タダで楽しむ技術は資産化する
2019.12.20
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。なんらかのアクシデントで資産を失い、将来設計が狂うことも想定しているのですよ。もしそうなっても、タダで楽しむ技術を身に着けていれば、人生に絶望しなくて済むのです。お金ではない資産を築いておうことは人生を豊かにするために大切なことなのです。
健康であることを前提に将来を考えています
このブログで何度も繰り返し書いているように、僕はいまセミリタイア中です。
セミリタイア生活を始めることを思いついたときから「そうだ。記録しておこう」と思い立って始めたのがこのブログなのです。
短期的には「無職」です。
20年以上フリーランスのデザイナーを続け、いささかバテを感じているので、1年くらいの長期休暇を取っている最中です。
定期的にこのブログをお読み頂いてる方は「また同じこと書いてるね。知ってるよ」と思われるかもしれませんが、来訪者の70%くらいは検索エンジン経由でこのページにたどり着かれるはずなので、必要なバックグラウンド情報は繰り返し書くことにしています。
僕がセミリタイア生活をはじめられたり、無職になれたりするのは、ひとえに不動産と金融資産のおかげです。
職業人生の大部分を国民年金にしか加入していなかったし、開業当時はお金がなくて納付していなかった期間もあるので、年金に頼るわけにはいかないのです。
僕はいま50代半ばです。サラリーマン年齢に換算すれば、あと5年ほどで定年退職ってところですね。
その後も5年間くらい再雇用してもらうのでしょうから、職業人としては残り10年ってところでしょうかね。
「もう働かなくても、最低限の生活はできるろうな。豊かではないけど」といった状態だろうと思っています。
だからセミリタイアに踏み切れたのです。
でも、それは「しばらくは健康な状態を保っていること」「大きな失敗をしでかさないこと」を前提にした考え方です。
病気になって大きな医療費負担をせざるを得なくなったり、事故や犯罪、事業の失敗などに見舞われ、当てにしていた資産を失うことも十分に考えられるのです。
だから僕は80歳くらいまでは労働を手放したくないのです。そのかわり、ユルめの仕事しかしませんけどね。これも、幾度となくこのブログ内で主張していることです。
〈参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)〉
僕にとっては、まず創作活動ですね
もし、将来なんらかのアクシデントですべての資産を失い、生活保護で暮らすようになったとしても、そのときに絶望しなくて済むために必要なのが「タダで楽しむ技術」なのですよ。
このブログもそうなのですが、細かく考えると、
- 作業用PC
- ドメイン料
- サーバー代
くらいは必要だったりしますが、とりあえず最低限のコストは無視しましょう。
僕たちは、老後のための資産を形成することばかり考えていて、タダで楽しむ技術を身につけることにあまり感心がなかったりします。
「タダで楽しむ技術」は、それを身につける過程自体が楽しく、有意義なことなのですよ。
知的好奇心をくすぐってくれるし、お金も使わないで済むので、一石二鳥なのです。
僕はこれまでの人生、ずっとデザイナーでメシを食ってきたので「創作活動を続けていくのだろうなあ」と思っています。
(参考:創作活動を続ける人生でありたい。仕事とか趣味とか関係なく)
これまで仕事として携わってきたグラフィックもwebも「ちょっとだけ生活を楽しくする」ための使い途なんていっぱいありますからね。
その他にもDIYだったり、動画制作あたりが、新しく身に付けたいと思っている技術です。
もしかすると、最初のうちは技術不足で楽しくないかもしれませんが、一定のエネルギーを注いだあとはそれなりに快楽に変わってくれるはずなのですよ。
グラフィックもWebもそうでしたし、今こうして毎日書いているブログでその感覚を味わっている最中なのです。
これを65歳とか70歳、つまりサラリーマンが定年退職を迎え、再雇用期間も過ぎてから「そうだ、これからは創作活動だ」と思いついても、その技術を獲得するのは困難だと思うのです。
個人差があるのは分かっていますし「年齢なんて関係ないじゃない」とも思っていたりするのですが、僕が考えるのは「気力も体力も集中力もある若いうちに始めたほうが有利でしょ?」ということなのです。
「タダで楽しむ技術」は、資産運用カテゴリに投稿している金融資産や不動産と同様に、若いうちから年月をかけて構築することで老後の人生を豊かにしてくれる資産なのですよ。
そして、同じく「もっと若い頃から準備していればな」と後になってから感じるものなのです。
40代の僕に「オレ50代半ばで動画制作はじめるぞ」って言えば「無理だやめとけ、なんで40代のうちに始めなかった?」と答えると思います。
同じように「なんで50代のうちに…」と60代の僕に向かって言いたくないのです。
タダで楽しむ技術は、社会との接着点になる
ほかにも料理だったり家庭菜園だったり、地域の歴史や地理の調査だったり、ありとあらゆる「タダで楽しむ技術」は存在します。
前述の通り、材料だったり道具だったり最低限のコストはかかりますけどね…。
「海外旅行が趣味。資産が底をついたから、もう楽しみがない」とか「毎年、新しい車に買い替えたい」みたいな、消費によって得る快楽と比べるとそのコストは知れてると思うのですよ。
そもそも「タダで楽しむ技術」を身に着けていると、使えるお金が少なくなれば、それなりの楽しみ方を見出すこともできるでしょうしね。
1日中「何も面白いことがない」と言いながらテレビを観て過ごすような老後は送りたくないのです。
今はSNSで簡単に外部との関わりを持てる時代です。
なんか楽しそうなことをしている人がいて、その人が近隣にいることがわかると、なんとなくコミュニケーションが始まりますよね。
SNS上にいるということは、定期的に何らかの発信をしているということですから、人となりを把握できます。
なので「ぜひ会ってみたい」でも「会っても仕方ないかな」でも、事前になんとなくの感覚がつかめますしね。
もともと似たようなものごとに興味を示すひと同士であれば、話題も着眼点も共有していますから交友を広げるのが楽なはずなのですよ。
前述の通り、僕は「健康な状態を保っていること」を前提に将来設計をしています。
それなりに加齢による障害は感じているし、それは年々ツラさを増していくのでしょうが、睡眠、ストレス、食事などの管理できるものについては留意し続けようと思っています。
同時に健康を保つために必要な要素として「社会との接点を持っていること」だと思うのです。
自分が楽しむことによって、楽しそうにしてる人同士のコミュニティを作ることも資産だと考えるのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。