コミュニケーション疲れが、ずっとストレスだったようです
2019.11.04
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。コミュニケーション疲れ・ストレスが、職業人としての寿命やアウトプットのクオリティにある程度影響するのかな? などと思っています。無職になって仕事関係の連絡に即応しなくて良くなることで、ストレスから解放され、とても心地いいのですよ。
メールにもメッセージにも反応しなくていいって、楽ですよ
いま無職なので、電話が鳴りません、メールもメッセージも来ません。
「ほぼ、1日中仕事関係のコミュニケーションに費やしてたんだな」と改めて思っています。
もちろん、近しい人からの連絡はあるのですが、もう「仕事と関係ない」ことが分かっているので、着信に気がついても、まったくストレスにならなくなっています。
近しい人ほど、僕が電話が嫌い、電話に出ないことが分かっていますので、電話に限っては、何らかの業者からの着信に限られています。
「ずっと、コミュニケーション疲れしてたんだな」感じています。
疲れをいちいち細分化して考えることに意味があるのかどうかは謎ですが、とにかく今、そう感じているのですよ。
20数年前、フリーランスになったころからずっと、仕事でもプライベートでもネットを使い続けてきました。
以前投稿した「距離を置きたい人」で触れたように、僕は電話の着信によって手を止められることや、思考を分断されることが嫌いなので、当時から「よっぽどのことがない限り、メールで連絡して欲しい」と言い続けてきましたので、逆にデジタルデバイスから離れられなくなってたんですよね。
ずっと、朝起きたらPC起動。就寝直前にシャットダウン、という生活を続けてきました。
最近は必要がないかぎり、シャットダウンすらしませんけどね。
スマホを持つようになってからは、外出中でも定期的にメールとメッセージを確認・対応するのがクセになっていました。
だからずっと「デジタル疲れ」だと思ってたんですよね。
「無職になって、1年以上の長期休暇を取る。『休暇』とは、デジタルデバイスを起動しないこと」などと思っていた時期もありました。
けれど、これはムリでしたね。
もう、社会との接点がデジタルデバイスなのですよ。
暇なときはYouTubeをダラダラ見てるし、調べたいことがあればググる。ニュースも世間の反応もすべてネット上にあるのですよ。
さらに新しい仕組みと出会うまでは、デジタル・デトックスはできそうにありません。
ずっとコミュニケーションがストレスになっていたようです
でも、無職になってわかりました。
ストレスの原因は、ネット自体ではなくて、ネットを介したコミュニケーションだったのですよ。
ネット上のコミュニケーションは、リアルタイムで多くの人とのやりとりが可能なことであり、かつ非同期であることなのですよ。
面会や電話など、同時刻に複数人が拘束可能なタイミングを待つよりも、情報の伝達が早いのですよ。
とても便利です。
便利ではあるのですが、知らない間にストレスが貯まっていくのですよね。
僕は、各所からやってくる連絡に即応することを旨としていました。いわゆる「即レス」ですね。
返答しなければならないことを貯めるのが、まずストレスなのですよ。
すぐに反応すれば数秒で終わる作業が、貯めてしまうと「貯まってるメール・メッセージに反応するためのスケジュール」を作らなければならなくなるので、それが煩わしいのですよ。
とはいえ、結局は「早く反応しなきゃ」っていうストレスが発生するんですけどね…。
そうして仕事仲間の間で、なんとなくのスピード感の共有がなされると、今度は「思いついたことは、みんなで共有しなきゃ、早く」というストレスも生まれるのですよ。
ひとつひとつは、そんなに「対策しなきゃマズいな」ってほどのストレスではないのですが、溜まるとやっかいですね。
無職になって解放されて、つくづくそう思います。
以前「facebookを使うのをやめた理由」という記事を投稿したことがありますが、SNSを遠ざけることも「コミュニケーション疲れ」と無縁ではありません。
常時、コミュニケーションを取り続けることを求められるのが苦痛なのです。
コミュニケーション疲れが、職業人としての寿命を縮めていたのかも
上述の通り、コミュニケーションのひとつひとつは、さほど重要視するようなストレスではないし、中身も必要なものと不要なものが混在しているので、なかなか遠ざかりにくいし、その必要性も感じないのですよ。
ただ、過去を振り返ってみると、無視できない程度にストレスが蓄積し、少なからずメンタルに影響を受けていたように思います。
フリーランス特有の「セルフ・ブラック労働」とも似た部分があるのですが、習慣になってしまうのですよ。
「慣れた」だし「気にならない」という状態のまま、じわじわとストレスを蓄積し続けるのです。
メールが来ないか? メッセージが届いていないか? 常にうっすらとスタンバイ状態になっているし、着信に気がつけば「ハイ来た。反応しなきゃ」が、条件反射になってるんですよね…。
じっくりと落ち着いて思考し続けたり、何も考えずにボーッとする時間が奪われていたのです。
先日投稿した「 足元に目を向けよう。ちょっとずつ進んでるのがわかるから」で、「暇と退屈の効能」について少し触れました。
次々とプッシュされてくる情報への対応に追われ、さほど重要でもないことに自分で自分を急かすことに時間を費やしていたのですよね。
長い間、効率的な仕事をしていたように思っていましたが、却って職業人としての寿命を縮めていたし、本来のアウトプットを妨げていたようにも感じます。
無職になる前に気づいていれば…
僕はもうすでに無職になってしまったので、コミュニケーションストレスから解放されているのですよ。
まだ無職になって、ひと月程度しか経過していませんが、それでも「楽になったな」と感じるくらいなので、割と大きな影響ありそうです。
またいつもの「もっと若いときに気づいていれば…」を考えているのですが、フリーのデザイナー時代の自分に何ができたのだろう? と考えると、
- 就業時間が終われば、PCのメーラーとチャットサービスのサイトを閉じる
- スマホは基本、フライトモードで使用。定期的に着電を確認するためにON
- SNSは、気が向いたときにテキトーに対応
くらいの感じでしょうかね?
やってみて、業務に支障がでるようであれば、都度調整したり、スケジュールの感じを観察しながら間欠的に実行しても良かったでしょうしね。
こういうのって仕事を辞めたあとに「あ〜すりゃ良かった、これを思いついていれば状況は変わったのに」みたいなことをいっぱい思いつくものなんですよね。
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