セミリタイア期を作って、人生を再スタートする
2019.08.31
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。上手に再スタートできる人生って、豊かだと思うのですよ。でもそのためには、資金的な余裕があったほうが選択肢が広がるのです。僕は今、いったん「セミリタイア」という状態を作った上で、ゆったりと人生の再スタートに取り組もうとしているのです。
僕はセミリタイアに悠々自適を求めていないのです
昨日投稿した『「そんなに休んだら戻ってこれないよ?」でも、いいじゃない』、最後を
なのでこのブログ「セミリタイアします、仕事辞めます」と「新しいことにチャレンジします。あれやりたい、これやりたい」が並走している、おかしな立て付けになっているのです。
という一文で締めたのですが、ここ数年を振り返ると、ずっと「今やってることを辞めて、別のこと始めたい」と考え続けているのです。
このブログを書きはじめて、約1年間ずっと、
- フリーランスのデザイナーを辞めたい話
- 生産的な趣味そしての仕事を作りたい話
- また何かの初心者になりたい話
みたいなことを書き続けていて、ずっと思っていたのが「オレ、悠々自適な生活を送りたくてセミリタイアを選んだんじゃないな」ということなのです。
リスク回避なのですよ。
20年以上フリーランスのデザイナー業をやってきたのですが、50代半ばの今に来てバテてきています。よく言う「焼きが回ってる」状態になっているのです。
(参考:50代半ば、フリーランスのWebデザイナーが考えていること)
とはいえ、フリーランスにはサラリーマンのように退職金が出るわけではありませんし、法人化して、たんまりと厚生年金を納めていたりしている人は限定的でしょうから、いろんなものを組み合わせて、老後の生活を組み立てなきゃいけないんですよね。
僕の場合は「不動産賃料」「金融資産の取り崩し運用」「労働」の三本立てて老後の資金を捻出するつもりでいます。
ずっと「労働」は残し続けるつもりなのですよ。
もともと、何かを「作る」ことが好きだし、承認欲求も満たし続けたいですからね。
社会の役に立ってる感は持っていたいのです。
そして、これまでの「デザイナーとしてバリバリ案件を受注したい、お金もいっぱい稼ぎたい。寝なくてもいい」というという考え方から「お金は必要最低限でいいから、好きなことで、75歳くらいになってもできる強度の労働に」という考え方にシフトしようとしているのです。
ゆったりと人生を再スタートしたいのです
もともと「セミリタイア」という言葉に明確な定義はないはずのですよ。
リタイアは「引退」なのでしょうが、くっついている「セミ」については人の数だけ解釈がありそうな気がします。
前項で書いたように、僕は「今やってることを辞めて、別のこと始めたい」と考えている時期なのですよ。
「別のことを始めたい」が、セミリタイアの「セミ」の部分なのです。
現在、50代半ばなので、あと20年もしくは25年程度、楽しくゆったりと取り組める職業を作りたいのです。
そのために、最初の5年程度は無職のまま、当たりがでるまで、サイコロを振り続けるような時期を過ごしてもいいと思っています。
「その期間で、次の人生が決まればいいや」くらいの感じなのです。
悠々自適な暇な老人になるのもイヤだけど、アクセクと次の目標を探し回るようなこともしたくないのです。
だから「セミリタイア」という表現がしっくり来ているのですよ。
絶対に失われなくて、楽しくて、収入をたっぷり得られる職業なんて、ひとつもないのです。
僕は、人生100年時代を真に受けています。
なので「どこかで、人生の再スタートが必要になるに決まってるじゃん」と思っているし、僕にとってはそれが今なのですよ。
この時期に「いったん無職になろう」「そして人生を再スタートしよう」と考えられるだけの資産形成ができていたことは「運がよかった」としかいいようがありません。
「所有欲を摘まないと、危険だな」と、運転免許を意図的に失効した20年前の自分に「正解だったぞ」と告げたいと思います。
人生の中で「セミリタイア」するためには、準備と運が必要
人は、50歳過ぎるとバテますよ。
僕は40代半ばくらいまでは、80代になっても多作だった葛飾北斎なんてモンスターを引き合いに出しながら「生涯現役。80になってもバリバリ現場で働きますよ」なんて言っていのですけれどねえ…。
