お土産いらないな、と判断してしまう理由
2019.11.14
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ずっとフリーランスだったので集団の中にいないのです。お土産を買っても「ついで」で渡すことができずに、いちいち渡す相手のアポイントを取る必要があったりしてメンドくさいのですよ。結局「お土産、いらないな」と判断することになってしまいます。
フリーランスは、お土産の受け渡しが面倒なのです
どうしても「どのタイミングで渡せばいいんだよ」などと考えてしまうのですよ。
これ、僕が渡す側のときですね。
逆に、仕事関係の人から「京都へ旅行してきました。お土産をお渡ししたいので、お会いできませんか?」とメールが来ても「え、なんかまいったな、どうしよ」などと思ってしまうのです。
僕は20年以上、フリーランスのデザイナーをしていたし、主にメールやメッセージでコミュニケーションを取っていたので、日常的に取引先の事務所に出入りしているような働き方ではなかったのですよ。
したがって、お土産の受け渡しを「スケジュール」にしなくてはならないのです。
いつも集団の中にいる人であれば「お土産買ってきてやったぜ」と、配るなり、自由に取ってもらえばいいのでしょうが、フリーの僕にはそういう機会がないのです。
「お土産を渡すことを口実に、取引先の人に会ってコミュニケーションを…」みたいなことを企まないワケではありませんが、考えてみてください。
「お土産を渡す」って理由で、他人にアポイント取れます?
もらう側のときも、あまり楽しくないのですよ。
お土産としてもらえるものなんて、たかが知れてますよね…。
さほど欲しくもないものを、もらいに、スケジュール取って、足を運び、短時間なれども土産話にも耳を傾けなくてはならない、って結構気が重くなる時間ですよね。
だから僕は誰かが、僕のためにお土産を買おうとしていたら、この記事に書いたようなことを説明して断ることにしています。
「遠慮しているのではありません。お土産をもらうことが嫌いなのです」と伝えます。
(参考:ありがた迷惑は断ろう、誰も得しない)
お土産文化って「ついで」の中でこそ、円滑で楽しいものだと思うのです。
でも、例外はありますよ。
たとえば、昔お世話になった方の元を訪ねるときとか、旅行なり出張なりのあとに人と会うスケジュールがすでに決まってる場合などは、なんらかのものを携えて臨みますよね。
また、行った先であれやこれやとお世話になることが分かってる場合も、何かしら買っていきます。
何が何でもお土産文化を否定しているワケではないのですよ。
そうそう。「差し入れ」は割と好んでします。
取引先のオフィスを訪れるときに、ペットボトルのお茶とか、お菓子類のような小腹対策になるようなものをコンビニで買っていったりはします。
「はい、これ差し入れっす」で話が終わって、渡す方も受け取る方も不要なタマシイ使いませんからね。
そういうのは好きなのです。
荷物が増えるのが苦痛
自分が渡す側であっても、もらう側であっても、荷物が増えるのがそこそこ苦痛なのですよ。
地下鉄に乗るにしても、自転車で赴くにしても、できる限り手ぶらに近い状態で移動するのが好きなのです。
持ってるバッグに入る程度のサイズのものならば、さほど気にはなりませんが、嵩張るものだと少々気が重くなりますよね…。
僕が渡す側のときには、絶対にそういうことにはしないのですが、貰う側のときはちょくちょくあるのです。
たとえば飲み会ですよね。
「山形から○○さん、東京に来てるんです。飲み会にも参加するって」などという会合があったりしますね。
当然「○○さん、山形に帰って何年経ったっけ? 久しぶりだね。嬉しいね」みたいなことを思いながら、飲み会に参加するのですが、その場で「久しぶりですね! はいこれ、お土産。山形のお酒」などといって、一升瓶を受け取ったりすることもあるのですよ。
山形の〇〇さんには、いっさい罪はないのですが「帰りの電車、これ持って乗るのかよ。タクシーで帰ろうかな」とか「せめて四合瓶にしてくれねえかな…。これ、東京でも買えるだろ」みたいなことを思ってしまうのです。
「せっかくだから、持ち込み料払って、ここで開けちゃいましょうか」って言うのも、帰りの荷物増やしたくない、僕の気持ちが透けて見えるようで躊躇しちゃうんですよね。
自分で選んでいないものを家に置くのがイヤ
それでもまだ、飲んで食べて消費できるものならば、受け渡しのタイミングと手に持って移動するときのメンドくささだけで済むのですが、困るのはカタチのあるものなのですよ。
たとえば、置物とか壁掛けとか。
お土産の話からはそれますが、僕が20年以上前に勤務していた会社が、オフィスを移転したことがあったのですよ。
その当時、カッコいいとされていたコクヨのオフィス家具を揃えたり、ロールカーテンを付けるか、ブラインドにすべきか喧々諤々の大議論の末、当時の上層部の思いつく限りのオシャレなオフィスに仕上がったのですよ。
まだ、バブルの余韻のあった頃ですからね、そこそこお金もかけてたのだろうと思います。
駆け出しの僕には、一切の発言権はありませんでしたけれど。
そこに、札幌の取引先から移転祝いとして、そこそこのサイズ感のある「熊の一刀彫」が届いたのです。
そして別の業者からは、これまた大きな「招き猫」が…。
この話は、これ以上掘り下げません。なんとなく状況をご理解いただけますよね。
お土産の話に戻しますと「置くもの」「飾るもの」って、そこで暮らしたり営んでいる人の趣味が反映されるものだと思うのですよ。
中には、一切の飾りを拒否したいという人もいます。
たとえば僕は、自分が選んでいないものを家の中に置くのが不快です。
好き嫌い以前の問題なのです。
ただ、形の残るお土産を捨てるのも、申し訳なく思ってしまうのですよ。
結局は目につかない場所、引き出しの中とか、クローゼットの隅とかに置きっぱなしになってしまうのです。
そして、定期的に処分することになるのですよ…。
(参考:断捨離を実行することにします)
もらいっぱなしってワケにはいかないのです
お土産の受け渡しが行われると、どうしても「お返し」って考えますよね。
職場によっては、旅行先でお土産買ってきて「好きなやつ取ってくださ〜い」ってやるのが風習になってるところもあるでしょうし。
個人的にもらってしまったときも、当然もらいっぱなしってワケにはいきませんよね。
特に旅行や出張に行く予定がなければ「お礼にランチでもおごるよ」みたいな形のお返しを思いついたりするのですが「一緒にメシ食うほど親しくないぞ…」という場合もあるのです。
そして僕の場合はフリーランスだったので、お返しをするにしても、それをわざわざスケジュールにしないといけないのです。
結局また冒頭で書いた「どのタイミングで…」に戻るのですよ。
なので僕はおおよそ「お土産いらない」と判断することにしています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。