集中できなくなった。こうしてひとつずつピースを失っていくのです
2019.11.12
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。集中力あるほうだったのですよ、ちょっと異常なくらい。それが50歳前後くらいから集中できなくなったのです。言い古された表現ですが「ある日、ポキっと折れる」ような感じでアクシデントが起こったのです。たぶん原因は、休み方が下手だったから。
50代だもん。原因は加齢ですよね
20年以上もフリーランスのデザイナーで食ってきた僕が「セミリタイア生活はじめよう。いったん無職になって、1年くらい休もう」と思い至った理由のひとつが「焼きが回ってきたな」と感じたからなのですよ。
「焼きが回る」とは下記引用のとおり「頭の働きや腕前が落ちる。年をとるなどして能力が鈍る」ことなんですね。
焼(や)きが回・るの意味
1 焼き入れの際の火が行き渡りすぎて、かえって刃物の切れ味が悪くなる。
2 頭の働きや腕前が落ちる。年をとるなどして能力が鈍る。「こんなミスをするとは、おれも―・ったな」
出典:焼きが回る(やきがまわる)の意味 – goo国語辞書(2019年11月12日現在)
たぶん加齢と無関係ではないように思います。
いろんな感覚が鈍くなるのですよ。
「熟練」といえばそうなのでしょうが「この問題には、この解決策でドンピシャ」みたいな感じで、自分作業がパターン化し始めてきたころに「こりゃダメだな」と感じ始めたのでした。
パターン化し始めた、っていうか、パターンを増やそうとするモチベーションが得られなくなったからなのかな?
どちらにせよ、同じことを繰り返すようになり、それでそこそこ仕事として成立してしまうようになるのが、ちょっとイヤだったのです。
同様に、集中ができなくなったのですよ。
以前は集中力が武器だったのです
僕はもともと、集中力があったのです。
誇っていいものやら、悪いものやらよくわからないのですが、たぶん異常でした。
仕事に没頭するという意味では「誰だってそうだよ」なのかもしれませんが、僕の場合は、たとえば電話に出られなくなってしまうのです。
鳴ってるのは認識しているのですが、受話器を取るという行為と結びついてくれないんですね。
フゥーっとひと息ついたときに「そういや、さっき電話鳴ってなかったか?」と。
トイレもギリギリになります。切羽詰まってから出ないと、トイレに向かおうとしないのですよ。
何度か間に合わなかったこともあります。
そういう状態が、休み休みではありますが1日中続いていたのですよ。
「まだ明るいうちに作業始めたのに、もう朝じゃん」と感じるような毎日を送っていたのです。
当時は、このムチャクチャな特性を「長所」だと認識していました。
仕事がものすごく捗りますからね。
関係者たちにも「仕事が速い人」として喜ばれていましたし、そのおかげで声がかかった案件も、ひとつやふたつではなかったはずです。
当然、働き方は「セルフブラック」になりますよね。
そのせいかどうかは謎ですが、48歳のときにパニック障害の発作を起こします。
(参考:「セルフブラック」の功罪)
そのアクシデントを境に、体質が変わり始めた気がするのですよ。
一夜にしてタバコが吸えなくなりましたし、朝型の生活に変わりました。
そして、その頃から徐々に集中力が衰えはじめたのです。
50歳になる頃には「以前と全然違ってるな」と自覚できるほどに、です。
ある日、ポキっと折れますよ
思えば、その頃から「焼きが回ったな」と感じ始めたのですよ。
それまでは、いつまでもこの生活が続くと思っていましたからね。本気で「リングの上で死にたい」みたいなことを考えていたのですよ。
前述のパニック障害の発作。使い古されて言葉ではありますが、ホントに「ポキっと折れた」ような気がしました。
そこからまた復帰して、さらに8年程度デザイナー生活を送ることになるのですが、上手く集中できなくなるとキツいですね。
もしかすると、過集中気味だったのが標準値に戻っただけなのかもしれませんが、大切なピースをひとつなくしてしまったような感じを覚えて、上手く乗れないのですよ。
以前の「ガーッと」集中できたいた頃のイメージは残っていますから、そうできない自分にイライラしていました…。
今は、無職になったので集中できないことに何のイラつきもありません。
毎朝こうしてブログを書いているのですが、書いてる途中でニュースサイトを見たり、Google Analyticsを何度も更新したり、ランニングに出かけたり、入浴したり、空の色を観たり…。
散漫な気分のまま、書き進めています。
以前『「50代無職」のススメ』という記事を投稿したことがあります。
自分の行動を正当化したいのが半分だったりしますが「あのタイミングで折れてくれてヨカッタ」と思っているのです。
40代前半で折れていたら「40代無職&資産不足」となり、悲惨なことになっていたでしょうし、50代後半で折れていたら、次のフェーズを考える気力もなく、そのまま職業人としての寿命が尽きていたことでしょう。
同年代のサラリーマンは定年退職する年ごろですからね。「オレも」となっていたはずなのです。
このタイミングだったから「中休み」として考えられるんですよね。
現在バリバリアウトプット中の人、休んでね
でも、ホントは生涯で一度も折れないのが一番いいですよ。
僕の20年以上にわたるフリーランス生活の最大の反省点は、休み方が下手くそだったことです。
とくに若い頃には仕事に没頭して、成果と健康をトレードオフするような働き方も大切だと思います。
でもそれと同じくらい「休み方」も大切なのですよ。
定期的にきちんと休んでいれば、とくにフリーランスの場合、その分、その年の収益を最大化することはできませんが、職業人生の寿命に影響しますから。
でもバリバリ働けるときは、どうしても仕事を請けるだけ請けて、ハイスコアを狙いがちなんですけどね…。
加齢とともに、こうしてひとつひとつ、ピースを失っていくことになるのだろうと思うのです。
現時点でも「集中できなくなった」以外にも、体力的・精神的な衰えはたくさん感じています。
だからその分、違う何かを獲得しようとしたり、自分の中に空白地帯を見つけてそこに新たに置くものを探そうとしたり、なんだかんだと足掻いているのですが、たぶん失うものの量を超えることはなさそうなのです。
とはいうものの、あと20年程度は「職業人としての寿命」は受容したくないのですよ。
「焼きが回ってる」ことを否認はしませんし、「これからどうすりゃいいんだ」と戸惑うこともありません。
セミリタイアも、無職になって長期休業することも、加齢(=老い)と折り合いを付けた上での行動です。
そうすることが「職業人としての寿命」を伸ばすと信じているのです。
その上で「もっと若い頃。ガンガン働けるときにこそ、きちんと休んでおけば良かったな」と思うのです。
「休み」も大切な「仕事のスケジュール」なのですよ。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。