足元に目を向けよう。ちょっとずつ進んでるのがわかるから
2019.11.02
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。行動するということは、自分自身に能動的に変化を与えて、その結果を観察し続けることなのですよ。定期的に足元に目を向け「確かにオレはちゃんと進んでるな」と感じることが、職業人としての寿命を伸ばすことに繋がることだと考えているのです。
実験と検証、ヒマと退屈
今さらながら「もっと若いころにいろいろと実験をして、検証し続けてみたほうがよかったなあ」などと思っているのですよ。
とはいえ、フリーランスになってみたり、思いついたいろんなことに着手して、失敗したり成功したりを好き勝手に繰り返してきたほうだとは思っています。
そのおかげで途中からWebに軸足を移すことで、50代半ばまでフリーのデザイナーとしてメシを食い続けることができたので「おおむねヨシ」ということにはしています。
しかし、振り返ってみると後悔はたくさん残っているのです。
なんとなくメシを食えるようになり、生活が安定してしまうと、自分が馴染んでいるやり方を変えることができなくなるし「正しい」とされていることのみを繰り返してしまうのですよ。
過去に「フリーランスの僕が暇な時にやったこと」という記事を投稿していますが、空いた時間さえもルーティーン化して埋めていたのです。
いま僕は、無職になって暇になっています。
毎朝、こうしてブログを書くという日課は、新しく始めてみた実験なので継続していますが、それ以外は特に何も決めずに、そのときの思いつきで過ごしています。
先日投稿した「古民家を買いたい。その意味」でも書いたように、第二種電気工事士の免許を取りたいと思っているので、それに関するテキストを眺めたり、対策サイトを探して問題集に取り組んだりはしていますが、基本的には「退屈」を許容しているのですよ。
退屈を続けると、そのうち何か調べたり作ったりしたくなるので、その行ったり来たりを楽しんでいます。
僕は今「ゼロに戻す」フェーズだと思っています。
物理的にも「断捨離」を進めていたり、以前「人間関係の断捨離が心地いい」という記事を投稿したように、あまり大勢の中に身を置くことをしなくなっています。
同時に、これまで習慣的にやっていたことも、総チェックするタイミングだと思っているのです。
無職になって、まだひと月程度しか経過していませんが「若い頃から、頻繁にヒマを作って『退屈』と『習慣のチェック』を繰り返していれば、もっと自分の望む方向へ変化できたのかなあ」などと考え始めています。
正しいことだけを続けていると、変化できない
僕は50歳を過ぎた頃から「そろそろ焼きが回ってきたな」と思いはじめて、いったん無職になって長期休暇を取ること。セミリタイア生活を始めることを思い立ったのです。
上述の通り、僕は20年以上フリーランスだったので、サラリーマンの方がイメージする「セミリタイア」とは、若干定義が異なるかもしれません。
以前「セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)」という記事を投稿していますので、ご参考に。
ただ、それまでにも何度かスランプに見舞われたことはあったのですよ。
デザインの仕事は、クライアントや広告代理店をはじめ多くの人たちが集まって進めていくものなので、自分が不調を感じていても、あまり表面化しにくいものではあるのです。
ただ、自分ではわかっていますから、それなりに苦しさは感じます。
そして、気づけばスランプから脱していたりするものなのですが、どうして抜けられたのか、原因がわからないことのほうが多いのです。
なんとなく「座組が変わったら、急に気晴れたな」とか「あのパターンが一発でハマったから、あとはイケイケだったな」みたいなことはありますが、「努力と学習によって突破できた」みたいな記憶はありません。
なのに、ずっと「努力と学習」を続けることが正しいと思っていたし、習慣化してたんですよね。
間違ってはいなかったのだろうと思いますが、変化に欠けていたんですね。
デザイナーを辞めて、無職になって、過去の自分の成果の上に何かを重ねることを期待しなくて良くなった今、憑き物が落ちたように楽に物事を考えられるようになっているのですよ。
状況を変えたいときに、何も変わらなかったのは、自分の行動が変わっていなかったからなんだろうなと、過去を振り返って思うのです。
定期的に足元に目を向けよう
上述の通り、僕は今「ゼロに戻す」フェーズにいます。
ずっと職業人でいたから、しかも「不要だ」と判断されたら、明日の朝飯も食えなくなっちゃうフリーランスだったから、成果を求めない/求められない生活を送ることに馴染んでいないのですよ。とても抵抗があるのです。
ただ短期的に、ヒマで退屈、何の成果も出さない日々を送ることは、職業人としての寿命を伸ばすことに繋がることだと考えるようになってきています。
視点を変えて、足元に目を向けると、自分が少しずつ前に進んでいることが見えるのです。
僕は今、50代半ば。
「まだまだ職業人生が残っているこの時期に気づいてよかったな」とも思うし「なんでもっと若いころに気づけなかったんだろう」とも思っています。
先月、ようやくこのブログに設置しているGoogle AdSenseの収益が、支払い基準額である8,000円を超えました。
記事中に広告が表示されていますよね。
それを皆さんがご覧になったり、興味ある広告をクリックなさると、僕の収益になるのです。
15ヶ月続けてみて、たった8,000円ですが「足を動かせば、前に進むもんなんだな」ということを再認識できて、ちょっと楽しさが湧いてきています。
フリーランスになった開業時に紆余曲折を経て「Webデザインにチャレンジしてみようかな」と思い立ち、1本3,000円のバナー制作の依頼にありついたときと同じ感覚です。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう)
ずっと、遠くの高い山の頂きを見つめていると、気持ちは萎えるし、足取りも重くなってしまうのですよ。
足元に目を向け「確かにオレはちゃんと進んでるな」と感じることや、方法Aと方法Bを比べながら「オレは良い方へ進んでるな」と確認する作業が定期的に必要になるのです。
僕は、いい時期にセミリタイア生活を始めたし、無職になって長期休暇に入ったタイミングも、なかなかヨカッタと思っています。
行動するということは、自分自身に能動的に変化を与えて、その結果を観察し続けることなのですよ。
今まで見えていなかったことが見えるようになり、やりたいことがポツポツと芽生えてくるのです。
それにしても、もっと若い頃から「実験と検証」「ヒマと退屈」を多く体験しておけば良かった…。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。