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人生の転機って、作るもの? 作られるもの?

2019.10.12

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ここ数年「セミリタイアだ、デザイナー引退だ」と騒ぎながら、人生の転機を自分自身で作ってきたような気になっていました。ただ、ふと周囲に目をやってみると、必ずしもそうではなく、複合的なあらゆる要素の組み合わせだったような気もしているのです。

GW・盆暮れの緊急案件だけ発注してくる人が、消えた

「何も起こらなかった」ことについての記憶なので、少々あいまいなのですが、今年のゴールデンウィーク前、お盆前に、緊急の作業依頼がなかったのです。

「GW進行」「お盆進行」「年末進行」などと言って、出版・広告の世界では長期休業の前には、特別にスケジュールが詰まるものなのです。
僕が携わっていたWebの世界でも「○○までに公開したい。リニューアルしたい」「○○休みキャンペーンやりたい」などの理由で、GW・盆暮れ前にはスケジュールが詰まるものなのですよ。

当然、作業員の手が足らなくなりますから、広告代理店、制作会社等の中間業者の皆さんは、自分の伝手を頼って「急ぎの案件なんですが、今ご対応いただけちゃったりします?」と「手」を探し回ることになるのですね。

僕は、20年間フリーランスのWebデザイナーでした。「手」の側の作業員だったのです。
長期休業前には、

  • レギュラーのクライアントからの作業依頼が増える
  • 通常付き合いのない人からの依頼がやってくる

ので、だいたいいつも忙しくしていました。

レギュラーのクライアントからの依頼は、ある程度予測できるし、チーム内のコミュニケーションが上手くいっていれば、コントロールもできるのですよ。
なので、割と先手々々で対応することも可能です。それでも結局、なんだかんだでハマっちゃうんですけどね。

でも、GW・盆暮れの緊急案件だけ発注してくる人ってのもいるのですよ。
40代前半くらいまでは「せっかくオレのことを思い出してくれたんだし」とか「こういうのが、次の仕事の入り口になるんだよな」などと考えながら、少々スケジュールがキツくても受けていましたが、こういう人たちって、いつまで経っても緊急案件しか発注してこない人なので、いつしか断るようにしていました。

それでも、いつも必ず2・3人は「スケジュール、どんな感じです?」って連絡してくる人がいたのですよ。

1年前くらいにセミリタイア宣言をし、新規案件の受注を停止して以来、だんだんと長期休業前進行はユルんできたように思います。

ここ数年、コンプライアンスがうるさくなっていることも影響しているのかもしれません。

特に今年。メインクライアントの案件は、なんとなく完売が視野に入っている物件ばかりだったので、予想通り穏やかなものでした。昨年年末に少しバタバタしたのが最後でしたね。
(参考:セミリタイアしてるはずなのに年末進行にハマってる

不思議なのは、日ごろコミュニケーションを取っていない「GW・盆暮れの緊急案件だけ発注してくる人」からの連絡もなかったことですね。
彼らには「セミリタイア生活に入ります。新規案件、請けません」なんて伝えていないんですけどね。

ちょうど無職になるこの年、偶然にも彼らは消えていったのですよ。

僕は自ら「デザイナーを辞めよう。いったんゼロに戻そう」と判断したと思っていますが、同時に周囲も「こいつはもう終わりだ、声かけるのやめよう」って思ってたということなのかもしれませんね。

握ってるものを手放せたので、ヨシ

人は往々にして、何か新しいことを始めるよりも、今やっていることをやめることのほうが困難な場面に出くわしますよね。
握りしめているものを手放なすことって抵抗感あるのですよ、そうしないと、次のものに触れることができないとわかっていてもです。

僕は、それを意識的に突破したつもりだったんですけどね…。

たしかに50歳を過ぎたあたりから「オレ、焼きが回ってきてるな」という感触があったので、それが動機となって「デザイナー辞めよう。セミリタイアしよう」と考えるようになったのですが、たぶん「焼きが回る」要件のなかに「GW・盆暮れの緊急案件だけ発注してくる人」をはじめとする、周囲の人への態度の変化もあったのかもしれません。

僕はまったく認識してませんでした。

結局、いろんな要素が複合して今のタイミングができあがったのだろうな、と最近思っています。
「現状維持を望まない」ではなくて、現状維持することが困難な状況に陥っていたのかもしれませんね。

ただ僕は、自分の意思で「人生の転機を作ってる」と思い込みながら行動してたので、握っているものを手放す恐怖をさほど感じなかったのが、かえって良かったのではないかと思っています。

まあ、その過程はどうであれ、僕は今まで握りしてていたデザイナーと言う職業を手放したのですよ。

暗中模索気味ではありますが、こうして両手を開くことで、この先またなにか明るい何かに出会えそうな予感はしているのです。

モノの断捨離は「象徴」です

人生の転機とは「新しい何かが始まるタイミング」「僕の考え方が入れ替わるタイミング」なのだろうと思っています。
そのためには、ゼロに戻す必要があるのです。

こうして無職になって、すべての時間を自分でコントロールできるようになって、思考の中から他人を追い出すことができるようになると、これまで握りしめていたものを、どんどん手放していくことが心地よくなっていくのです。

先日「断捨離を実行することにします」という記事を投稿したように、どんどん要らないものを捨ててる最中です。

単に、暇な時間が増えたからだけではなく、手放すことが快楽になっているのです。

人生の転機を迎え無職にならなければ、これまで通り、

  • 記念だから、思い出だから
  • いつか役に立つかもしれない
  • 誰か欲しい人がいれば、その人にあげよう
  • 自分が生きてきた歴史を感じるから

などと言いながら、モノを貯め込んでいたはずなのです。

モノは象徴に過ぎないのです。人生の転機を迎えることによって、考え方と行動が変わっているのですよ。
ただ、問題は「その人生の転機は、自分で作り出したものなのか? 環境によって作られたものなのか?」というところなのですが、答えなんか出るわけないのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。