失敗を許容しよう。学習するチカラを取り戻そう
2019.08.05
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。オッサンになると、学習するチカラが衰えるのですよ。「できること」でやりくりして、失敗を回避する能力が高まりますからね。でもそれが、学習する機会を奪っているのです。「まだまだ職業人生は続くし、全般的に見直さないとな」と感じています。
失敗から始まる何か
デザイナーという職業について、もうかれこれ30年が経ちます。
間違いなく「ベテラン」というカテゴリに含まれていると自覚しています。
そして今、50代半ばにしてデザイナーを引退しようとしています。
なんかつまらないのですよ。
「デザイナーを引退しよう」と思ったのも「なんかつまらない」からであり、引退に向かって受け持ち案件数を日に日に減らしていっている今も「なんかつまらない」のです。
僕はすでにセミリタイア生活に入っていて、暇なのでいろいろと考えたり、他人が書いた文章を読んだり、YouTubeを観たりしながら暮らしているのですが、ときどき心の奥底に溜まっているモヤっとしたものが、浮上してきて、言語化されるような感覚を味わうのですよ。
「ああ、そういうことか」と、ちょっと気が晴れたように感じます。
この「なんかつまらない」もそうなのです。
いわゆる「ベテラン」になりますと、失敗をしなくなるのですよ。
失敗なんて、しないほうがいいに決まっているのですが、失敗を避けるために「できること」だけをするようになると、それはそれで本末転倒なのです。
そこで自分の成長が止まっちゃいますからね。
おそらく、これが「なんかつまらない」の正体のひとつなのですよ。
ここ数年で、ブログを書き始めたり、二拠点生活を始めたり、「引退する」って言い始めたりしてるのって、心のどこかで「失敗から始まる何か」を求めているような気がするのです。
更年期障害の特徴として考えられてる「日常生活が不安だし不満」になる現象。
もしかして、社会生活を送る上で失敗をしなくなったということも原因のひとつだったりしないでしょうかね?
老いると学習するチカラが衰える
デザイナーという職業を30年も続けているし、そのうちの20年以上はフリーランスだったのですから、それなりのプロ意識は持っていたつもりです。
「学習をルーティン化しなきゃ」とか「ちょっとずつワザ増やし続けなきゃ」みたいなことはずっと考えていました。
(参考:大人こそ学習し続けなきゃ、プロなんだから)
それでも「学習するチカラが衰えてるな」という感覚は強くなっていくのですよ。
前述の「失敗を避けるために、できることだけをやるようになる」の比重が増していくのです。
心の中で「(できるかどうかわからないな、できなかったらどうしよう)」と思いながら「大丈夫すよ、なんとかします」と宣言してしまう、不安と責任感が混ざりながら邁進する感覚が、ベテランになるにつれ失われていくのです。
歳を重ねると「できること」が増えてるからという側面もあるのでしょうね…。
それが、だんだんと学習する機会を減らしていくし、学習するチカラも奪っていくのです。
これって、致命的なことだと思うのですよ。
あと5年で定年退職で逃げ切れるサラリーマンならば、それほど気にはならないかもしれません。
僕は、まとまった退職金もなければ、ほぼ国民年金程度しか受給できない、フリーランスなので、75歳とか80歳くらいまで、職業人生を設定しているのです。
そのために人生を見直す目的で、セミリタイア生活を始めているのです。
今、学習するチカラを失うワケにはいかないのです。
ベテランになって、自分ができることが増えると、だんだんと「自分は正しい」と感じるようになってしまうのですよ。
さらに、ベテランになると評価やアドバイスを求められることが増えてくるのです。
そして、だんだんと「自分はジャッジ『する側』の人間だ」という気持ちが生まれてきます。
この気持ちは「ゴミクズ」ですよ。
でも、誰も指摘してくれません。自分で修正するしかないのです。
あと20年くらいは、学習するチカラをキープしなければならないのですよ。
新しい体験、失敗する体験
僕は今、人生の転換期だと感じています。過去に「人生の転換期に起こること」という記事も投稿していたりもします。
50代半ばという年齢的なこともあったり、社会環境の変化への対応だったり、職業との距離感の補正でもあったり、いろんなことが複合して「転換期」となっていることは確かなのですが、その中に「もう一度、失敗を許容する自分になろう」「学習するチカラを取り戻そう」という欲求があることは間違いありません。
こうしてブログを書き始めたことも、その一環なのですが、これからの何年かは「新しい体験」を繰り返すフェーズにしたいのですよ。
「また何かの初心者になりたい」と思っているのです。
なんとか1年以上継続することができましたが、ブログって割と「ツラい」ですよ。
当然「楽しい」成分も入っているからこそ継続できているのですが、それだけではないということなのです。
単純に「書くこと」には慣れたのですが、なかなか文章は上手くなりませんし、アクセスも思ったように増えてくれません。
当然、なかなか収益化することも叶いません。
書くことなんて、とうの昔になくなってるので、似たような記事を繰り返し書いています。
過去記事を読むと「なんだ、この気持ち悪い文章は」と目の前から消し去りたい気持ちになります。
無力なのですよ。
今は「この状態が重要だ」と思うことにしています。
思い起こせば、なんとなくモノになったことって「楽しい」と「ツラい」がほどよく混ざり合っていて、「楽しい」があったから「ツラい」を克服できたし、「ツラい」を克服することが学習だったのですよ。「楽しい」だけのものは、成長につながらないのです。
でも「このブログ。いい加減、どうにかなってくれないかな」と、切に思い続けてはいるのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。