頼まれ仕事を断る理由
2019.06.25
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。セミリタイアという言葉のもと、フリーランスの生命線である「頼まれ仕事」を断っています。若干の寂しさは否めませんが、おおむね精神的には安定しています。いったん身の回りをスカスカにすることで、やりたいことだけをやろうと思っているのです。
仕事を頼まれないと僕たちは死にます
本来、僕たちフリーランスにとって、いかに「仕事を頼まれるか」が生命線なのですよ。
20数年前にフリーランスになってからずっと、
- 絶えず仕事を頼まれ続けるデザイナーでありたい
- 仕事を請けたら、必ず「次の仕事」を意識したコミュニケーションを取ろう
- 仕事ではないことも、あたかも仕事のことであるかのような応対をしよう
のようなことを意識し続けてきました。
黙ってても自然に仕事がやってくるような甘い世界なんて、どこにもないのですから、つねに「仕事を頼まれる」ように動いてきたのです。
ところが、このブログ内の各所で「すでに新規案件の受注は断っていて、セミリタイア生活に入ってる」という言い回しを挿入して、今の自分の立場を説明しているように、僕は「頼まれ仕事」を避けることにしたのですよ。
頼まれ仕事。カッコいい言い方をすると「クライアントワーク(=受注ベースの仕事)」ですね。
僕も日常的には「クライアントワーク」という言葉を使っています。
ただ、今回はなんとなく「頼まれ仕事」のほうがしっくりくるような気がしているのです。
そもそも、デザイナーという職業が「頼まれ仕事」であることを前提にしていますから、僕が「もう新しい案件、お請けいたしませんよ」と申しているのは、ほぼデザイナー引退宣言でもあるのですよ。
デザインをすることは辞めるつもりはないのですが「もう、デザイナーじゃなくなっちゃうな」ということに関しては、納得済みなのです。
このへんの折り合いは「デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ」あたりで書いていますので、ご参考に。
「自分がしたいことだけしたい」と思っているのですよ。
こういう状態になれたのも「頼まれ仕事」をいっぱいやってきて、仕事を頼んでくれた人たちに、20年以上も支えてもらったからなのです。
ちょっと余裕が出てきて、生意気を言い始めたところなのです。
仕事を断ることの快感
「仕事を頼まれること」を大切にしていると「仕事を断ること」も増えてくるのですよ。
一時期「営業ってしないんですよ。強いて言えば、角を立てずに案件をお断りするのが、僕にとっての営業ってことになりましょうか」などと、クソ生意気なことを言っていた時期もあります。
もし見つけたら、殴ってやってください。
長年ひとつの仕事をやっていると、自分が意図しない方向からだったり、コミュニケーションの噛みあわせがしっくりこない方からの依頼ってあるものなのですよ。
ただ、前項で述べたように「いかに仕事を頼まれるか」を意識しながら暮らしていると、そういうことに対して警戒感や違和感が生まれるのですよ。
おそらく「受注するためのチカラ」と「地雷探査能力」って、表裏一体なんじゃないでしょうかね?
フリーランスにとって、地雷案件を回避する能力ってとても大切なのです。
自分の時間は限られていますから、地雷案件に時間を取られるということは、意図して受注したかった案件を請ける機会を失うということですから。
そして「仕事を断る」って、快感が大きいのですよ。
「請ける」よりも「自分で決めた」感が強いからでしょうね。
当然、自分の「地雷探査能力」がパーフェクトではないことなど、重々承知しているのですよ。
断れない案件の第一印象「うぁっ! こいつ地雷だよ」と思った担当者が、実は超有能だったり、逆に「感じいい人達だし、楽しそうな案件だな」と始めたものの、それが地獄の入口だったり…。
それでも「仕事を断る」ことの快感は「請ける」よりも強いものなのですよ。
「セミリタイアするので、もう新規案件はお請けしません」と宣言してからしばらく経ちました。
もう「もしかして、気が変わっておられるかと思い、念のため…」みたいなオファーすらなくなりました。
少々さみしさは感じますが、精神的にはとても安定しています。
新しいゲームを手に取りたいんだろうなあ
僕は子供の頃から、怠け者なのですよ。
大人になればなるほど「怠け者でいる方が快適だね」と、改める気力をどんどんと失っていっているのです。
それが、こうしてセミリタイア生活に入ると、スケジュールがスカスカになっていって、どんどんユルんでいって、なんとも気持ちが良いのですよ。
当然、まだ運用中の案件を抱えていますから、仕事はしているのですが、上手くチカラが抜けているせいか、広告代理店の人やクライアントに「オッケー」をもらうスピードが上がっているような気がするのです。
とくに「この人の好みは…」とか「説明を求められたら、こういうロジックで…」とか考えなくても、一発オッケーが出やすいのです。
もしかしたら、みんなに僕のユルさが伝播しているのかもしれませんね。
僕は、ずっとセミリタイアを中心テーマとして、このブログを運営しているのですが、先日投稿した「50代でセミリタイア生活をはじめて半年経過した今の感想」でも書いたように、
サラリーマンの方のように「会社を退職しました、今日からセミリタイア生活を始めます」みたいな状況とは少し異なるのですよ。
サラリーマンの方が抱く「セミリタイア」とは、少しニュアンスが違うことは承知しています。
という意識はあるのですよ。
「フリーランスのセミリタイア」って、上手く定義がしにくいのです。
でもなんとなく「頼まれ仕事をやめる」が、サラリーマンの「退職する」に等しいのかな? などと思い始めています。
そして「なぜセミリタイアをするのか」については、サラリーマンもフリーランスも関係なく、人それぞれなのでしょうね。
僕は、
- 100歳まで生きるから、80歳くらいまで働かなくちゃいけない
- 地域創生に興味があるから田舎に移住することに決めた
などと、自分の中でいろんな理由を思いついています。
それら、ひとつひとつが、思考を掘り下げつつ解像度を上げていくと、なんだか楽しそうで、ワクワクするものです。
「あれやりたい」「こういう景色が見たい」が次々と現れてくるようなものなのです。
でも、ざっくりとまとめると「また何かの初心者になりたい」に帰結するんだろうな、と思うのです。
まだまだ先は長いのです。
ここらで人生をリセットして、新しいゲームを手に取りたいと思っているのですよ。
そのモチベーションは、以前投稿した「危機を察して行動する能力を保ち続けたい」で書いたように「なんか周りが変わってるぞ」と思っているのですよ。
いったん自分の身の回りをスカスカにする必要を感じていて、そのために「頼まれ仕事を避けよう」「やりたいことだけやろう」というフェーズを作っているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。