穏やかな生活とジャンプアップ
2019.08.14
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「セミリタイアをすると、生活が穏やかになっていいよ」という記事を書くつもりで筆を進めたのですが、違ったところに着地していました。どうやら僕は、ジャンプアップの下地作りとしてセミリタイアを選んだようです。そういうのが好きなのですよ。
もう、半分を過ぎている
40歳になるくらいからでしょうか。
「そういや、もう人生の折り返し地点だよな」みたいなこと、考えるものですよね。
僕は今50代半ばなので、もう完全に「人生の後半部分」を過ごしています。
だいたい朝の5時くらいに目が覚めて、夜の22時くらいに就寝する生活をしているのですよ。
そうすると13時半、お昼ごはんを食べたあとの、ちょっとウトウトっと眠たくなるくらいの時間帯が、1日の折返しなんですね。
こう考えてみると、今まで得に意識はしていませんでしたが、前半部分でルーティーンをこなし、後半部分で取り組むタスクを整理する。
後半部分は、決めたとおりに予定をこなしていくような1日を「快適だ」と感じるようです。
現実的には、前半部分から、すぐに取り組まなければならないタスクがジャンジャン押し寄せてくるし、後半になっても割り込みが止まることなく、バタバタと1日が過ぎていくようなことが多かった人生でした。
それを嫌って、セミリタイア生活を始めたのです。
「人生の後半は穏やかな生活を送りたいな」と思っているのです。
ただ、その一方で「これからの人生、何も起こらなかったらどうしよう」という恐怖もあるのですよ。
「穏やかな生活が欲しい」と思いつつも「イベントが起こってほしいな、自分で起こしたいな」と思っているのです。
イベントを起こしたいからこそ「セミリタイア生活」を始めたという側面もあるのです。
ずっと自問自答し続けていることなのですよ。
なんとなく、連続的に学習や調整・修正を継続するために「穏やかな生活」を求めているんだろうし、その結果どこかしらでジャンプアップの快感を得られるはず。それがなかったら、人生つまんないじゃん…ということなのだろうな、と自分の中では折り合いをつけているところです。
「矛盾なんかしていない」ということにしています。
何も起こらなかったら、どうしよう
このブログ内のいろんなところで言及していますが、僕は30代半ばにフリーランスになったのです。そして今、50代半ばでセミリタイア生活を始めたのですが、この二つの「人生の転機」の心理状態がとても似ているのですよ。
たぶん「ジャンプアップ欲」みたいなものが満ちてきている時期なのです。
それが20数年前、フリーランスになったときには、
- 自分の会社とクライアント欲しい
- 自分の仕事のことだけ考えて、24時間365日使いたい
だったのが、今回のセミリタイアを始めたときには、
- クライアントや代理店から逃れたい
- 自分のやりたいことだけ考えたい
- 遊びながら、いろんなこと試したい
に変わっているだけだと思うのです。これが「穏やかな生活」なのですね。
このブログ内では「生産的な趣味」という言葉を使って表現している働き方を目指す土台のようなイメージでしょうか。
環境を変えて、自分の好きな取り組み方で、試行錯誤の方法で、ものごとに取り組めば、その先に成長があると信じてるのですよ。
それは決して直線的なものではなくて、ある日突然「ジャンプアップ」という形で感じられる成長なのです。
これまでの人生の中で何度か経験している快感なのですよ。
これがあるから、自分を取り巻く環境をすべて取り替える決断ができるのだろうと思います。
だから逆に「何も起こらなかったら、どうしよう」という不安にも苛まれるのです。
結局、やってみなきゃわからないから…
冒頭で「人生の後半部分を過ごしている」と書きました。焦りがあるのですよ。
僕は「人生100年時代」を真に受けています。だから「人生まだまだ、やることあるぞ」とは思っているのですが、同時に心身ともに衰えも感じるのですよ。
サラリーマン年齢に換算すれば、もう少しで「定年退職」なのです。
意図的に「アクションを起こせるときに起こす」ことをしないと、何も起きないままゲームオーバーになってしまうのです。
今回の記事、「セミリタイア生活に入ると、暇ができるし、生活が穏やかになっていいね」という記事を書こうとしていたのですよ。
昨日「心の休息。セミリタイアを始めて感じた効果」という記事を投稿しましたので、それから連想して「穏やかな生活」というタイトルを決めて書き始めたのです。
でも、僕には「これから先ジャンプアップするための、下地を作っているフェーズ」としか感じられないのですよ。
たぶん、そういうのが好きなのです。
「本当に何も起こらない、穏やかで平和な生活」を幸福だと感じる性質もなくはないのです。
事実、セミリタイア生活に入って、仕事が激減して暇が増え「楽チンでいいな〜」と思っていますから。
でも一方、頭の中で「あれやりたい」「これやりたい」をたくさん考え始めています。
以前投稿した「新しい感情」の中で書いた「心の熾火(おきび)」が、次々と頭の中に浮かんできているのです。
「今、上手にできないこと」とか「過去、できずに放置したもの」がすごく気になるのですよ。「ん〜、もう一回やってみるか、たぶん今度は上手にできる気がする」を止められないのですよ。
そんなことをやってるのが、楽しい質(たち)なのですよ。
あと何回できるかわからないけど、できるだけ長く、そんなことを続けていたいのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。