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人生の転機で、群れるな

2019.10.18

こんにちは、萩ドットライフ()です。

これから先「仕事は娯楽」と捉えて人生をエンジョイしたいのですが「楽しく生きてきたいのならば、群れるな」と考えています。僕が考える「楽しさ」の中に「他人の存在を気にせずに、自分で決める」という要素が含まれているからなのです。

誰かに毒づいてやろうとか、一匹狼を気取りたいとか、そういう言うわけではありません。
ずっとボンヤリと思い続けていながら、なかなか言葉にならなかったテーマなのです。

以前から、何度も「人間関係の断捨離」というタグを付けた記事の中で、少しずつ思いついたことを散りばめてはいたのですが、どうも上手くまとめることができなくて、モヤモヤしていたのです。

ちょっと前に『「一緒にやろう」っていう人が、たぶん嫌い』という記事を投稿したことがありますが、そのときに考えてたことと似ているようでいて、少し違うことを考えているので、記録しておきます。

たとえば、公立中学校のスポーツ系の部活をイメージしてみてください。

メンバーには、

  • エンジョイ組:放課後テキトーにスポーツして遊びたい。用事があるときには練習参加しない
  • ガチ組:試合に勝ちたい、大会で優勝したい。記録伸ばしたいし、ストイックに取り組みたい

が混在しているものなのですよ。

当然「100%ガチ組」「100%エンジョイ組」なんて人はそんなにいなくて、「90ガチ:10エンジョイ」の人から「10ガチ:90エンジョイ」くらいの人を両端として、グラデーションになっていますよね。

自分の中でも体調や気分によって、ガチ:エンジョイ比率は変わってきます。

その辺は指導者(教員)や、リーダー(キャプテンだったり、主力メンバーだったり)が、上手いこと調整して、みんなを誘導していくもんなんですよね。

その方針に納得できない人は辞めることになるでしょうし、残った人は、従ったり意見を言ったりしながら活動を続けていくのです。

「一緒に楽しもう」は無理

僕は今、セミリタイア中です。
もともとフリーランスのデザイナーをしていましたので、サラリーマンの方が退職してセミリタイア生活を始められるのとは、かなり状況が違っています。
〈参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)

セミリタイア中だといいながら、残務整理のようなカタチでしばらく運用案件を抱えていたのですが、先日すべてがクローズし、晴れて無職になりました。

最低でも1年間は休養を取ろうと考えています。
その間、自分に課していることは、こうして毎日書いているブログくらいのものです。

その間、興味を持っていたことや、新しく関心を持ったものを調べたり勉強したりして、仕事と趣味の中間的なものを探そうと思っているのです。

ごく限られた友人知人だけにではありますが、今の自分の考えや状況を話をしたりもするのですよ。
そうすると、

「仕事いっぱいありますから、気に入ったヤツだけ、好きなときに請けてくれればいいじゃないですか」
「オレも、定年したらそういうのやりたいな。一緒に何かやらない?」

みたいな反応をして来る人がいるのです。
間違いなく、いいやつが善意で、こういうことを言ってくれるのです。

だから、ありがたくはあるのですが…。

僕がこれからの人生で取り組もうとしている労働は「生産的な趣味」なのです。
前項のガチ:エンジョイ比率で言えば、エンジョイ側に寄せていきたいと思っているのです。
それを他人の存在を意識せずに、自分の気分次第で比率調整をしたいのです。

「誰かと一緒」だと、そうはならないからヤなのですよ。
「楽しくやりたい」は「楽チンでいたい」ときもあれば「好き勝手にしたい」ときもあるのです。

「ガチ」になったときに茶化さるのが不快なのです

複数人で「一緒にやろう」と、何かを始める場合、エンジョイチームの方が、ガチチームよりも運営が難しいと思っています。

会社とか事業プロジェクトって「いっぱい稼いでやろうぜ! 目を見張るような成果を上げようぜ!」という共通認識で運営されますから「ほぼ100%ガチ」に決まってますよね。

