無職になって初めて迎える年末
2019.12.16
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。今回が無職になって初めての年末なのです。暇になると「やりたいこと」「やりたくないこと」が鮮明になるのですよ。どんなに時間があっても、行きたくない忘年会には何の衒いもなく「不参加です」と返事できるようになります。これが割と快適なのです。
無職で迎える年末
以前投稿した『「無職」って言っちゃうとウソになる。でも言いたいのです』でも触れているように、僕は2019年9月25日を「失業記念日」ということにしています。
なので、いま無職になって初めての年末年始を迎えようとしています。
とはいえ去年の年末年始も、だいぶセミリタイア感が強まった上で迎えたので以前ほど「なんとか年内に公開したい」とか「年明け早々にテストアップ見たい」などという、いわゆる年末進行からはすでに逃れているのです。
何も変わったことはなく「ずっと暇にしているのもアレだから、自動車免許を取りに行くか」と思っているくらいです。
もともと20年以上フリーランスです。
今も「無職」と言っていますが、法人を所有していたり、週に5分くらい働く運営業務がひとつだけ残っていたりするので、まだフリーランスってことになってるのです。
「無職≒仕事をしてないフリーランス」なのです。
就業時間という概念は持ち合わせていないし、平日と土日祝の違いもあまりなかったり、月給もボーナスも「なにそれ?」だったり、とにかくサラリーマンの方々といろんなものが違っているのです。
両者にメリットもデメリットもあるので、どっちが良くてどっちが悪いなんてことはいいません。
好きな方を選べばいいのです。
僕はフリーランスのほうが向いていると思ったから、そちらを選んだし、今でも「オレ、フリーに向いてるわ」と思っています。
「無職にはなったけれども、職業人として引退したわけじゃない、休んでるだけだよ」と思えるのも、もともとフリーランスは仕事がないときは無職みたいなものなので、無職になってもさほど精神的なダメージはないからなのです。
当然、心理的な不安が皆無ではありませんが「フリーになった当初もこんな感じだったもんな」という気持ちがどこかしらにあるのです。
それどころか、フリーになったときにはカラッキシの文無しだったのですが、今は不動産も金融資産もありますしね。気持ち的にはゆったりしています。
逆に焦っているのは、残り時間が少なくなっていること。
現在、50代半ば。先日投稿した「[フリーランスの老後]人生のピークを先延ばしする」で書いたように、まだまだ職業人生は残っているとも思えるし「もう、折返しを過ぎちゃってるか…」とも思うのですよ。
「もうワンゲームできる」とも感じるし「あとワンゲームしかできない」とも感じるのです。
そのへんを整理するための「無職になって長期休暇」なのです。
結局、忘年会の話になっちゃいますよね
さて年末ですよ。
前項で述べたとおり、僕はずっとフリーランスとして生活してきたので、忘年会というものの捉え方が、サラリーマンの方と少し違っているように思います。
「さあ、今日は忘年会だから」とみんなで一斉にPCの電源を切ったり、みんなで連れ立ってお店に向かうようなことはしないのです。
いつもやってる通常の飲み会を12月に開催するときに限って「忘年会」と呼んでいるだけなのです。
さらにいえば「新年会」も同様ですね。
ただ、日頃会ってないし、さほど会いたくもない人から「忘年会しない?」と連絡が来ることはありますけどね…。
たぶん「自分が幹事をやると、人がいっぱい集まっちゃうよ」アピールをしたい人なんでしょうかね?
