オレはこれで食べていく。を考える
2019.12.17
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。これまでの人生でいくつの「これで食べていく」を望んだことでしょう。結局その中からデザイナーで食べていくことが叶って、運良く生活が成り立ったのですが、その後もいくつかの「これで食べて…」という望みが現れたり消えたりし続けるものなのです。
なかなか消えない感情なのですね
僕は30年以上、デザイナーという職業を生業としていました。
そのうちの10年くらいは会社員で、20年くらいはフリーランスでした。
なので、かつては「オレはデザイナーで食べていく」と思っていた時期があったのです。
その前は「高校の教員になりたい」と思っていたこともあったし、大工や陶芸家のような手を使ってモノを作る仕事でメシを食いたいと思っていたこともあります。
結局「デザイナーで食べていきたい」が当たって、人生の大半をこの職業で過ごしてきたのですが、デザイナーで食えるようになったあとも「○○で食べていく人になりたい」という感情ってずっと残り続けるのですよ。
それは波のようなもので、なんとなく「この仕事のこういうところが、デザイナーでは得られない感覚なんだよな。羨ましいな」くらいの気持ちで他の職種を眺めているだけのときもあれば「もうデザイナーなんてやってる場合じゃない。すぐにでも状況変えなきゃ」という強い感情が押し寄せてきて悶々とする日々を過ごす時期もあるのです。
事実、僕は50代半ばになってデザイナーを辞めて、次のフェーズを組み立て始めているのです。
なんとなく今は「生産的な趣味として構築する今後の職業」を模索しつつ、ちょっとずつ手を動かしはじめているところです。
基本は「現在、無職になって休暇中」なのですが、思考は勝手に前に進んでいきますからね。
半分は休み、半分は次のフェーズの準備という感じで過ごしています。
「これで食べていく」のゴールは?
かつて、デザイナーになったとき漠然と「フリーランスになって年収1,000万円」を目標に掲げていました。
余談ですが、フリーの年収1,000万円って、サラリーマンの方の年収1,000万円よりも全然余裕ありません。
いつ無職になるかわからないし、社会保険料の会社負担分も実質自分持ちだし、退職金もありませんからね。
「フリーはサラリーマンの3倍稼いでトントン」ってよく言いますね。
実際にフリーランスになったのは30代半ばだったし、年収1,000万円超えたのは、そこから4年目のことでした。
フリーになった勢いで、デザイナー以外の「あれもやりたい、これもやりたい」にも手を出していたのですよ。
傍から見ると「デザイナーで食べていくための真剣さが足りない」状態だったと思います。
でも、この過程でグラフィックデザイナーからWebデザイナーに軸足を移せたことが僥倖だったと思っています。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう)
「これで食べていく」の食べていける状態って、人によって条件が異なりますよね。
たとえば家族がいて、お子さんたちがこれから受験。学費やらなんやなんやの出費が予定されている人と、とりあえず自分ひとりが飢えなければそれでいい人では、ゴール地点がまったく異なるのですよ。
どちらにせよ最低限の収入は「やりたくもない仕事」をしてでも稼ぐ必要がありますよね。
ある水準までは、自分が望む「オレはこれで食べていく」なんてクソ喰らえなのです。
僕が今「セミリタイア生活に入りました、あとは仕事を娯楽にしよう」とか「ひとりで完結する仕事を模索しよう」などとユルいことを言っていられるのは、金融資産や不動産を所有していたり、あと10年もすれば年金受給年齢になるからなのですね。
〈参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)〉
職業人生を伸ばしながら老後に向かおうとしているのです。
気力体力を失っても、そこそこ労働に携われる、ユルい職業を構築しようと考えているところなのです。
(参考:[フリーランスの老後]頑張って良かった。老い方を選ぶことができてる)
20数年前にフリーランスになったときと全く状況は異なるのです。
この見極めってとても大切。生活ができない状態で「オレはこれで食べていく」と望み続けることはできないのです。
「焦る」とか「不安になる」気持ちって大切ですよね。
ユルく向き合っていても、それなりのエネルギーは必要なのです
前項で述べたように、いまの僕はセミリタイア生活に入ったこともあり、仕事に対してユルめの向き合い方をしようとしているのですが、それでもある程度の収入は得たいのですよ。
そのぶん生活が豊かになりますし「オレも社会の役に立ってるな、ウレシイ」って感情は持ち続けたいですからね。
いったんデザイナーを辞めて、何もないところから動き出そうとしています。
環境をガラッと変えるためにあらゆることを「ゼロに戻す」フェーズを作っているのです。
当然、収益を得られるようになるまでには、時間を要しますよね。
今考えている「あれやりたい、これやりたい」もあれば、以前投稿した「新しい感情」の中で、やろうと決めたけれども行動に至らなかったものや、行動したけれども上手くできなかったことを「心の熾火(おきび)」という言葉で表現していますが「やり残したことに再度着手してみよう」という気持ちもあるのです。
何から手を付けていけば自分が楽しいと感じるのか? やってみなければわからないし、その中の何が収益をもたらしてくれるかもわからないのです。
それなりのエネルギーは必要になりますよね。
要するに、食べていく(=収益を得る)ということは、個人でも会社でも、ネット上の見知らぬ人々でも構わないのですが、それなりにマーケットから認められるということなのですよ。
「もうセミリタイアしたのだから、やりたいことしかやらない」と口では言いますし、こうして文章にもします。
でも闇雲に「作ることの楽しさ」に溺れているわけにはいかないことくらいは、30年間の職業人生活で身についているつもりです。
でも「好きなところに住んで、好きなことだけやって暮らす生活」ってとても素敵なことなのですよ。
せめて傍からはそう見られるようになってみたいのです。
そう見られるようになったらなったで、今度は努力や苦労の大切さを語り始めるかもしれませんけどね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。