follow hagi.life

心の休息。セミリタイアを始めて感じた効果

2019.08.13

最終更新日:2019年10月04日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「セミリタイア生活始まったな」と自覚するようになって、まだ1年も経過していないくらいなのですが、少しずつ変化は感じるのです。今回は「心の休息」について触れてみます。フルで働いていたころには、さほど気にしていなかったことなのです。

僕は今、セミリタイア中です。
このブログ内でも、繰り返し書いているように僕は元々フリーランスでしたから、サラリーマンの方のように「本日退職しました、明日からセミリタイア生活に突入します」という記念日設定はできないのですよ。

まず、新規案件の受注を停止し、運用中の案件がクローズするに従って、少しずつなだらかにセミリタイア生活が始まっていっているのです。
まだ複数の案件を抱えていますが、すでに週2・3日しか働いていないので「セミリタイア生活。はじまりました……かな?」くらいの感じなのです。

それでも、かなり気持ちが穏やかになりつつあることに気づいているのですよ。
明らかに効果が現れてきているのです。

暇を暇のまま受け入れられるようになった

仕事量が極端に減っているので暇です。
かれこれ、数ヶ月間はこの暇な状態が続いています。

この暇な状態を、快適なことだと感じられるようになっているのですよ。
以前「フリーランスの僕が暇な時にやったこと」という記事を投稿したことがありますが、僕はずっと暇な時間を「学習」や「準備」に充てる習慣を持っていました。

裏返せば「暇は不安。暇は恐怖」だったのです。

今は、暇な時間を何かしらの学習に使うようなことを意図的に避けています。
現在運用中の案件がすべてクローズしたら、1年以上の長期休暇を取ることに決めているからなのです。

「休むことに集中するフェーズを作ろう」と思っているのです。

それでも、ちょっと気になったことがあればググりまわって調べ物に時間を費やしますし、YouTubeもビジネスに関係した動画ばかりを観る傾向にはありますが、まあバランスの問題ですよね。

暇な状態に不安を感じて、無理に何かして埋めようという欲求は起こらなくなっています。
暇を暇のまま受け入れ、ずっと「自分がやりたいこと」「観てみたい景色」を考え続けていることが快適なのです。

奇しくも、先日投稿した『「平日昼間、遊ぶ友だち」を求める代わりに僕は、田舎を目指す』という記事に

僕の思い込みに過ぎないのですが、世の中には「暇、つぶしたい派」と「暇、作りたい派」がいると思うのですよ。

と書いたのですが、一切「暇をつぶしたい」と考えなくなってきています。

「いったんゼロに戻す」と思いついてから楽になった

セミリタイア生活を始めるに当たって、僕は30年間続けてきたデザイナーという職業を辞めることを決めています。
なのでもう「これから先、デザイナーとして食っていくためには」ということを考えなくてもいい状態にいるのです。

とくに「もうこれで十分だ」とか「ヨシやり終えたぞ」などという感情はありません。
なんとなく「もう、ここらでいいかな。次の景色も観てみたいし」くらいにしか考えていません。

「好きなことで食っていきたい!」と始めた職業だったのですが、あっさりしたものです。

デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ」という記事を投稿したことがありますが、完全にデザインを捨てきるわけではないことを自覚していますので、その昔、グラフィックからWebに軸足を移したときと同じようなものだと捉えているのかもしれません。

デザイナーであることを辞め、長期休暇を取ることで「いったんゼロに戻ろう」と考えているのですよ。

すこし前に投稿した「準備作業としての、セミリタイアとか長期休暇とか」という記事に、

いったんゼロに戻す工程ってあるのですよ。
たとえば、お風呂掃除だったり、キッチンの片付けだったり。運動部経験のある人ならば、グラウンド整備とかコートのモップ掛けとか。
「やり終わった状態」ではなくて「やる前の状態」を作る工程ですね。

という一文を書いています。
いつどこで思いついた考え方なのか、昔何かで読んだのか、誰かに聞いた言葉なのかは覚えていませんが、今の僕にとってとても安らぎを与えてくれる考え方なのですよ。

セミリタイアすることを決めたし、こうしてブログを書いてるからこそ見つかった考え方だと思っています。

心の休息。もっと早く意識とけばよかった

10年15年前の自分を戒めることができるのならば、もっと「心の休息」を大切にすべきだったと思っています。
当時は、収入が上げることが嬉しかったし、新しい技術や考え方を吸収することが楽しくて仕方ありませんでしたから、「心の休息」なんてクソだと思っていましたけどね…。

「寝る間を惜しんで仕事と向き合うことこそ『心の休息』だ」くらいのことを思っていました。

なので今、30代40代くらいのクリエーター系フリーランスに「心の休息というものをな…」って言っても誰も聞いてくれないとは思うのです。

それでも、こうしてブログに書いておけば、誰かの目に止まって、そのときは「フン」と思われたとしても、あとから「そういえば、心の休息がどうのこうのって書いてた人、いたな」と思い出してもらえることもあろうかと思うのです。

僕は48歳のときにパニック障害を発症しています。

今でも、日没時に軽い寂寥感があったり、意味もなく動悸がバクバクすることもありますが、概ね上手く折り合いはついています。
「いやなこと、やんない」って決めましたからね。
実際には「ちっ、しょうがねえな」と引き受けたりすることもあるのですが、「やんない」って決めてるだけで、心が落ち着くのですよ。

この出来事がセミリタイアを含め、いろいろと考えるきっかけとなっています。

この発作が起こるまでに「心の休息」を取る習慣を身につけていれば、「セミリタイアしよう」なんてことを考えずに、60歳70歳になっても、楽しくデザイナー生活を送っていたかもしれません。
逆に、メンタル壊すほど仕事と向かい合ったからこそ、50代半ばにしてセミリタイアを考えられる程度の資産を形成できたのかもしれません。

「どちらが良かったのかわからない。塞翁が馬だね」なんてことが言いたいわけではありません。
前者のほうが良かったに決まってるのですよ。

健康に優る価値などありません。
仕事のクオリティなんて、テキトーに切り上げてでも健康を守るべきだと思うのです。

そうそう、古い記事を見返していたら「セミリタイア生活をはじめたら睡眠時間が増えた」なんて記事も書いていますね。

この記事を書いた後、睡眠が上手くいかない日がなかったわけではありませんが、概ねセミリタイア生活を始めてからのほうが、睡眠時間は伸びていると感じます。
僕は元から「何時に起きなければならない」ような生活をしていませんので、単純に自然睡眠時間が伸びてきているのです。

なんとなく、アタマもクリアになっているような気がします。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。