているのです。
ずっと遊び続けるわけでもないし、働き続けるわけでもないような過ごし方を希望していて、そういう状態のことを「セミリタイア」と呼んでいるのですから。
「もうオッサンなんだし、遊び半分でフザケながら働いても、文句いわないよね」と思っているのです。
(参考:[フリーランスの老後]遊ぶともなく、働くともなく

このブログ内で何度も何度も繰り返していることなのですが「やりたい方、快適な方を優先できる」ことがセミリタイアなのですよ。

これ、定期的に書いて置かないと、性格上「これをするべき」「今が頑張りどき」「誰々に迷惑をかけないために」などと考えてしまうのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。