シロートが情報発信することの価値
2019.11.22
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。シロートが専門外のことを始めると、必ずドタバタが起きますよね。知識がないし、手際も悪いし仕方のないことなのです。ただ昨今、このシロートのドタバタこそが価値なのだと思っています。熟練者の淀みない作業よりも、観て聞いて「楽しい」のです。
世の中、自分が専門家でない分野のほうが多い
当たり前だけれども「最初は誰だって初心者」なのですよ。
それが年齢を重ねてくると、だんだんと自分が初心者であることが減ってくるのです。
すでに自分が手にしている技能だけで、なんとか暮らしていけるので、挑戦をしなくなるし、何かの分野において未熟な状態であることに耐えられなくなっていくんですよね。
僕も50代半ばなので、そういう傾向を感じています。
「四十(しじゅう)の手習い」って言葉がありますね。
一説には「六十の手習い」ということわざの誤用だという話も聞いたことがありますが、どうなんでしょ?
……と思ってググってみたら「六十の手習い」のほうが正しいようです。
六十の手習い
【読み】ろくじゅうのてならい
【意味】六十の手習いとは、年をとってから学問や習い事を始めること。
【注釈】六十歳になって文字を習い始めることから。
学問や習い事をするのに年齢制限などなく、たとえ晩年に始めても遅すぎるということはないという意味が込められている。
年をとってから習い事や学び事を始める(晩学)という意味で、「六十」は「七十」「八十」でもよい。
出典:六十の手習い – 故事ことわざ辞典(2019年11月22日現在)
ずっと「四十」のほうで覚えてました…。
このことわざ、僕は勝手に「オッサンになっても、定期的に何かの初心者になっといたほうがいいよ」とか「オッサンになると、知らないことが増えるから、意識的にアップデートしなきゃね」という意味で解釈していました。
歳を取るごとに「知らないこと」って増えていくものなのですよ。何かひとつを新しく知ることによって、もっと多くの「知らないこと」に出会いますからね。
加えて、新しい技術とか価値がどんどん生産されてきますから、ますます「これ何?」だらけになっていくのです。
僕はずっとデザイナーを生業としてきましたので、その分野では「専門的知識とスキルをもっている」ということになっているのでしょうが、そうではない分野のことが気になって仕方ないのです。
その傾向は加齢とともにどんどん増しているような気がしています。
身近なところだと「自転車のギアの調整が上手くできるようになりたい」とか「包丁を上手に研ぐ方法に興味がある」みたいなことだし、自分には手の届かなそうなところだと「野菜の品種改良とか興味ある」とか「酒の味って、どうやったら変わるんだ?」みたいなことですね。
とにかく「オレって、何も知らないな」と感じることが増えてくるのです。
シロートのドタバタに価値がある
昨日「田舎に家を買う条件 ― 萩で物件探し始めます」という記事を投稿しました。
その中で、
次に萩の作業場に移動する12月の前半。
市役所の「地域づくり推進課」と接触して、目ぼしい物件を内覧させてもらおうと思っています。
と書いていましたが、早速つまづきました。
どうやら、いきなり担当者を訪ねても何も起こらないようなのです。
「萩暮らし応援サイト – 萩市ホームページ」にきちんと、
- 事前登録が必要であること
- 登録には2~3週間を要すること
が書いてありました…。
ただ「窓口利用者登録が完了になりませんと、所有者の方と交渉・契約は出来ません。」とは書いてあるものの、内覧の可否については触れられてないんですよね。どうなんだろ?
「屋内には入らないけど、敷地内に入って外観チェックはよい?」くらいのことは聞いてみようと思います。
とりあえずは「できることをやっておこう」と、申請書類とか誓約書だの同意書などのPDFをダウンロードして、記入捺印して送付だけはしておきました。
「まずはご連絡ください」と書いてあったので「書類送りましたよ」とメールを送っておきました。
進め方に不備があれば、向こうから何か言ってくるでしょ。
こんな具合に、いきなり「思った通りにならなかった」を経験してしまいました。
これからも、オーナーさんと交渉したり、売買手続きをしたり、近隣の方々に挨拶に伺ったり、などなどの段取りがありますし、物件を取得したあとは、本来のテーマである「セルフリノベーション」が始まります。
何から何まで、僕はシロートなのですよ。
東京で新築マンションを購入したときと同じようにはいかないのです。
僕、実はこれが「価値」だと思っているのですよ。
専門知識のある人が「ほら、こうしたら上手くいくでしょ」とやってみせるのも、決して悪くはないのですが、昨今、何かを自分でやってみたい人がどんどん増えてきているように思うのです。
先日投稿した「レシピを公開したお菓子屋さんの話」で触れた「お店に商品を注文せずに、まずは自分で作ってみたくなる人」のような人々のことですね。
自分がそうだから、世間のそういう人々が目についているだけなのかもしれませんが、それならばそれで構いません。
僕はシロートのドタバタに価値があると思っているのです。
シロートでいられる期間は短い。希少なのです
今「古民家再生をDIYでやりたい」と思っているので、それ系のYouTube動画をものすごく見ています。
多くの方は素人から始められたのだと察します。
まったくのシロートである僕から見ても、知識がなかったり、手際が悪かったり、四苦八苦していることが伝わってくるのですよ。
そして、それをずっと続けている人は、明らかに「知識が増え」「新しい道具を手に入れ」「上手になって」「手際がよくなって」いるのですよ。
もちろん、動画の撮り方や編集方法についても同様です。
この成長ストーリーにとても共感できるのです。
まだ初心者にもなれていない僕でさえ「自分もこういうのやってみたいな」「オレだったらこう仕上げるな」などと妄想しながら動画を観ることがとても楽しいのですよ。
「ここにシロートが情報発信することの価値があるんだな」と、ひとり納得しながら1日中動画を観ています。
とにかく「失敗事例」が豊富なのですよ。
編集の段階で、失敗を意図的に拾っておられるのでしょうね。
その方が視聴時間が増えるのかな?
みんな、熟練者がよどみなく作業を進めていく手際の良さよりも、初心者が失敗の原因に気付き、それに対策していくことに興味があるのですよ。
もちろん、熟練者の解説動画もとても有益なんですよ。それを前提として「シロートのドタバタ」の価値が上がってますよね、という話をしているのです。
僕も近い将来「こいつ、なにやってんだ? シロートじゃん」「撮影も編集もクソ」と言われる地点から「古民家リノベーション動画」を配信したいと思っています。
おそらく2〜3年も続けていれば、それなりにカタチにはなるのでしょう。
つまりシロートでいられる時期は、2〜3年程度、希少です。大切にしよう。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。