最後までやりきることの大切さ
2019.12.19
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。自分を変えるためには、大小織り交ぜた「最後までやりきる」を繰り返すことが大切なんじゃないでしょうかね? とくに何かを始めたばかりのときは、ビリでもいいからゴールテープを切る体験をすべきだと思うのです。そこから継続が始まるのですから。
ボロボロでもいいから、最後までやりきろう
これから書こうとしている話は「責任感を持とう」とか「辞めない、諦めない、努力を続けよう」みたいな話ではありません。
始めちゃったことは、ちゃんとゴール設定してそこまでたどり着きましょうという話です。
ボロボロでもヘロヘロでもいいし、ゴールの設定を少しくらいちょろまかしてもいいから、ゴールテープを切るところまで行ってみましょうということなのです。
そうしないと自己検証できないし、次にやるべきことがクリアにならなくて、上手に楽しめないのですよ。
たとえば僕が毎日書くことを日課にしている、このブログ。
朝起きて、作業台の前に座り「今日はこんなことを書こう」と思いついて書き始めます。
思いつくまでには時間がかかります。5分くらいで思いつくこともあれば、1時間くらいかかることもあります。
思いついたときはちょっとウレシイのです。
「なにもない」から「ある」状態に変わることを毎日体験できることは素晴らしいことだと思えるから続けていられるのです。
それが「前にも同じようなこと書いてるじゃん」でも「最近接した他人の言説に影響されちゃってるな」だったとしても構わないのです。
でも書き始めると、最初の「思いついた、ウレシイ」はすぐに使い終わっちゃうんですよね。
あとは、あ〜でもないこ〜でもないと考えながらどんどん書き進むしかないのです。
なんか書き始めたら、次々となんかしら思い浮かんで来るものなのです。
僕は「出来は悪くてもいいから、2,000字以上書こう」をゴールに設定しています。
テーマを決めたときの「こうしよう」は、数行で終わっているので、あとはひたすら考えながら、ときには考えてる途中で考えが変わって「前の文章とつじつまが合わないな、どうしよう」などと思ったりしながらゴールに向かっているのです。
まったくイメージの違う仕上がりになることなんて、しょっちゅうです。
ブログに限らずいろんなものごとが、だいたいこのパターンなのです。
だから、最後までやりきらないと自分のチカラがわからないし、次の構想も浮かばないし、楽しかった記憶も残らない。
つまり、そこで「継続」が終わってしまうのですよ。
自分で始めたことだから、ゴールも自分で決めよう
以前投稿した「新しい感情」の中で、やろうと決めたけれども行動に至らなかったものや、行動したけれども上手くできなかったことを「心の熾火(おきび)」という言葉を用いて表現しています。
これらに共通していることは「始めなかった」と「やりきらなかった」なのですよ。
今回は「始めなかった」については置いておいて、今回は「やりきらなかった」ことについて考えようと思います。
先日「自分の壁を越えるためには、それを認識できなくちゃね」という記事を書きながらモヤモヤと頭にの中にありつつも、うまく言語化できなかった考えが「最後までやりきることの大切さ」なのですよ。
小さな壁をいくつも認識して、それを乗り越えるのを習慣化すること、何度も何度も繰り返すことが「自分を変える(=成長)」に繋がると思うのです。
ちょっと言葉を変えると「壁を認識する」は「ゴールを設定する」ということなんですよね。
前項で書いたブログについていえば「毎日」「2,000字」みたいな感じです。
最初はキツかったけれども、今は完全に習慣化されています。
いつの間にか、設定したゴールをクリアすることが簡単になっているのですよ。
「ブログを書かない人」から「書き始めた人」を経て、もう「書く人」になったと言ってもいいんじゃないでしょうかね?
「では成果は?」というと、毎月初の定期コンテンツである「運用報告」にて、毎回「ずっと右肩上がりではあるものの、その伸び幅は非常に少ない」ということを報告し続けているように、華々しいものではありませんが、それでも「自分の日常が変わったな」という感触を得られる程度の効能は感じています。
自分の過去を振り返ると、ゴール設定せずにとにかく着手して「これを続けていれば、そのうち仕事になるかな」とか「まずは学習だけしておいて、仕事に繋がりそうなら試作してみよう」みたいな、ふんわりとした進め方が多かったのですよ。
それでもフリーランスのWebデザイナーとして20年以上メシを食ってきました。
今から思うと「よく、あのときに『Web制作で行くぞ!』とアクセル踏み込めたもんだな。運だよな」と思っています。
出会い頭の衝突みたいな感じで食えるようになりましたからね。
実は不動産購入の話につながるのです
なんで今、こんなことを考えているかというと「萩市の古民家を内覧してきた」からなのですよ。
僕は山口県萩市に移住して、安い古民家を買い、住みながらセルフリノベーションをしながら暮らすことを決めています。
1年近く前に「古民家再生をDIYでやりたい[思いついてることを記録する]」という記事を投稿していますが、「思いついてること」から「やること」に昇格しているのですよ。
そのために先日、気になる物件を内覧してきたのです。
一方で僕は、数ヶ月前から少しずつではありますが、断捨離を進めています。
(参考:断捨離を実行することにします)
できるだけモノのない空間で生活したいのです。
そこで気になっているのが、住宅のサイズなのですよ。
先日内覧したものも「さほど大きくない物件を」という選び方をしたのですが、今「まずは極端な狭小住宅を買って、ひとつ仕上げてみる」という考え方が生じてきているのです。
- 断捨離をしているので、生活スペースは限定的で良い
- 物件が狭小である方が想定ゴールまでの期間を短縮できる
- 求めていた成果に至らなかった場合、気軽にリトライできる
みたいなことを考えはじめているのです。
その裏には「安価な物件で試した方が、失敗したときのダメージが少ないよな」という理由もあります。
200〜300万円の家は安いけれども、その金額の失敗は痛いですもんね。
僕の感触だと、古民家(=築古中古物件)リノベーションは、1件では済まない予感がするのですよ。
今後、安価な空き家の出やすいエリアですし、僕自身がこういう生活にハマりそうな気がしているのです。
自分で再生した物件を賃貸に出せば収益化できますしね。
「まずは短期間で、最後までやりきることを体験してみたい」という気持ちを優先した物件選びをするべきなんじゃないかと悩みはじめているのです。
まあ、そんなことを考えてるのが楽しいんですけどね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。