働き続けることは、変わり続けること
2019.12.23
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。僕は労働を趣味とか娯楽のカテゴリに置きながら、長い間働き続けることを望んでいるのです。そのためには、ずっと変わり続けるチカラをキープしている必要がありますし、比較対象を過去の自分に設定すると上手くいきそうな感じがしているのです。
10年前の自分の仕事でも見てみるか…
僕は「人生100年時代」を真に受けているので、できるだけ長い間、働き続けることを望んでいます。
だけれども、「働き続けることはいいけれど、同じことをやり続けることはイヤだな。ていうか、無理でしょ」と思ってるのです。
ずっと同じ調子で走り続けるのも無理だし、自分の周りを同じ環境に保ち続けることも無理に決まっているのです。
だから、ときどき立ち止まったり、シフトチェンジしてスピードの調整を図らなければなりません。
そう考えて僕はすでに、セミリタイア生活を初めていますし、今は無職になって長期休暇を取りながら人生をリセットしている。そんな時期を過ごしています。
これまで30年以上働いてきたので、決して贅沢ができわけではないけれども、収入がなくても死なない程度の資産はあります。
なので、これからは労働を娯楽とか趣味として捉えつつ関わっていきたいのです。
これらの考え方は、このブログ内で何度も何度も繰り返し述べていることです。
〈参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)〉
昨日投稿した「自信を持つチカラをメンテナンスする」でも触れているように、最近は「変化し続けるチカラをキープしなきゃ」と考ることが増えています。
自分の内側から湧き出している思考でもありますし、いろんなYouTube動画を観たり、他人が書いた記事に感化されている部分もありそうです。
前述の通り、僕はいま長期休暇中なので暇なのです。
暇だから「そうだ、10年前の自分の仕事でも見てみるか…」と思いつき、2009年の作業フォルダを探してみました。直近の仕事と比べて見たかったのです。
10年前のファイルはありませんでした…。
この頃まで、バックアップはメディアに焼いていたのですよ。
もう「焼く」って言葉の意味がわからない人も出てきてるでしょうかね? CDもしくはDVDに「記録する」という意味です。
そう。年末に焼いて、油性マジックで「Backup 200x」とか書いてましたもん。
この頃は、コンビニやスーパーにもDVD-Rとか売ってました。今はどうなんでしょうね?
すでにDVDドライブも使っていないし、メディア類(FD、MO、CD、DVD)は全部捨ててしまったのですよ。
HDDには「2012年」からのフォルダがありましたので、2011年までは「焼いて」保存してたんですね。
「そうそう、CDとDVDがビッシリとキャビネットを占領してたわ」という記憶も蘇ってきました。
一時期は、コピー機やらプリンタ、FAXなどが置いてあってギチギチだった作業部屋が、今ではスカスカです。
5畳強の部屋を作業部屋として確保してるのですが、足の踏み場もない状態のときがあったのですよ。
最近は断捨離で、紙の資料類を一気に破棄したこともあり、今は2畳くらいのスペースを確保できれば充分ですね。
アップデートし続けなきゃいけないことくらい分かってた
仕方ないので、残っていた2012年の作業ファイルを見てみました。
一番懐かしいのはFlashの存在ですね。
動画やアニメーションはFlashというAdobeのアプリを使って制作し、swfという形式のファイルで設置することが一般的だったのですよ。
今のブラウザで開くと代替静止画や、「このコンテンツをご覧になるには、Adobe Flash Playerが必要です」という代替テキストが表示されます。
すでにレイアウトはcssで書いていて、tableレイアウトではなくなっていたのですが、コンテンツ幅は960pxで作ってました。
細かいところでは、cssの記述方法も、Javascriptも、今とはいろいろ違っています。
当時の技術のままで案件を請けていると「ゴメン、スキル不足っす」ってことになりそうですね。
「手に職をつけてフリーランスになりたい」という人は多いけれども、延々と変わり続けなければ生きていけないのですよ。
僕が生きてきた世界だけじゃなくて、たぶんどこでもそうです。
「職」を得ると同時に、環境の変化に応じて自分を変えられる(=アップデートできる)チカラを保ち続けることが必要なのです。
と、ここまでは僕もずっと分かっていました。
なんだかんだ言いながら、50代半ばまでフリーランスのWebデザイナーとしてメシを食って来られたのですから、その成果はまずまずだったのでしょう。
その代わり、アウトプットの幅を広げる作業や、生き方を考えること、もっと振り幅大きく自分を変えるためのトライアルがまったくできていませんでした。
自分で望んで就いた職業だし、仕事にありつけるのはありがたいことなのですが「このまま走りつづけるのは危険だ」と感じたのです。
立ち止まってみてヨカッタ
こうして、ときどき自分がとっている行動について、振り返って検証してみたり、さらに意味を追加してみる作業を続けているのですが「よくも、ここまで次々と言葉が出てくるものだなあ」と少し驚いています。
それは、こうして毎日ブログを書き続けているからこそ認識できることなのですが、長い期間ずっとモヤモヤとした感情の中にいたのだろうと思います。
自分のことを「と思います」というのも変なのですが、立ち止まった後に「そういえばあのとき…」と思うことが、とても多いのです。
何もかもが同時進行で認識できるわけではないのですよ。
立ち止まってみて気づいたのですが、自分が変わろうとし続けていることを認識できると、比較対象が「過去の自分」になります。
目の前にある仕事と向かい合いながら走り続けていたときには、自分と似たようなポジションにいる人の仕事っぷりや、視界に入ってくる関係者たちのことが気になって仕方ありませんでした。
ずっと、自分と他人を比較し続けてきたんですね。
それが不要な行為だとは思いませんが、こうして立ち止まってみて、今の自分を過去の自分を比較してみるフェーズを得られたことはとてもヨカッタと思っています。
何がどうヨカッタのかは、まだ上手に言語化できません。
「変わり続けることって気持ちいいことなんだな」と思えるようになったり、今までの自分がやってきたことが、少しずつ言葉で繋がり始めたりして嬉しかったり…。そういうことなんだろうな、と感じているのです。
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