「一度立ち止まる」と「できることから始める」は矛盾してる?
2019.12.25
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「そういやオレ今、一度立ち止まるフェーズだったな」と思い至ったのですよ。昨日「もう一度、できることから始めよう」という記事を投稿したばかりなのにです。なんとなく矛盾しているようでもあるし、折り合いがついているようでもあるのです。
ゆったりとした日々を過ごしています
長期休暇に入って3ヶ月が経過しました。
僕はもともとフリーランスなので、サラリーマンの方々のように「退職しました。今日から無職です」という区切りを設けることはできず、1年以上前から「もう新規案件はお請けいたしません」と宣言し、運用案件のクローズをもって無職になったのです。
正直いうと、まだうっすらと社会との接点は残っているのですが、2019年9月25日を「失業記念日」ということにしています。
(参考:「無職」って言っちゃうとウソになる。でも言いたいのです)
3ヶ月にわたる長期休暇ならば、数年前パニック障害を発症したときに経験しています。
休暇というか、意に反した「休業」でしたけどね…。
「休まなきゃ」と「早く復帰しなきゃ」が入り混じった複雑な日々を過ごしていました。
ここから先の、3ヶ月を超える長期休暇は、これまでの人生で初めての体験になります。
今回は、自分で望んだ「無職」であり「長期休暇」なので、そのときよりも気持ちは落ち着いて、ゆったりとした毎日を過ごしています。
暇で退屈な時間を過ごしながら、立ち止まってこれから先のことを考える毎日を過ごしているのです。
1年以上、東京と山口県萩市を行ったり来たりする二拠点生活をしているのですが、東京にいるときには、自分の好きなペースで断捨離を進めていますし、萩にいるときには、完全移住時の住居となる中古住宅を探し始めています。
(参考:萩市の古民家を内覧してきた)
意図的にやってることはその程度で、それ以外はその場で思いついたことをするだけの、代わり映えのない毎日を過ごしています。
「一度立ち止まる」と「できることから始めよう」って矛盾?
思考が行きつ戻りつしています。
昨日投稿した「もう一度、できることから始めよう」にて、
「できることがあるのにやらない、はダメだな」と思うようになったのです。
(中略)
「できることから始めよう」を2020年のテーマにすることにします。
と書いたものの、「そういやオレ、いま立ち止まって考えてる最中だよな」と思い至ったのです。
前項で述べた通り、僕はいま無職になって長期休暇中なのですよ。
環境をガラッと変えるためにあらゆることを「ゼロに戻す」フェーズを作り、一度立ち止まって考えるためにそういう期間を設けているのです。
だけれども、同時に「そろそろ、できることから始めよう」と考え始めているのも確かなのですが、これって矛盾してるのでしょうかね? どうなんだろ。
僕は「いったん立ち止まってるからこそ、次の行動をイメージし始めてるんじゃないかな」と思うことにしています。
誰かの期待に応えることを考えなくていい、楽チンな状態にいるのですよ。
ひたすらに、無邪気に、自分が思いついていることに集中することができるフェーズなのです。
心地よくユルんでるし、心地よく焦ってるようが感じがしています。
答えは先になってみないとわからないけれども「この感覚。調子を上げていくための準備行動だったらウレシイな」と思っています。
なので、これからしばらくは「立ち止まって考えつつ、できることから始めよう」と思うことにします。
過去の否定ではありません
ちょっとだけ僕の目に見える景色が変わったのだろうと思います。
いつ頃からか「スピード」に価値を置くようになっていたのですよ。
「駆け出しの頃って、そんな感じだったかな?」と想い起こしてみても、もっともっと必死に調べたり、思い直したり、やり直したりしていたような記憶があるのです。
フリーランスになって、やってくる仕事の量が安定してきて、スピードが周りの人々に喜ばれていることを認識し始めてから、意図的にスピードが価値であるかのように振る舞い始めたのだと思います。
それが徐々に意図しなくてもそうなっていったのですね。
そうしてるうちに、それが自分のスタイルになっていたのですね。
時代の流れや、環境要因も影響していたことだろうと思います。
50代になったころから「これを継続することは、決して良いことではないな」と感じ始めていたのです。
当時からそう思っていたのではなくて「振り返って当時の感情を言語化すれば」という話ですね。
今でも決して、スピードが無価値だったとは思ってはいません。
現に「早くカタチにしていただいて、有り難いっす」って、関係者に喜ばれてましたから。
でも、そこに価値を置きすぎると、立ち止まって考えることが疎かになってしまうのですよ。
理屈よりも直感で判断するようになるんですよね。
僕自身の変化と、環境の変化が上手くリンクしてくれればいいんですけれど、どうしてもちょっとした齟齬が生まれ、それが気になって仕方なくなり始めますよね。それが「焼きが回る」ってことなんでしょうけどね。
このあたりの軌道修正が、僕にとっての「人生のシフトチェンジ」のしどころだろうと思っているのです。
これからの僕は、セミリタイア人として労働と向き合います。あまり、スピードを重視しないことに取り組みたいのです。
これは過去の否定ではありません。
一定期間「スピードが価値」を継続してきたからこそ「そろそろ、これじゃないヤツを求めないとマズいな」と思い至っているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。