セミリタイアを失敗するとき
2019.08.10
最終更新日:2019年08月23日
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「セミリタイア生活、失敗したらどうしよう…」と思ったりもするのですよ。フリーランスになったときの精神状態と似ています。僕はずっと「現状維持よりもまし」だと思って乗り切ってきました。そして、「健康」ならば、どうにでもなるものなのですよ。
失敗なんてするに決まってる、現状維持よりまし
「セミリタイア」という言葉の定義は、人によって若干の違いはあるのでしょうが、概ね「資産運用や貯蓄、不労所得を組み合わせながら、できるだけ労働による収入を減らして生活していこう」というライフスタイルのことだろうと思います。
ずっとサラリーマンだった人は、どこかで「早期退職」という儀式を迎えることになるでしょうし、僕はずっとフリーランスだったので「新規案件の受注を停止する」という行為が、セミリタイアへの入口でした。
「セミ」と言ってるくらいなので、完全に労働を辞める宣言ではないのですよ。
人によっては、定期的にアルバイトをしたりとか、自分でユルい商売を始めたりとか、ネット上で収益を得ることに取り組んでみようとか、いろんな手法で労働し続けることをイメージしているのが「セミリタイア」なのです。
僕は、人生100年時代、75歳くらいまで働き続けることを想定していますので「働き方の再定義」みたいな意味で「セミリタイア」という言葉をイメージしています。
今、50代半ばですから「あと四半世紀働き続けられるように、いろんなものを作り直そう」と思っているのです。
おそらく「フリーになる」「転職する」と近い行為なんじゃないでしょうかね?
大学を卒業したときに入った職場に定年まで居続ける人が多かった時代には「度胸のいる行為」だったのかもしれませんが、最近はそうでもないような気がしますが、いかがでしょう?
当然「失敗したらどうしよう」という恐怖は伴うものなのですよ。
僕の場合は、30代半ばでフリーランスになっていますから、そのときの精神状態と比較しながら、セミリタイア生活を始めています。
「二度目なので楽」なのです。
本記事のテーマである「セミリタイアの失敗」について、僕は「そんなものするに決まってるだろ」と思っています。
世の中のことはたいてい、思い通りにならないし、予想はハズレるものなのですよ。
気に入らないことが起こるたびに「ヤベえ失敗しちゃった」って思い続けるものなのです。
フリーランスになったときは、あまりお金がありませんでしたから、しばらくひもじい思いもしました。
今回のセミリタイアは、そこそこ資産(不動産&金融資産)があるし、10年くらい経てば年金が受給できますので、お金に対する不安は少ないのですが、50歳を超えていますので、健康とか知識欲に対する不安はありますね。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう)
最大の失敗は「動かないこと(=現状維持)」だと思っているのですよ。
「セミリタイアしたい」「働き方・生き方を見直したい」と思ったということは、「現状を変えたい」と思いついたということなのです。
ありきたりな言葉ではありますが「やらない後悔よりも、やる後悔」なのです。
特にサラリーマンの人なんて、ぼやぼやしてたら、定年がやってきて強制退場になっちゃいますからね。
失敗の反対は成功? 成功って何?