凡人はなかなか、そんなパワーを持って生まれてきていないのですよ。
「オレもそろそろ、焼きが回ってきたな」と感じ始めてから、微調整や修正作業を繰り返してきたのですが、どこかしらで「こりゃもうダメだな」という結論に至るときが来るのですね。
「もういい、辞めた。別のことやる」と。
そのときに「セミリタイア」という手法を取るためには、資金的な余裕が必要です。
僕の場合は、
- 不動産収入で毎月いくら入って、使えるのがいくら
- 金融資産を30年間取り崩し運用すると、毎月使えるのがいくら
- 65歳から年金受け取るといくら、70歳まで繰り下げるといくら
- 出資してる会社が、あと○年生き続ける……はず
みたいな皮算用を繰り返して、労働による収入がゼロになっても、なんとなく「豊かとは言えないけど、死ぬことはないな」という感触を得ることができたので「セミリタイアしよう!」という決断ができたのです。
お金のために働かなくてもいい期間を得られることで、次の職業をゆったりと構築することができる、そんな恵まれた状況にあることは、準備と運のおかげだと思っています。
繰り返しになりますが、凡人はなかなか「生涯現役」とはならないのですよ。
若くて馬力のあるうちから、将来の「セミリタイア」をイメージして資産運用等の準備をしておくことをお勧めします。
僕はフリーランスですから「今の仕事から去って、次の仕事を作るためのセミリタイア」だと思っていますが、サラリーマンの方でもいきなり会社が倒産したり、リストラにされたりすることもありえますからね。
「労働がなくなっても、生活できるための準備」ってとても大切だと思います。
もちろん「運」の影響も大きいのですが、これは自分ではどうにもなりませんからね…。
再スタート可能な人生って、豊かだと思う
人生100年のうち、60年くらいが職業人としての人生だとすると、20代で選んだ職業が80代まで存続してるとは、ちと考えにくいですよね。
職業としてはなくなってなかったとしても、やることはガラっと変わってるはずなんですよ。
僕だって、駆け出しのデザイナーだった頃は、厚紙にノリで写植っていう文字がプリントされた印画紙を貼り付けるようなことしてましたからね。
当時の写植屋とか製版屋って、どのくらい生き残ってるんでしょうね?
それが、DTP(Desk Top Publishing)だって言ってPCで作ったデータを入稿するようになるし、僕はフリーになった後にWebに軸足を移したので、htmlやらcss、Javascriptなんかのプログラミング言語的なものを扱わなきゃならなくなってしまいました。
その間、たったの30年。
職業人生60年の、まだ半分なんですよ。
「あ〜やだ。他に何か楽しいことないのかね?」なんてことを考える機会も増えると思うのですよ。
そうすると、別の業界でもいろんなことが新しくなってて「あれ面白そうじゃん」ってことが増えてるはずなのです。
「あっちのが良さそうだな」と思うことも増えるし、「オレの持ち場とは違うけど、ちょっと手を出してみるか」となりがちだと思うのです。
職業人である間に、どんどん目の前に選択肢がやってくるのですよ。
「いったん止まって、目の前のいろいろを見比べてみるか」というフェーズが何度かやってくるはずなのです。
僕が20年前にフリーランスになったとき、ちょっとそんな気配を感じてたんですよね。
最初は、自分が思うほど上手にはできませんでしたけど。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう)
その「面白そうなの、増えてきてんな」という感じ、年々加速している感じを受けています。
たぶん、そのまま加速し続けるんでしょうね。
「今のこれ辞めた。こっちの楽しそうなのやってみる(=再スタート)」を繰り返したり、パワーアップしてまた前の場所に戻ったり。
当然「選択基準」も磨かれるから「とりあえず手を出してみる別の分野のもの」にもアタリが増えてくるだろうと思うのです。
人生100年時代(=職業人生60年時代)は、自分をパワーアップさせる機会が増える時代なのだと考えています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。