「やめる」が先、「はじめる」があと
2019.09.13
最終更新日:2019年10月04日
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「なんか、新しいことやりたいな」という願望は常にあっても、上手くいかないのは、自分のリソースが限られているからなのですよね。何かを「はじめる」何には、なにかを「やめる」ことをしなければならない。そして多くのことを試したいのです。
新しいことをはじめるために、何かをやめる
僕はずっと新しいことに対する、興味や関心が芽生えたときに、上手にトライアルすることができないのですよ。
おそらく「はじめる」の瞬発力に欠けるのです。
以前投稿した「フリーランスの僕が暇な時にやったこと」で、ずっと時間を作っては、新しいことにチャレンジし続けた風なことを書いていますが、どうも自分で満足の行くような時間配分だったり、リスクの分散だったりが苦手だった職業人生だったように思います。
おそらく「やめる」ことが下手くそなのですよ。
右手で何かを握りながら、左手で新しいことを始めようとするものだから、中途半端なものを量産するのです。
それが、以前投稿した「新しい感情」の中で書いた「心の熾火(おきび)」として、いっぱい残っているのです。
「これからは時代が変わり続けるよ」「チャレンジし続けることが大切だよ」って、僕が社会人になる30年以上前から言われていました。
あれから、ずっと同じことをみんなが言い続けているのです。
ところが、あまりチャレンジなんてしないですよね。
ちょっとメシの種にありつくと、それを手放したくないですからね。で、結局その場で同じことを繰り返すことになるんですよね。それを「安定」だと捉えるし、自由を求めてなったフリーランスのくせに「安定」好きだったりするんですよね。両方欲しいのです。
結局、何かをやめないと、新しいチャレンジはできないのですよ。
「今、一緒にやってる仲間に迷惑をかけないように」とか「今の仕事量をキープしたまま、積み上げるように」とか、そういうの無理なのです。
誰しも持ってるリソースには限りがありますから、新しいことをはじめるためには、まず何かをやめる(=リソースを空ける)工程が必要になってきますよね。
しっかりとやめる。ゼロ地点を作る
「ゼロに戻す(=ゼロ地点を作る)」のが怖いのですよ。
いったんゼロに戻す工程ってあるのですよ。
たとえば、お風呂掃除だったり、キッチンの片付けだったり。運動部経験のある人ならば、グラウンド整備とかコートのモップ掛けとか。
「やり終わった状態」ではなくて「やる前の状態」を作る工程ですね。
(参考:準備作業としての、セミリタイアとか長期休暇とか)
何かをやめると、今までやってきたことが無駄になるような気がするし、収入源も人間関係も失うので、簡単に手放せないのですよね。
「もうダメだ。どうしようもない」というフェーズがくるまで、ずっと拘り続けてしまうものなのです。
僕は今「セミリタイア期を作って、人生を再スタートする」で書いたように、いろいろなことを試してみる期間だということにしてるのですよ。
現在、50代半ばなので、あと20年もしくは25年程度、楽しくゆったりと取り組める職業を作りたいのです。
そのために、最初の5年程度は無職のまま、当たりがでるまで、サイコロを振り続けるような時期を過ごしてもいいと思っています。「その期間で、次の人生が決まればいいや」くらいの感じなのです。
そのためには、まずはしっかりと「やめる」作業を完了させることが大切だと思うのです。
多くのことを試してみたい
僕は、フリーランスになってから今までの20数年のほとんどをWebデザインの仕事で食ってきています。
もともと、Webデザインなんて、そんなに「決めたっ! これだっ!」って始めたものじゃないんですよ。
(参考:Webはチャチくてダサかった)
何が自分にとって利益をもたらす(=当たる)のか、とりあえずやってみないとわからないし、しばらく続けてみないとわからないものなのですよ。
黎明期における、世間一般の評価なんて何の役にも立ちません。
むしろ、自分の感じる「好き嫌い」のほうが、後から諦めつきやすくてサッパリしますよね。
とにかく大切なのは「興味を持ってやってみる」だと思うのです。次に「続けてみる」でしょうかね。
あとは「運」のようでもあり、自分に備わっている「引き」のようなものでもあり…。僕にはよくわからないのですが、多くのものを試す(=打席に多く立つ)ことが重要なのだろうと思っています。
いろんなものを多く試してると、何を頑張ったワケでもないのに、偶然ハマる感じってありますよね。
「これはダメっぽいけど、別のこんなのと巡り合った」みたいな現象も、いろんなことを多く試してるからだと思うのです。
当然「これダメだ、やめる」を何度も繰り返すことになるのです。
「飽き性」っちゃあ飽き性なのかもしれませんが「継続してみて、見極めて、やめるを決断する」ってすごく重要。
「やめる」決断力があるから「はじめる」のリスクが低下するのだし、「はじめる」の瞬発力があるから「やめる」のタイミングを逃さずに済むのですよね。前述の通り、僕自身は下手くそでしたけれどね。
職業人として生きていると「プロとしてこうあらねばならない」とか「信頼を得続けるためには、こう振る舞わなけれなならない」みたいな固定観念と一緒に歩んでいるようなところがあります。
だけども、人生の中で何度かは「好きなこと、関心のあること」をきっかけにして、やりたいことをやり、しばらく続けてみて、あとは「運」に任せるようなフェーズがあってもいいと考えているのです。
僕が今、セミリタイア生活を始め、1年以上の長期休暇を取り、前述の「ゼロ地点を作る」作業を経て、またなんやかんやを試しはじめることを決めて、行動し始めていますので「自分の行動を正当化しよう」というバイアスがかかっているはずなのです。
その危惧を踏まえた上でも「自然に動けてるな」と感じるのです。
しばらく経ったら、何かを「はじめる」フェーズに移行しますが、とりあえず、今は「やめる」作業を進めているところなのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。