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関心のない情報から距離を置く

2019.09.04

こんにちは、萩ドットライフ()です。

押し寄せてくる情報の中から「関心をもたなくていい情報」を選別するという、変な行動を取り続けています。そうすることで、無関心でいられる分野がクッキリしてきて、「オレ、これに関心もたない」と判断することにストレスを感じなくなるのです。

情報収集用のtwitterアカウント

このブログで、いつも冒頭で「こんにちは、萩ドットライフ(@hagidotlife)です」と紹介しているアカウントではないtwitterアカウントを持っています。

そちらのアカウントでは特に何かを発信するわけでもなく、ニュースサイトやら、インフルエンサーと呼ばれる著名人のアカウントをフォローしています。
ネット上で「この人とこの人がケンカしてる」などと話題になると、フォローしてみて、飽きたら外すということを繰り返すためのアカウントです。
企業や、政治家や政党、タレントさんのアカウントもフォローしています。

政治とか経済とか、技術の進歩とか、森羅万象になんとなくの興味はあるのですよ。
興味はあるのですが、何ぶん知識の乏しい分野が多すぎて、なんらかの意見を持っていることなど、それほどありはしないのです。

だから知識を持ってそうな人々の会話を「ほぅ、そいうものか」とか「なんかちょっと怪しいから、自分でググってみよう」などと思いながら眺めています。

こうしたツールを使う目的は、自分に関係のあるものと、ないものを大まかに分けることなのですよ。

「この話は、オレにゃ関係のない話だな」と、いったん意識の外に追い出しておきながら、他人事として情報を追いかけ続けていると、楽ちんなのですよね。

「情報収集用のアカウント」は「情報を捨てる用のアカウント」でもあるのです。

世の中にあふれる情報の多くは、どこかしらで「これに関する知識ない。でも関係ない」という意識を持ちながら、チカラを抜いて接したほうが精神衛生上、好ましいと思うのです。

僕が少しでも関係している(=知識を持ってる)分野だと、他人の言動が気になって仕方ないんですよね。
自分にとって、大事な問題なもんだから、他人もそうだと思いこんでる節があるし、他人のテキトーな踏み込みに苛ついたりしますしね。
「自分ごと」の情報に接するためには、それなりのエネルギーを要するのです。

だから「他人ごと」の情報を増やしたほうが楽なのです。

今、世間を騒がせている日韓問題にしても、年金問題にしても、テキトーな距離を保ちながら接していて、自分の生活に直接関係がありそうだと感じたら、そのとき始めて踏み込めばいいと思うのですよ。

だって、twitter上でキーキー言い合ってる人たち、多いじゃないですか。
まあ、あれはあれで娯楽だったり、ビジネスとして成立してる部分はあるんでしょうけどね…。

外野として眺めてるだけでも「なんか疲れる」ってこと、ありますよね。

「オレよく知らない」で用は足りますよ

かつては、いろんなことに対して、自分なりの意見をしっかりと持っておくことが必要だと思っていました。
会話の中で「自分はちゃんと考えてるぞ」アピールできることが、世間に認められることのような気がしていたのです。

加齢のせいなのかもしれませんが、最近は「いちいち他人事に踏み込むのってしんどいな」と思うようになっています。
最近、Facebookから遠ざかってるのも、これが影響しているかもしれません。
時事問題を取り上げて、自分のお考えを滔々と述べられる方が目について仕方ないのです。
(参考:facebookを使うのをやめた理由

Facebookで「友だち」になってるくらいの他人の日常生活や、時事問題に対する意見に、それほど興味を持てないのですよ。

親しい友だち同士でならば、一緒に考えることや話し合うことって、次から次へと出てくるんですけどね。
そういう場面で、僕がもともと「これ、オレに関係ない」と思っていたことについて、話さなきゃいけないこともあるかもしれません。そこで改めて考え直さなきゃいけないかもしれません。

でも、そのときは「オレよく知らないんだけど、なんとなくこう思うよ」で、充分用は足りるのですよ。

関心のない情報から距離を置く

僕が社会に出る30年くらい前からもう「情報化時代」なんて言ってましたね。
その後、ネットが登場して、SNSが登場して、やってくる情報すべてをまともに「自分ごと」として捉えて、いちいち「自分の意見」を持とうとしていたら、バテるに決まってるんですよね。

ネットやSNS上の他人の言動を見聞きして、自分が何かを考えた気になっちゃってることも多いんじゃないでしょうかね。

その昔「わからないことが見つかったら、それは喜ぶべきことです。そこから学びは始まるのです」みたいなことを言われたことがあります。言われたんじゃなくて、なんかの本で読んだのかもしれません。

今は「わからないことが見つかっても、関係なさそうだったらほっとけ」と思うことがあってもいいと思います。
そうじゃないと疲れて仕方ないですからね。

僕は現在、セミリタイア中です。

いったん仕事を辞めて、1年以上の長期休暇を取ろうとしています。また、ときどきこのブログ内で「人間関係の断捨離」というワードを使っているように、いったん人間関係をミニマムにしようとしています。

とにかく、いろんなものを捨てる(=ゼロ地点を作る)フェーズなのです。
同時に、情報の整理もしなきゃいけないと感じています。

基本、新しい情報に接することは楽しいのですよ。好きなのです。
だから「情報の断捨離」という行動をとることはできません。

だけれども、関心のない情報から距離を置く工夫はできるはずなのです。
だから「情報収集用のtwitterアカウント」を日々眺めながら、関心を持たなくてもいい情報を探し回ってるという、変なことになっているのです。

でも、そうすることで、なんとなく「自分が無関心でいられる分野」というものが分かってきたりするのですよ。
「これ、関心ない」という判断することにストレスを感じなくなるのです。

このブログで語り続けている「セミリタイア」とか「地方移住」など。
「いったん安全地帯を作ろうとしているのかな?」という気もしています。

そこで自分と向き合う時間を作って、また飛び出すのか? それとも籠もりっぱなしになるのか? 出たり入ったりを繰り返すのか? その辺は自分が心地いいようにやっていこうと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。