セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)
2019.10.06
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。幾度も考え続けてきた、自分なりのセミリタイア論みたいなものを、もう一度整理してみます。ちょうど無職になったばかりのタイミングですからね。「仕事は娯楽」であると思える状態の維持が、僕にとってのセミリタイアということで、まだオッケーみたいです。
現在、セミリタイア中です
「セミリタイア」というワードで検索して、他人のブログやネット媒体の記事に辿り着いて読み進めていても「あれ? なんか思ってたのと違う」ということって、多々あると思います。
とくに決まった概念のない言葉なのですよ。
なので、みんなが思い思いの「セミリタイア生活」について言葉にしてるんですね。
大袈裟な言い方をすれば「人の数だけ、セミリタイアの数はある」みたいなもんだと思います。
僕は、フリーランスのWebデザイナーを20年以上やって来ました。
通勤から開放され、上司の監視から逃れることが、セミリタイアの条件だと言う方からしてみれば、ずっと「セミリタイアしてる人」だったのかもしれませんが、とてもそんな認識は持っていませんでした。
セルフブラック状態でしたからね。
(参考:フリーランスにとっての「ワークライフバランス」)
数年前から周りの人には「セミリタイア生活に入りますからね。まずは、手元の案件をなくして長期休暇を取りたいんですよ」と言い始めたのが、2〜3年前です。
飲み会での話だったり、冗談含みで様子を伺いながら伝えていったので、最初の頃は真に受けてもらえなかったし、「わかった、わかった」と言われながらも「どうしても、クライアントからのご指名で…」と、請けざるをえない状況を作られていたのです。
状況にさほど変化はないものの「セミリタイア生活に向かい始めたな」と思い始めたのが、去年(2018年)の9月「もうこの案件で打ち止めにします」と、最後の案件を新規公開したときですね。
この段階では、現役中となんら環境が変わっていなかったので、誰にも「セミリタイア、はじめました」とは言っていません。
だんだん受け持ちの運用案件がクローズしていき、週のうち2・3日しか働かなくなった2019年の初頭あたりから、セミリタイア感が強まってきましたし、他人にも「セミリタイア生活に入ったんすよ」と言えるようになりました。
以降ヨボヨボになるまで、ずっとセミリタイア中です
先日、受け持ちの案件がすべてクローズし、2019年9月25日を「失業記念日」と決めたように、今は無職になっています。
(参考:生活を変える。ほんのちょっと変える)
無職だけれども「セミリタイア中」だと認識しています。
理由は「労働意欲があるから」です。
意欲さえあれば、セミリタイアの「セミ」の部分を満たしているのです。
僕は、このブログのいろんなところで「生産的な趣味」というワードを使って「仕事を娯楽ととらえることで、職業人生を長く続けたいんだよ」ということを繰り返し、手を変え品を変え語っているつもりです。
これからの人生の核になる考え方だと思うのですが、書くたびにいまいちしっくりこなくて、似たようなことを何度も書いてしまうのです、スミマセン。
この「仕事は娯楽(=生産的な趣味)」という考え方を持っているかぎり、僕は「セミリタイア中」なのです。
生活のために、娯楽とは呼べないイヤイヤ仕事に、定期的に長期間就く状態になれば、それは僕にとっての「セミリタイア感」とは少し違うのです。
でも、週に何回か、単純労働のバイトに呼ばれて日銭をもらうくらいだったら、ちょっと楽しそう。
老いて、労働意欲を失って、仕事は娯楽だと思えなくなったら、そのときがセミリタイアから「完全リタイア」に移行するときなのでしょうね。
僕はセミリタイア生活に入った時点で「老後前期」が始まっていると思っているのですよ。
「老後」を自覚することで、考え方がちょっとした変化することを刺激的に捉えているのです。
(参考:無職になったので、老後の準備を)
仕事は金のかからない娯楽
古い記事を検索していると、過去に「セミリタイアしたら、労働時間もっと増えちゃうんだろうな」という記事を投稿していました。
まったく記憶から消えてたし、1年前の文章って、相当こっ恥ずかしいですね。
そんな感じで働いてきた僕も、50代のオッサンになったし、不動産と金融資産の運用益で生活すれば、どうにかなるので「生活のために働く」ではなくなったのですよ。
なので今、新しいゲームを始めようとしているのです。そりゃ「ハマっちゃうだろうな」「1日の大半をそれに使っちゃうんだろうな」って予想しますよね。
なんてことを書いていますね。
この2018年10月24日に投稿したこの記事から、1年近くたった今も似たようなことを考え続けています。
おそらく僕はセミリタイアを「時代」だと捉えているのですよ。
学生時代とか、社会人時代とかがあって、「セミリタイア時代」。
だからその時代の中に、全く働かない無職の期間があってもいいし、現役時代よりも厳しくガシガシ働く期間があってもいいのです。
社会人時代の労働は「生活のため、資産形成のため」でしたけれど、セミリタイア時代の労働は「娯楽であり、趣味」なのです。
僕は50代半ばにして、ようやく仕事を娯楽・趣味として捉えることができるようになったので、セミリタイア時代に入ったのです。
これがなんとなく僕の「セミリタイアの定義」なのかな、と思っています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。