ギブとテイクの質と量
2019.07.05
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。定期的にギブ・アンド・テイクについて考えますが、今回は「質と量」そしてその「相性」についてです。ギブもテイクもできていながらストレスになる人間関係ってありますよね。それはソリが合っていないので、距離を取るのが一番だと思うのです。
かれこれ1年くらい前、まだこのブログを開設して間もない頃「ギブ・アンド・テイクについて考え方を整理する」という記事を投稿しています。
多分このときもそうだったはずなのですが、「ギブ・アンド・テイクができないヤツ」「テイクだけしようとしてくるヤツ」に対して、定期的に腹を立てるような出来事が起こるものなのですよ。
今もそうなのです。
そこで「テイクだけ求めてくるヤツが、こんなにも気に入りません」「こんなヤツ、みなさんも許せませんよね」みたいな記事に仕立ててしまうと、その記事のテーマが「不平不満」であるかののようになってしまい、僕が求めている着地点ではないので「ギブ・アンド・テイク論」みたいな仕立てに落ち着けているのです。
なので「こんなにも気に入らない野郎がいました」と、具体例を出して、怒りの原因を説明することはいたしません。
なんとなく煮え切らない、一般論的な文章にまとまっていますが、ご容赦を。
「ギブの貯金」という考え方
他人にテイクを求めることって、誰にでもあることだと思うのですよ。
「資金提供してほしい」でも「急遽仕事を手伝ってほしい」「一緒に知恵を出してほしい」でもなんでもいいのです。
でもそれって「ギブの貯金」がなされていることが前提になりますよね。
ギブって「先に資金提供しろ」「先に仕事手伝え」「先にアイデア出せ」ってことじゃないですよ。
たとえば「日頃考えてることを、定期的にコミュニケーション取り合ってる」「一緒に話に加わって、ちょっとした化学反応を体験してる」「なんか面白そうって思わせてくれる」みたいな、期待だけで十分なのです。
日常的な、なんでもないやり取りの中で「この人のこと好きだな」とか「なんか手伝いたいな」みたいな気持ちになることが「ギブの貯金」なのだろうと思うのですよ。
そういう前提があってはじめて「テイクのお願い」に応えたくなるのです。
「テイク」だけの人
定期的に「テイクのお願い」だけをしてくる人に出会います。
僕は職業がフリーランスのWebデザイナーなのですが、例えば「盆・暮れ・GW前だけ、仕事の依頼をしてこようとしてくる人」ですね。
繁忙期だし、突発的な案件が発生しやすい時期だったりするのです。
クライアントが「盆休み前に、なんらかの施策打てない?」などと言い出すことが多いのですよ。
常時関係を作ってる広告代理店や制作会社ならば「いいですよ、なんとかします」と応じることが多いし、先回りして「あそこの案件『新春キャンペーン』とか言いはじめてません?」みたいな確認を促すこともあったりします。
しかし、繁忙期や突発的な案件が発生したときに「だけ」しか仕事の依頼をしてこない人というのもいるのですよ。
ただ、だんだんと、そういう人はいなくなりましたけどね。
僕がオッサンになったから、ということもあるかもしれませんし、最初からわかってる場合には、電話に出ないしメールを返さないからかもしれません。
往々にして「テイクだけの人」は、「テイクしやすい人」に連絡をするので、「テイクしにくい人」だと思わせれば解決しますね。
ただ、これだけ「テイクだけの人、気に入らない」という文章を書きながらも、ときには「あれ? オレ、テイクだけの人になってる」と感じるケースもあるのですよ。
客観的に見れば「ギブを得たら、連絡が途絶えた人」になるパターンですね。
これ、お互いが望む「ギブ」と「テイク」の質と量が噛み合わないと感じる場合に起こる現象なのですよ。
この場合、ずっと人間関係を続けていても、あまり気持ちよくないので「あまり、交わり続けないほうがいいかな」と判断することがあります。
僕の側から意図的に疎遠になることもあるのです。
ギブとテイクの質と量
ギブとテイクの関係って、質と量のバランスだと思うのです。
長い人間関係や、すっと一緒に仕事をやり続けている人って、互いが望む質と量の「ギブ」と「テイク」を交換し続けられている関係なのですよ。
「相手から多くテイクしたから、オレが得をした」みたいな考え方をする人とは、長い関係は構築できないのですよ。
むしろ、以前「ギブ・アンド・テイクについて考え方を整理する」でも書いたように、双方が「自分が先にギブする」を目指してるくらいのほうが、人間関係は円滑になるのですよね。
そして、ギブとテイクの質と量には「相性」という要素が含まれていると思うのですよ。
「あの人、たぶん親切のつもりなんだろうけど、要らんなあ」とか「こっちからのギブ、なんか上手くハマってないっぽい」ってこと、これまでの人生を思い返してみると、割と多いのですよ。
その都度、「やり方が悪かったかな」とか「上手く伝わってないな」と自責的に考えてみたり、「こいつ、なんだか鬱陶しいな」「厚かましい野郎だな」と、相手の人格のせいにしてみたりなどと、いろんな感情が湧いてきたことも少なからずありますし、それがストレスになったことも、一度や二度ではありません。
しかし50代半ばのオッサンとなった今では「互いが求める、ギブ・アンド・テイクの質と量のソリが合わないんだな」と考えれば、腑に落ちることが多かったかな、と考えます。
これからもこういうことは、起こり続けるはずなのですよ。
人間関係に悩んだりストレスと溜め込んで、改善の努力をするよりも、交わることをやめて距離を取るのが一番いいように思うのです。
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