何もしない日々を過ごしながら……
2019.11.17
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。無職になって「何もしない日々」を過ごしています。言い換えれば「何をしてもいい日々」が続いているのです。心に余裕ができたのか、自分が向いている方向が変わりつつあるのを感じます。ゆっくりとアップデートしはじめているような気がするのです。
こうして「無職になった。無職になった」と書き続けているうちは、まだ無職が板についていないのでしょうね。
自分でも自覚しています。
なんせ、人生はじめての体験ですから、戸惑いや不安と爽快感・解放感が交互に現れてきて、なんとも腰が据わらない感じなのです。
長期にわたって無収入だったことは、社会人になってから二度ほどあります。
最初は、フリーランスになったばかりのころ。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう)
もう一度は、パニック障害を発症した後に3ヶ月程度の休養をとったときです。
休養といいつつも、他人に任せるほうがストレスになりそうな仕事は継続していましたので、毎月20万程度の収入はあったから「無収入」とまでは言えないかもですね。
どちらも、望んで無収入になったわけではないのです。
爽快感や解放感があったのは、フリーになった直後のひと月くらい、その僅かな期間を除くと、ずっと不安感に苛まれていました。
「早く、この状況を脱しなきゃ」と焦りばかり感じていたのです。
今回はじめて、自ら望んで無職(=無収入)になりました。
世間一般でいう「無職」とは、若干定義が異なりますが、メンドくさいので「無職」ということにしています。
(参考:「無職」って言っちゃうとウソになる。でも言いたいのです)
習慣はあっても、ToDoリストはない
一時期、断捨離がブームになり、モノを所有することや、生活の中におけるモノの位置づけの見直しについて注目が集まりました。
僕も道半ばではありますが、持ちものを最小化することにチャレンジしています。
(参考:断捨離を実行することにします)
現時点では、
- 書棚の本をすべて廃棄
- 書類を4段キャビネットに格納、あとは廃棄
のみ完了していますが、予定していた「衣類の最小化」「食器・調理器具の最小化」「不要な家具の廃棄」に関しては未着手です。
このブログの色んなとこでで「ゼロに戻すフェーズだ」と書いているように、いったん身の回りのことをすべて見直す時期なのですよ。そう自分で決めたのです。
モノを整理する断捨離と同様に「時間」の大切さも見直している最中なのです。
他者によって影響を受けていた時間をできるだけ削り取って、自分で支配できる時間を最大化したいと思っているところです。
だから無職になったし、そうなると「何もしない日」が増えるのです。
もちろん、日々の生活に関わることや、こうしてブログを書いたり、朝ランをしたりなどの習慣は残ったままです。
仕事上のToDoリストがなくなるのです。
そうすると習慣として続けていることが、以前よりも少し大切なものに感じられるようになるのですよ。
そして「新たにこういう習慣を加えたい」という欲求が生まれてくるのです。
僕の場合は今、第二種電気工事士の資格を取るべく学習を開始していたり、田舎に移住して「古民家再生をDIYでやりたい」などと考えているので、先人たちのブログやYouTube動画をずっとチェックし続けています。
他にも、動画編集ソフトを起動していじってみたり、カメラや照明などの機材を物色したりもしています。
半分娯楽、半分学習くらいの感じなのではありますが、ほんのちょっとだけ自分をアップデートさせつつある感じがしています。
ちょっと、物件探しのとときの着目点が変わってきたりするのです。
昨日投稿した「創作活動を続ける人生でありたい。仕事とか趣味とか関係なく」を意識して、「何もしない日々」といいつつも、なんだかんだとし始めているのです。
何もしない日が、楽しいことを見つけてくれる
無職になって「何もしない日々」が続くということは、その日の気分次第で「何をしてもいい日々」が続くということなのです。
生活部分での拘束は残りつつも「仕事をやめると、こんなにも頭の中がスッキリするものなのか」という印象です。
「若い頃から定期的にやっておけばよかった」と反省しつつも、あとの祭りですね。
ずっと「仕事を切らすのは悪だ」と思っていましたし、オッサンになって始めて気付くことですね。
もともと20年以上にわたってフリーランスのデザイナーでしたから、サラリーマンの方々にくらべると、時間の自由度は高かったはずなのです。
買物は平日の昼間にしかいかないし、早朝バタバタしてランニングに行けなければ、朝10時くらいに走ったりしてましたから。
それでも常にToDoに追われていました。
〆切にしても公開日にしても、スケジュール絶対主義でしたし、仕事に追われていることを心地よく感じていたのですよ。
時間の使い方は自由だったけど、心に余裕はありませんでしたよね。
そういう状態だと、何もしない時間を取れそうなときでも、仕事に関係しそうなお決まりの練習や学習で埋めてしまうのですよ。「何をしてもいい時間」という捉え方ができないのです。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと)
当時は、効率的に時間を使って、自分を成長させていたような気になってましたけど、決まったことを繰り返してただけだったんですよね。
なかなか目先を変えるような、新しい取り組みができていませんでした。
そういうことをするためには、心の余裕が大切なんですよね。
「何もしない=何をやってもいい」日って必要なのです。
そういう余白の部分がないと、視野が広がりませんからね。
楽しそうなことが視界に入っても、楽しそうだと認識できなくなっちゃうのですよ。
ちょっとでもアップデートできれば、それでいいや
こうして何もしない日々を過ごしていると、なんとなく、自分が向いている方向が変わりつつあるのを感じるのです。
これまで、人と会話したり、本を読んだり、ネットでコンテンツを漁ったりし続けているにもかかわらず、あまり上手く吸収できてる感覚がなかったのですよ。
「今日もデザイナー明日もデザイナー。たぶん1年後もデザイナー」などと考えていたので、限られた範囲内でのみ思考を続けていて、いろんな情報に接しても、予め設定された問題を解決するためのものにしか反応できなくなっていたんでしょうね。
そうでないものは、その場で消費して終わり。
簡単に言えば「心に余裕がなくて、新しいことを吸収できなかったし反応できなかった」ということなのだろうと思います。
無職になって。何もしない日々が心に余裕を作ってくれて。ほんの少し情報を吸収しやすい自分になって。ゆっくりと自分のアップデートが始まったのかな? などと思っているところです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。