定期的に「生産的な趣味」について考える
2019.09.03
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。このブログのあらゆるところで「生産的な趣味」という言葉を使っています。とてもしっくりきているのですよ。僕は消費よりも生産に「楽しさ」を感じる性格なのです。そして今「生産」との向き合い方をちょっと変えてみたいフェーズなのです。
昨日投稿した「[フリーランスの老後]娯楽としての職業」という記事、「これって、このブログ内でよく使ってる『生産的な趣味』と同じ意味合いのことを違う言葉で考えてるだけだな」と思いながら書いていました。
書き始めには、少し異なることを考えていたはずなのですが、どうしても「何かしら、自分の手で何かをこさえたり、価値を生み出すことが好きなのです」みたいなところに着地しがちですね。
たぶんこれが僕の「こうなりたい」姿だと思うのです。
「生産的な趣味」についてなら、他にも
などで書いていますので、ご参考に。ちょっとずつ、考え方も変わってきています。
生産しない苦痛に耐えられない
暇な時間がどんどん増えているのですよ。
僕は今、セミリタイア生活をはじめています。
元々がフリーランスのデザイナーですから、サラリーマンの方のように退職した日からセミリタイアが始まるわけではなく「もう新規案件請けませんよ」と宣言したのち、徐々に手元の案件がクローズしていくことで、なだらかに始まるタイプのセミリタイアです。
先日、またひとつ案件がクローズし、手元に残している運用案件があと1件になりました。
年内に無職になるのは間違いないでしょう。
そしたら、少なくとも1年以上の長期休暇を取ることにしています。これが、セミリタイア生活の最初の目的なのです。
「1年くらい、労働から離れて自分と向き合おう。そして残りの人生の方向性を決め、準備を始めよう」と思っているのです。
とはいえ、繰り返しますが、今は日々「暇」なのです。
毎日々々こうしてブログを書く日課が続いているのは、おそらく「生産しない苦痛に耐えられないから」なのだと思い始めています。
奇しくも昨日のブログ記事のタイトルに「娯楽としての職業」と付けたように、生産って、娯楽的要素がとても強いのです。「楽しい」のですよ。
生産のために労働することから解放され、娯楽のためだけの生産活動にすることが、僕のセミリタイアの目標なんですよね。
それを職業化(=マネタイズ)したいとも思ってるのですが、それは「あとからじっくり」ということになろうかと思っています。
消費を趣味にすると、満たされませんよね
人には承認欲求や自己顕示欲がありますよね。他人から、自分の存在を認められたいものなのですよ。
昨日投稿した「[フリーランスの老後]娯楽としての職業」でも少し触れましたが、歳を取るとこの欲求が変な方向にこじれてしまうのですよ。
だから僕は、いったん群れから離れて、ひとりで考える時間を作ろうとしているのです。
「人生100年時代」ということになって、職業人としての寿命も長くなっていますから「労働=生産」「趣味=消費」という図式は成立しなくなるように思うのですよ。
「労働=生産」はバテるし、「趣味=消費」は飽きるからなのです。
たぶん「生産は娯楽。楽しい」って間違ってないのですよ。消費よりも楽しいのです。
みんながSNSで、きれいな写真を掲載したり、ちょっと思ったことを文章にしていたり、それで「いいね!」が付くと嬉しかったり。
これって、生産によって承認欲求が満たされるから「嬉しい」のですよね。
だから「生産的な趣味」なのですよ。
たぶん「読書」「音楽鑑賞」「旅行」「ゲーム」などいった、これまで代表的な「趣味」とされてきた、様々な消費よりも、生産の方が楽しいのです。
もちろん「DIY」「家庭菜園」「狩猟」「俳句」などの「生産的な趣味」は、伝統的に存在していましが、人々の寿命が伸び、労働が効率化され、「暇」になることで、より楽しさを増してくるだろうと思うのです。
「仕事でもないのに、ものをこさえたくないよ」ではなくなるはずなのですね。
頑張らない生産
ずっと、頑張って生産してきました。デザイナーが僕の職業でしたから、当然ですよね。
頑張れば、頑張るほどクオリティが上がると思っていたし、頑張ってクライアントに満足してもらえるレベルにまでクオリティを上げていたから、次の仕事がもらえていたのですよ。
まさに「仕事の報酬は仕事」だったのです。
頑張ることによって成果が出ることを感じると、頑張ってない自分がちょっとイヤになったりするのです。
なので、仕事がないときや、休みの日にも「頑張る」べきことを探し出して、なんだかんだとやってました。
それはそれで、充実してたんですけどね…。
フリーランスの僕が暇な時にやったこと
ただ、僕は40代後半で「頑張る」ことにバテたのですよ。
このブログの中でもときどき触れていますが、パニック障害を発症してしまったのです。
そのころから「頑張るって、60歳70歳まで持たないぞ」と思い始めるようになりました。
「休暇って必要だよね」とか「楽しみ要素を大切にしないとね」と。
これが、今の「とりあえず仕事辞めて、セミリタイアして、長期休暇」「あとのことは、それから考える」につながっているのです。
なんとなく「頑張らない生産によっても、クオリティって上がるんじゃない?」と思っているのですよ。
ほら「とりあえず今日は流して走っとこ」ってときに、最高タイムが出たり。
最後の試合が終わって、後輩の指導のつもりで練習に参加したら、超絶調子良かったり。
そんな経験、ありませんか?
これからは、頑張らない生産に取り組んでみたいと思っています。
とはいいつつも、自分の中のこだわりとは戦い続けることにはなるんでしょうけどね。
たぶん、クライアントワークで「頑張って」たときよりも、いい結果が出る。そんな気がしているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。