なので「楽しくテキトーにやればいいじゃん、成果なんてどうでもいいよ」という人は戒められるか、チームに存在できなくなるのですよ(※いろんな例外もあるのでしょうが、割愛しますね)。

割とコントロールの方向性が決めやすいのです。

とはいえ、僕自身20数年前にフリーランスになったときに下手くそなチームを作ってしまって失敗してるんですけどね…。
この反省があるから今、自分自身に「群れるな」と言い聞かせているところもあります。
(参考:起業はひとりですればよかった

エンジョイチームの場合、目標設定すら人によって違うし、ぼんやりとしたところから始まると思うのです。
そもそも目標なんて持っていない人がメンバーになっていても全く問題ありませんよね。

ところが人は「100%エンジョイ」なんて無理なのですよ。ときどき「ガチ」が顔を出します。
楽しくテキトーに遊んでたつもりが、好奇心がムクムク湧いてきて、あることに対してのみストイックに「ガチ」に取り組み始めるなんてよくあることなのです。

「オレ・コレ・スキ」ってガーッとアクセル踏み込んじゃう感じですね。

そういう場合、エンジョイ寄りのチームだと「茶化し」の対象になっちゃうんですよね。
「なに急にマジになってんの? 楽しくやろうよ」と。
僕はそれが、とても嫌いなのです。

だからエンジョイチームに属したくないし、作りたくないのです。「一緒にやろう」に応じたくないのです。

たぶん、僕が属すことができるチームは「ガチ組」でしかないと思うのですよ。
ところが今、僕は「仕事は娯楽」とか言い始めているので、ガチ組には存在できません。

対話しないワケじゃありません

結局、ひとりで好きなようにやるのが最適解だと思っているのです。
しかしながら「誰とも会話をしないし」「誰の意見も聞かない」と思っているワケではないのですよ。

「群れるな」は、人と関わるなとか、コミュニケーションを閉じるなと言うことではないのですよ。

むしろ「自分も、似たようなことを考えてる」「私は違う考え方を持ってる」みたいな人とのコミュニケーションは積極的にしたいのです。
当然、自分の考えを言葉にしてみて、その人がどういう反応をするかにも、すごく興味があります。

話してて楽しい人と過ごす時間は、最高の娯楽ですからね。

頭ごなしに「そんなの上手くいくはずない」みたいな批判をしてくる人や、「それならば、こうするべきだ」みたいなアドバイスを求めてもいないのにしてくる人と絡む時間を費やすくらいなら、自分ひとりで何かを考え続けていたほうがましだ、とは思っています。

以前「50代になったら同窓会が増えた」という記事を投稿したことがあります。
ほぼ1年前の投稿ですね。

この時期(10月の下旬)に僕が卒業した山口県立萩高校の同窓会が「東京」であるのです。
それに合わせて、同期会も催されます。

ここ数年間、本会には出なくても同期会には出席していたのですが、今年は出席を見送りました。
これ、本テーマと関係なさそうでいて、僕の中ではアタマの同じところで考えていることなのですよ。

50代半ばになるこの時期に、周りが「同窓会、同窓会」言い始めるのって、おそらく定年後のコミュニティ形成のために、ノスタルジーの掘り起こしをしているような印象を受けているのです。

ただ僕の場合、今は無職になったり、断捨離をはじめたりしている時期なのです。
いったん過去のものを捨て去って、ノスタルジーと決別しようとしているフェーズなのですよ。
「いったん休んで、もうワンゲーム」と思っているところなので、同級生たちとの思考のすれ違いがツラいのです。楽しくないのです。

「無駄な時間だな」と思ってしまうのです。
当然「オレ以外、みんなそう」ってワケではないのは重々承知してるんですけどね。

たぶん僕が今「人生の転機」だからということも影響してるんだと思います。
このフェーズを抜けたら、またガシャガシャしたコミュニティの中に混ざっていくかもしれません。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。