「失敗が怖い」のは理解できます。未知のできごとですから、失敗の種類もわかりません。
思ってもいなかったことが次々と押し寄せてくる可能性もあるのですよ。
実際、20数年前にフリーランスになったときはそうでした。
行動してみた後に、調整と修正を繰り返すものなのですよ。
事前に、相当な準備はしてたはずなんですけどねえ…。
でも、失敗の反対って成功ですよね。「セミリタイアが成功した状態」ってどんな状態なんでしょうね
なんとなく、のんびりしたところで暮らしてて、まったりとユルめの仕事に従事している自分を想像しているのですが「やってやったぜ!」と拳を振り上げている感じでもないのですよ。
そりゃまあ、要所々々でそれなりの達成感は得られるのでしょうが「オレは成功してやるぞ」的なガツガツ感を排除する生活がセミリタイアなのだろうと思います。
僕の20余年にわたるフリーのデザイナー生活も、概ね成功だったのかなと思っています。
開業後の数年はバタバタしてましたけれど、なんとなく満足のいく収入は得られたし、50代半ばでセミリタイアを考えられる程度の資産形成はできたし。
「生きるためにデザイナーをやり続けなくてもいいんだな」という気にはなることができました。
でも「成功した。ヨシ人生このまま突っ走ろう」とはならないのですよ。
「もういいや、次の世界を見てみたい」と思ってしまうものなのです。
これから先「ヨシやったぞ! オレのセミリタイア生活は成功した」と思うことがあったとしても、同時に「さ、次は何やろう」と思いはじめるはずなのですよ。
結局「成功」なんて概念を持っても、それはゴールにはならなそうなのです。
失敗のパターン
セミリタイア生活を送りながら、気に入らないことがあれば「ちっ、失敗しちまった」と思い続けることになるのですよ。
そして調整・修正を繰り返しながら過ごしていければ、それでいいと思うのです。
たぶん、大小のトラブルは起こり続けるのですよ。
僕のフリーランス生活の中でも、そんなことは多々ありました。
そんなときは「ま、自分で選んじまった生き方だから、仕方ねえか」で、折り合いを付けていました。
「自分の周りで起こる、すべてのことは自分に責任がある」と思ってたほうが楽のですよ。
とはいえ、事前に想定できる「失敗のパターン」というものもあります。
「セミリタイア生活を始めようとしてる今って、フリーランスになったときに似てるな」という印象を持っている僕が考えていること、という前提でお読みください。
孤独との戦い
通勤から解放され、職場の鬱陶しい人とコミュニケーションを取らずに済むようになって、清々しますが、一方、家族以外と会話をすることがめっきり減ります。
僕の場合は、孤独が好きだったのですよ。ひとりで引きこもって作業や学習と格闘する時間を快適だと感じることができたのです。
(参考)
このフリーランスの20年間も「もっと、ひとりの時間を大切に」「もっと、無駄な対面業務を省けるように」という方針を取っていました。
その結果行き着いたのが「セミリタイア」なんですけどね。
新しく出会う人々との人間関係
20年間のフリーランスのデザイナー時代の出会いと人間関係には、とても恵まれていました。
この件については、先日投稿した「僕がクライアントに恵まれたデザイナーだった理由」をご参考にしてください。
自分が行動することで、人間関係が撹拌されることは確かです。
その行動を好む人が寄ってきて、そうではない人は離れていく。したがって快適な人間関係が構築されるものだ、とは思っています。
ただ、僕は「田舎暮らし」をしようとしているのですよ。
おそらく、セミリタイアと地方移住をセットで考えている人は多いのではないでしょうか。
僕は、生まれ故郷である山口県萩市に移住することに決めているのですが、地縁は残っていると言っても、成人してから一度も萩市民であったことはないのです。
いろんな地域ルールに対する不安はありますよね。
資金の枯渇
それなりの皮算用はしているはずなのですが、どうしても不測の事態は起こるはずなのですよ。
いや「絶対に起こる」くらいに思っています。
僕は「不動産」「金融資産」「労働」の3本立てでセミリタイア生活を送ろうと思っていますが、地震で東京のマンションが壊れ、世界恐慌で金融資産が無価値化することも想定しています。
そうなれば、すべての生活を労働によって賄う状態に戻らなければならないのですが、健康であればどうにかなるだろうと思っているのですよ。
セミリタイア生活の失敗を回避するために、もっとも必要なことは「健康」なのです。
これから先の「健康」を保つために「セミリタイア」生活をすることを決断したような部分もありますから、両輪ってことですね。
現時点で残っているデザイナーとしての仕事がすべてクローズして、いったん無職になったら、1年以上の長期休暇をとるのも「健康」のためなのです。
将来「セミリタイア生活を失敗するとき」が訪れるとすれば、それは僕が健康を失ったときなのでしょうね。
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関連して「移住だってセミリタイアだって、失敗するに決まってる」という記事を投稿しました。
続編というか「失敗することを前提として、それに対応するために、心地よい力(リキ)みを持ち続けよう」「風景が変わり続けることを感じ続けよう」という内容です。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。