それ以外に僕を呼ぶ理由がわからない人からの誘いも、ときどきあります。行きませんけどね。
このへんは、以前投稿した「忘年会に参加したくない気持ちが、無職になったらちょっとユルんだ」でちょっと触れています。
本当は、この季節に開催される飲み会(=忘年会)にあまり参加したくないのですよ。
好きな人々との会であっても、です。
街が酔っ払いだらけだったり、店が混んでガシャガシャしてたり、電車の中が臭かったり、時間制限を設けられる感じがイヤなのです。
せっかくフリーなんだから「そういう時期は避けようよ…」というのが本心だったりしますね。
そうそう。季節は違いますが僕、花見をしたことがないのです。
20年以上前のサラリーマン時代もです。
毎年「うちも花見とかやろうよ」と言いたがる人はいたのです、そして僕を巻き込みたがっていることも分かっていたのです。
「やろうよ」と言われ「やっても、僕は行きませんよ。つまんないでしょ」と答えるのが毎年恒例の行事みたいになっていました。
経営者たち自身があまり乗り気じゃなかったことと、僕が「つまんないでしょ」と言ってるのを引き合いに出して「みんなが望んでるわけじゃないから…」とウヤムヤにされ続けてましたね。
僕も経営者連中が乗り気じゃない空気を感じていたので「つまんないでしょ」って言えたんですけどね。
フリーランスになってから、声がかかったことあったかな? あったかもしれないけど参加はしてません。
暇になると「やりたいこと」「やりたくないこと」が鮮明になりますね
今年はおそらく「忘年会」という名の飲み会には、1・2回は参加することになろうかと思います。
なんとなく行きたい忘年会には「いいすね」と返していますし、そうでない会には「欠席します」と返事をしています。
忙しいか忙しくないかは関係ありません。だってずっと暇なんですから。
なんだか最近「若者が忘年会への参加を嫌がってる」みたいな記事を目にすることが多いですね。
これ、僕が駆け出しだった昭和時代でもそうでしたよ。
行きたくない人は「私は不参加で」って言ってましたし、やりたい人が集まって勝手にやってたような雰囲気でした。
会社によっては強制参加のところも皆無ではなかったのでしょうが、少なくとも僕がいたところはそうでした。会社の行事化されているか、そうでないかの違いかもしれませんね。
新年会は顔合わせから始まって、部署別会議。その後、食事会兼新年会と、行事化されてましたので当然出席してましたね。
昔はさほど話題にならなかっただけで「忘年会ウゼえな。オレ行かねえ」という人々は、いつの時代もいるものだと思います。
みんな、好きな人と食事をしたり飲み会を催したりするのは好きなのですよ。
そうではなく「同じ会社のメンバーなのだから飲みに行こう」となると「は? なんで」と感じるのですよね。「会社って、飲み会するための集団じゃないじゃん」と。
これ、サラリーマンをディスってるワケではないのですよ。
僕は30代半ばにフリーランスになりましたけど、あるクライアントの案件に携わる中間業者やフリーランス同士が「疑似会社」的な雰囲気を求めてる感じも受けたことも何度かあります。
サラリーマン、フリーランスに関わらず、これを快適と感じるか、不快と感じるかは「人による」ということです。
無職になると、要らないことをしなくていいのがとても快適です。
生活が余白だらけになりますので、その余白に彩りを与えるものなのか? 汚すものなのか? に対してとても敏感になるのです。
出席欠席をスケジュールの空き状況で判断しませんし、出会いの損得も関係ありません。
単純に行きたいか、行きたくないかで決められるのです。
「無職じゃなくても、そうやって決められるじゃん」とも思うのですが、なにかしらの案件を請けてる状況だと「○○オワリ」とか「○○ナガレ」で、あまり気乗りしない忘年会に出席することもありましたし、「○○さんに呼ばれたから」「誰々さんが、会いたがってたよ。来るって」みたいな感じの誘われ方をされて「じゃあ仕方ないか…」なんてことも少なからず…。
すでに「不参加」表明済みのLINEグループのやりとりを視界に入れつつ「ほんの数日前に忘年会について書いたのに、また書いちまったな…」なんてことを考えている年末です。
不参加の理由を問いただして来るヤツがいたらグループから退出しようと目論んでいるのですが、さすがにそこまで不躾な人はおらず、日々流れるタイムラインを眺めているのです。
もう、2019年が終わろうとしていますね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。