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新しい環境に順応することで、人生を変化させていく

2019.10.09

こんにちは、萩ドットライフ()です。

人は定期的に新しい環境に順応するチャンスを求めるものなのですよ。次の環境に移動したいときには「違和感」という形で予兆があります。環境を変えそれに順応することで、人生を変化させていくのです。それを「人生の転機」と呼ぶのでしょう。

転機は違和感から始まります

無職になったし、断捨離を始めたし、「最低1年間は働かないぞ」と決めているし、田舎への移住を計画しているし、明らかに今、人生の転機なのですよ。

ちょっと振り返ってみると、人生の転機は「なんかしっくりこない感じ(=違和感)」から始まっていたのです。
予兆は、40代後半くらいからあったような気もします。

ただ、その頃パニック障害を発症して、数カ月間休んだり、その後メインクライアントから戦力外になり、業務委託業者から外されたりしたので、違和感を感じつつも、状況を挽回するために「元に戻す」方に頑張ってたのですよ。

業務委託に関しては、クライアント側にもいろいろと尽力してくれた恩人がいましたしね…。
「違和感を感じているので、ちょっとこの仕事から離れてみようと思います」とは言い出しにくい状況でした。

そこから5年程度は、自分の中に生じている違和感を抑え込みつつ、収入的には安定したカタチで50代に突入したのですよ。
傍から見れば「仕事あって収入も安定してるのに、違和感ぐらいでゴチャゴチャ言うな」といったところだろうと思います。

僕も一時は「そっか。年長フリーランスって、こうやって消えていくのか、オレの番か」と思ってましたもん。

僕は恵まれた状態にいるにも関わらず、違和感を感じていたし、文句も言っていたのです。

結局、違和感に従うようになったのは50代にはいって、しばらく経ってからですね。
それが、このブログのいろんなところで書いているような、セミリタイア宣言と新規案件の受注停止というカタチになったのです。
(参考:人生の転換期に起こること

今から思えば「もっと早く違和感に反応したほうが良かったな」と思っていますが、そのときにはそのときなりの事情がありますからね。

人生の転機は必ず「違和感」として始まるものだと思うのです。

20余年前に、フリーランスになったときもそうでした。
もともと、社会に出るときに「10年以内に自分の会社を持ちたい」と思っていて、ちょうど社会人10年目のタイミングだったので、その影響を受けていたことは否めませんが「違和感ある。このまま抑え込んじゃダメだ、違和感を受け入れて行動しよう」と思ったのは確かなのです。

環境を変えれば、そこに順応する

今いる環境に違和感を感じるときって、自分が次の何かに変わろうとしているときだと思うのですよ。

僕は中学1年から大学4年まで、バレーボールをやっていました。
特に大学時代は体育学部に通っていたので、バレーボールを中心とした、スポーツずくめの生活をしていました。住んでいたのも、バレー部の合宿所です。

およそデザインとは無縁の生活で、基本、朝から晩までジャージで過ごしていました。
上級生たちも、実業団チームに行ったり、教員になったりしていたので、僕も「そうなるんだろうな」などと漠然と思っていました。

それがひょんなことから「自分の会社が欲しい」と思うようになり、大卒なんて数えるほどしかいなかった零細企業に入れてもらいました。
ちょうどバブルですごく就職がよかった時期なので、みんな「なんで?」という顔をしてましたね。

でも、何年後かに自分が作る会社なんて、零細企業に決まっているのですよ。
事実、今の会社、ずっと僕ひとりですし。

経営者に「オレも会社作りたいんす」と伝えた上で、あれやこれやと勉強したかったんですよ。
おかげで、営業車で配達したり、パートのおばちゃんと組み立てしたり、銀行との資金調達交渉に同席させてもらったりもしました。

その中のひとつとして経験させてもらった、小さな制作会社と組んで、パンフやチラシ、イベントの掲示物を作るというデザイン仕事にハマったのが、デザイナーになる一歩目だったのです。

偶然の出会いでもいいから、縁を感じたら行動してみればいいと思うのですよ。
行動する方法は、たくさんあって、僕はそれからデザイン関係の本を読み漁ったし、社内での印刷物の制作量を増やすことを画策しました。
Macの購入を進言して、叶えてもらったのもこの頃です。

なんだかんだで200万円を超える買物でしたから、社長への直談判で承認を取り付けました。

環境を変えて、人生を変える

人はある時期になると、現状に違和感を感じ、身を置く場所(=環境)を変え、その環境に順応することで、自分自身を変えるのだろうと思います。
その過程をまとめて「転機」と呼んでいるのだろうと思うのです。

そして、ときには意図的に環境を変えることで、意図的に違和感を起こすことも可能なのです。

今、僕がやってる一連の行動の中で、

は、自然発生した「違和感」から逃れるための行動ですが、

は、意図的に環境を変えて、別の「違和感」を作り出そうとしているのです。
それに順応することで「ちょっと人生を変えてみるか」という目論見なのですよ。

どの「違和感」から逃れるか? 受け入れるか? は、自分が日常的に「これが自分の当たり前」と感じるものを選択する作業でもあるんですよね。

だってサラリーマン時代は、みんなで「独立なんて無理だよ」みたいな話をするのが「当たり前」だったのです。それがフリーになると今度は「フリーでもなんとかなるよね」みたいな話をするようになります。

これ、僕が変わったんじゃなくて、付き合う人(=環境)が変わったんですよ。

そして今「セミリタイアして、田舎に住んで、娯楽になるような仕事だけ選んで生きていく」ような環境に身を置こうとしています。
少しずつ、不快な違和感が、快適な違和感に変わりつつあることを感じつつあります。

たぶん、この環境に順応できそうな気がするのです。
だから、そっちに向かって足を延ばすことにきめたのです。もし気に入らなければ、また別の環境を探せばいいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。