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[フリーランスの老後]頑張って良かった。老い方を選ぶことができてる

2019.09.17

こんにちは、萩ドットライフ()です。

若いころに頑張るって大切です。その効能は、後々「老い方を選ぶ」ことができるからなのですよ。もちろん別の場面では「頑張っちゃダメだ。楽しめ」的なことも言いますけどね。その辺はバランスですよね。若い人には上手いこと頑張って欲しいものです。

大丈夫。みんな老いるのです

デザイナーという職業を選んでから約30年。フリーランスになってから約20年。
なんだかんだと文句を言いつつも、この職業でメシを食ってこられたことには感謝しています。

特にフリーランスになってからは、会社員時代と違って、クライアントや広告代理店のプロデューサーに「こいつに頼もう」「そうだ、萩ドットライフ、空いてる?」って思い出してもらえないと、仕事にありつけないのですよ。

「よくぞ、ここまで切れずに持ってくれた」と、感謝しかありません。

逆に僕の方から「いったん無職になりますので、新規案件は請けません」「同時にセミリタイア生活をはじめますので、クライアントワークに復帰するかどうかは、わかりません」と、こちらから決別のお願いをしているのです。僕は運がいいのです。
(参考:デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ

誰もが、いつかは老いて前線を退く選択をする日が来るのですよ。

もちろん、70歳になっても80歳になっても、最前線で活躍されるされる方もおられますし、10年前の僕も「80歳越えても、現役デザイナーだ!」とか思ってましたもん。

重要なのは「選択できること」だと思うのです。

僕の場合は50歳を越えたくらいから「焼きが回ってきたな」とか「バテてきはじめてるな」などと思うようになってきました。
今手元にある、不動産と金融資産がなければ「どうにかして今のポジションを手放すまい」「我慢して。苦労して。デザイナーで居続けよう」と思っていたはずなのですよ。

僕が今やってるような「長期休暇を取って」「セミリタイアして」「田舎暮らしをはじめて」「次の職業作ろう」なんて余力はなかったはずなのですよね。

この数10年、そこそこ頑張ってきたから、それなりのご褒美としての「選択肢」を得ることができたと思っています。

簡単にフリーランスになるな

以前『フリーランスになりたいと言ってくる人には「やめとけ」と答えます』という記事を投稿したことがあります。
その記事では「なるやつは『やめとけ』って言われてもなっちゃうでしょ」みたいなことを書きました。

フリーになる人、起業する人なんてセルフスターターであることが必須条件ですからね。
「やろうか、やるまいか」を他人に相談する時点で、ちょっと危ないと思うんですよね。

今回の記事のタイトルは「頑張って良かった。老い方を選ぶことができてる」です。

この文脈の中で付け加えたいのが、

  • 「フリーランスになって、仕事なかったら経験値上がりませんよ」
  • 「頑張るための打席に立てませんよ」

です。
したがって、20年後か30年後かに得るはずの「頑張って、老い方を選ぶ」ことから遠ざかってしまうのですよ。

だから「やめとけ」なのです。

僕は元が、大学や専門学校でデザイン教育を受けていない、実地体験+独学のデザイナーだったので、相当ビビりながらフリーになりました。30代半ばでした。
でも、美大芸大を出て、そこそこの代理店の制作部門やプロダクションで活躍されている若手の方々の中には「フリーだ。フリーだ」と前のめりになっている方もおられるかもしれません。

でもそこで、それなりのレベルアップを果たしてから、フリーランスへの転向をオススメします。
でも「それなりって?」という問いを向けられても、「自分で決めてね」ってなっちゃうんですけどね…。

若いときから「老い」をイメージしよう

繰り返しますが、誰もがいつか老いるのですよ。
そして、今の僕のように「そろそろ老後のことを考えよう。20年後のビジョンを作り始めよう」と考え始めたときに、若い頃に仕込んできたことが「選択肢」となって目の前に現れるのです。

資産形成をしていた人は、お金が人生の選択肢を増やしてくれるし、いろんな仕事に手を出していた人は、仕事が選択肢となります。人脈だってそうかもしれません。

僕は50歳を超えて、ようやく「ああ、そういうことか…。これはこう繋がるのか」と理解できたのですが、若い人はもっと早めに気付いたり、対策を打ったりしておくと、人生をもう少し豊かな方へ傾けられるのかもしれません。

僕にとって幸運だったのは、フリーになって食えるようになったのが30代後半になったからだと思っています。

生活費が足りるか足りないかを心配しなくても良くなったころ。
すでに物欲もそれほどなかったし、承認欲求も20代の頃のようにピチピチしたものではなくなっていたのです。

唯一「嫌いではない…」と思っていたクルマに手を出すことは要注意だったので、運転免許も流しました。

結局、大きな買い物は不動産だけでした。
余ったお金はずっと、普通預金に置いていたのです。投資信託やらETFを買い始めたのは、50歳過ぎてからなのです。

でも結局、この不動産と金融資産があったから「いったん長期の休みを取る」「働き方を作り直す」「以降の人生、セミリタイア」「山間地生活してみたい」などという選択肢を得られているのですよ。

都心の高級賃貸に住み、高級外車を定期的に乗り換え、自分へのご褒美時計を買うような生活をしていたら、今の選択肢はなかったと思います。
逆に、もっと豊かできらびやかな人生だったかもしれませんけどね。その辺は「塞翁が馬」ですね…。

ただ「若いときに頑張っとけば、後々の選択肢が増えるよ」ということだけは間違いありません。
高校生のときにいっぱい勉強しておけば、行ける大学が増えるのに似てるかもしれません。

ただ、教科も選択肢も誰も用意してくれませんので、自分で見つけなきゃいけません。
ちゃんと意識してないと、選択肢があることにすら気づかないかもしれません。

もし僕が、毎月の生活費にも困るような職業人生を続けていたら、今の仕事にしがみつくことばかりを考えていて「次の10年20年に向けて、今選択すべきことは?」などという疑問すら持たなかったのだろうと思います。

「キツかったし、途中メンタル折れたこともあったけど、なんとなく頑張ってよかったっぽいな」と思っているところです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。