「余命30年」と考えたら、つまらないことなんかやってるヒマない
2019.08.24
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。自分の死(終末)をイメージすることって「縁起でもない」ことなんでしょうかね。僕は「余命30年」だと考えた上で「楽しいことに集中したいな」「つまんないことに関わりたくないな」などと思っているのです。
自分の残り時間を把握しよう
「死ぬことを考えるなんて、縁起でもない」じゃないのですよ。
自分に与えられた残り時間は、ちゃんと把握しておいたほうが良いと思っているのです。
厚生労働省「簡易生命表」/平成29年(2017年)によると、日本人男性の55歳時点での平均余命は28.08歳なのです。
(参考:日本人の平均寿命はどれくらい?|公益財団法人 生命保険文化センター)
細かい数字は丸めさせてもらって「僕の余命は30年」なのです。
おそらく、その中の5年間を人生の終末に使うとすれば、僕がこのブログで「あと20年から25年程度は職業人としての人生を続けたい」と書いていることと、なんとなく計算が合うのです。
いっぽうで僕は「人生100年時代」を真に受けています。
その場合は余命は40年以上あるということになるのですが、そうなっても他人に迷惑をかけないような準備だけはしておこうと思っています。
とはいえ、40年後の自分がどういう状態であるのかは何もわからないので、静かに生きられる程度の資産を残しておくくらいのものでしょうかね。
「人生100年」と「余命30年」、矛盾してますが、このへんは自分ではどうしようもありませんからね…。運に任せましょう。
さて「余命30年」の話ですよ。
だいたい、僕が大学を卒業して社会人になってから「そろそろ、セミリタイア生活始めたいな」と考え始めるに至るまでの期間が約30年なのです。
なんの役にも立たない駆け出しが、いっちょ前にを経て、親方(=フリーランス)として何年か頑張った末に「そろそろバテた。手ぇ抜かしてもらうよ」と言い始めるまでの期間なのですよ。
こうやって、他人事としてみてみれば、とてつもなく長い期間なのですよね。
だから僕は「また何かの初心者になりたい」などと思っているのです。
「残りの人生で、もうワンゲームできるな」と思っているのです。
ただ、自分の体感では「なんだか、あっという間だったな」なのですよ。
だから、残りの人生も「あっという間に違いない」と思っているのです。
自分の人生を「余命」で考える意味
僕は、美術教育を受けてもいないのに、社会人になってからデザイナーになり、その上フリーランスになってから20年間もデザイナーとしてメシを食ってこられたことをとても「運がよかった」と思っています。
(参考:何歳になってもコンプレックスを克服できない)
はじめた頃は「これが、オレの一生の仕事だ」なって思う反面、心のどこかに「10年先のことなんて考えられない。デザイナーなんて仕事、なくなってるかもしれないし…」なんてことも考えていたのですよ。
ほんとうに「運」は大切です。
寿命に関してもそうだと思うのですよ。
今こうして「オレの余命30年」なんてことを書いていますが、そんなことは誰にもわからないのです。ほぼ「運」で決まるのですよ。
でも「運」は自分ではどうしようもないので、みんな物事が上手くいくことを前提にいろんなことを進めていくし、準備もするし、いろんな工夫もし続けるのですよ。
そうやって、自分自身で腑に落ちる基準を作っていくのですよね。
前項で「残りの人生で、もうワンゲーム」と書きました。
30年前に始めて、今やめようとしているゲームの中から、つまんなかった部分を削ぎ落とし、楽しかったイベントを多めに発生させるようなゲームにしたいと思っているのですよ。
自分でも誤解なきように、定期的に整理しているのですが「デザイナー」という役割を得たことはつまんない部分ではないのですよ。
とても楽しかった。デザイナーだったからこそ、つまんない場面を乗り切れた局面は多々あります。
だから「デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ」なのです。
「つまんなかったこと」って、ひと口で「この部分」って言い表しにくいものだったりします。
そのときは重要に考えてたり、乗り越えるべきものだったり、「仕方ないか」と許容して受け入れたりもするようなものだったりしますからね。
なかなか「これとこれを省きます」って、具体化できないのですよ。
とりあえず直感。思いつくまま
振り返ってみると、前のゲームは「お金を稼ぐゲーム」だったんですよね。
巨額の富を築くには至っていませんが「メシが食える」程度ではあったし、今こうして「セミリタイア生活を始めよう」と思える程度の運はありました。
余命30年。次は「自分の好きなもの/ことを明らかにするゲーム」だと思っています。
しがらみとか人脈とか、もうどうでもいいので「直感」に頼っていろんなことをやっていこうと思っています。
フリーランスですから、もともとそういう傾向もあったのですが、それをもっと「自分寄りに」「ワガママに」処理していこうと考えているのです。
50年も生きているので、なんとなく「この人、この案件、このイベント。つまんないな」という直感が上手く働くようになっているのですよ。
たいてい「あれ? なんか気が乗らないな」という違和感として訪れるのですが、これ、ほぼ的中するのですよ。
この転機を境に、自分の直感をもう少し重用しようと考えているのです。
楽しさを求めるゲームでもあり、つまらないことを回避することを楽しむゲームでもあるのです。
ちょっと話がズレますが。
多くの人が「他責的な人」「言い訳・グチの多い人」「嫉妬深い人」を嫌いますよね。僕も同様です。
加えて、僕の場合「変なビジネスモードの人」が苦手だったりします。
これ、上手く言語化できないのですよ。そのうち、いい言葉が見つかればいいのですが…。
仕事の話が嫌いなわけではありません。むしろ大好きです。
盛り上がってるときに、現実的な話で水を差す人。これも、それほど「チッ」とはなりません。
人の話を遮ってまで、自分語りをする人。これはクソだと思いますが、このケースにはあてはまりません。
なんだろ? 「こっちが仕事出してるんだぞ」感が滲んでる人かな? できもしない「仕切ってますよ」感なのか…。どこかしらに自分の名前を載せたがる人なのか…。
もしかすると、そういうものの複合なのか。
それとも「こいつと仕事の話しても楽しくもなんともないな」ってだけなのかもしれません。
とにかく「なんかソリの合わないビジネスモードの人」っているのですよ。
「仕事で付き合ってる分には仕方ないけど、プライベートを共有するのは無理だな」程度の違和感なんですけどね。
そういうのからも、できるだけ遠ざかりたいのです。
「苦手な人の克服も、自身の成長です」とか考えていないのです。
「最近、人を遠ざけることを考えてることが多いな」と思います。こうして、ブログでもよくそんなことを書いてますしね。
20年前にフリーランスになったときも、こんな感じだったんですよ。人間関係が大きく入れ替わりました。
たぶん、自分が変わっていってるからなんでしょうね。
20年前のときは、チョット悩みました。自分の周りから人がいなくなっていくような感触があったり、これまで好きだった人に対して疎ましさを感じるようになったりしていましたから。
でも今回は「自分は、人生の転機にはそんなふうになる。そういうもん」だと判っていますので、気楽に「人間関係の断捨離」が捗っています。むしろ、自分が純化されているような感じがして、快適です。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。