他人の評価から離れたい
2019.12.27
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。立場はどうあれ、職業人にとって他人の評価は大切です。フリーランスなんて発注がないと生活すらままなりませんからね。ただ「この先も他人の評価に合わせる人生を送りたい?」と自問すると「そろそろ逃れたいよね」という答えになってしまうのです。
他人の評価によってメシを食ってきた
ざっくりとした言い方をすれば、職業人とは「他人に評価される」ことを前提としています。
だって、サラリーマンならば上司などから評価されたり認められたりしながら、自分のポジションを上げていかなくてはならないし、フリーランスに至っては、クライアントからの発注がなくては生活していくことさえままならないのです。
一見、案件の受発注に関係なさそうな、ユーチューバーやブロガー、アフィエイターにしても、不特定多数の世間の皆さんからの評価を得られないと、職業として成立しないのですよ。
もちろん、その中で自己評価を重要視する人もいれば、「他人の評価なんかクソ喰らえ」という実績を作って有無を言わさずに地位を確立する人もいますが、極めて例外的ですよね。
そして、長きにわたって職業人で居続けると、他人から評価されないことをやるのが億劫になってきたりするのですよ。
とくに怠けているつもりはないのですが「効率的ではない」と感じるようになってしまうのでしょうね。
「戒めなければならない」とも思うし「まあ、それが自然だよな。ほっとこう」とも思います。基本、そのときの気分次第で処理してきましたね。
僕は、このブログのあちこちで「職業人としての寿命を延ばすために、セミリタイア生活を選んだのです」と表明しています。
(参考:[フリーランスの老後]人生のピークを先延ばしする)
本気でそう思い続けてきたし、当然いまでもそう思っています。
では「他人から評価され続ける人生を延ばしたいの?」と自問すると、それは少し違うのですよ。
僕はもう50代半ばですから「そろそろ、自分の好きなことくらいは自分の評価に従わせてくれよ」という意思があるからこそのセミリタイアなのです。
子供時代からずっと、順位だ偏差値だ技術だパワーだ、と常に他人と比較され、誰かの評価によってポジションを与えられるような人生でした。
社会の中で生きていく以上、仕方ないことだし、それが合理的なのだろうとは思っています。
そのシステムの中で、まともなデザイン教育を受けていないにもかかわらず、どうにかこうにかフリーのデザイナーとしてメシが食えるようになったのですから、まったくもって文句をいう筋合いではないのです。
(参考:何歳になってもコンプレックスを克服できない)
でも「いい加減、そこから離脱させてくれよ」とも思っているのです。
「次のゲームは、そういうんじゃないヤツでお願いします」という気持ちでいます。
他人の評価で自分の価値を決めると、キツいのです
自分自身の評価を大切に生きていくフェーズを設けたいのですよ。
ここいらへんで、自分で感じる、好き嫌い、快不快と正直に向かい合う人生に切り替えたいのです。
これまでにも「オレは自分自身と素直に向かい合ってるか?」と自問してみたことはありますが、たいていダメダメです。
自分のことに関しては、自分が一番厳しいものなのですよ。
だから僕はセミリタイア人になって、自分を取り巻く環境をいったんゼロに戻そうと思ったのですね。
このブログ内で何度も何度も繰り返し述べていることですが、これをきっかけとして、自分が考える職業人のありかたを、自分なりにチューニングしようと思っているのです。
〈参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)〉
これまでの職業人生。とくにフリーランスになってからの20年は、関わる人にも運にも恵まれ「なんとかなった」のです。
「上手くいった」とも「成功した」とも思いませんが、本当に「なんとかなった」というのが僕の印象です。
ただ、加齢とともにその効力も弱まっていくのですよ。
年齢とともに「見たい景色」が変わっていくのでしょうね。
これまで快適だった居場所に不快な空気の存在を感じるのです。
それが、僕にとっては「他人の評価に自分を合わせ続けるのって、キツいな」ということだったのですよ。
「たぶん、このまま職業人を継続したら、途中でバテる。いや、もうバテてる」と思ったのです。
他人の評価って、他人の好き嫌い、快不快で構成されているものなので、自分ではコントロールできないものなのです。
そこに自分の存在価値を連結させてたら、そりゃ不安定になりますよね。
ここらへんで調整しておかないと、どんどん調子が狂っていくのです。
大切なことは自分の価値で判断しよう
よくニュースで「荒ぶる老人」の話題を見聞きしますが、こういうのって定年退職によってある日突然「他人からの評価」を失い、自分が誰からも関心を持たれなくなることに耐えられなっているのでしょうね。
僕はこの手の専門家ではないので、根拠はありませんが、似たような解説を読んだことがあり「まあ、そんなもんだわな」と思ったことがあります。
たぶん、定年退職の日がある分だけ、サラリーマンの方の方が劇的なんでしょうね。
どうだろ? 「その日」が決まってる分、準備がしやすいのかな? 正直よくわかりません。
フリーランスならば、ある程度の年齢まで市場に残ることができていれば、自分のペースで身を引くことができるし、不幸にも望まぬ引退を迫られたとしても「今は干されてるけど、まだ引退してないよ」と、生活資金が続く限り現役感を持ち続けることも可能ですからね。
(参考:[フリーランスの老後]頑張って良かった。老い方を選ぶことができてる)
話は変わりますが、年齢を重ねますと、どうでもいいことに関心を持たなくなるのですよ。
なんとなく「テキトーに流れに任せておけば、それでいいや」って感じですね。
オッサンがダサくなるのって、たぶんこれが理由なのでしょうね。
僕もこの数年、ユニクロを多用していますし、坊主になって20年くらい経ちます。
30代の頃は、ちゃんとお店でやってもらう金髪坊主だったのですが、40歳を超えたあたりから、お風呂場でやるセルフ坊主で済ませています。
その代わり、自分にとって大切なものをより重要に考えるようになるんじゃないでしょうかね? 少なくとも僕はそうなのですが、皆さんどうなんだろ?
それが僕にとっては「作ること」なのです。「造る」でも…、「創る」でも…、そのへんはなんでもいいです。過去にも、
なんて記事を投稿していますので、ご参考に。
職業人生もあとワンゲームもしくはツーゲーム分くらいしか残ってなさそうなのです。
だから、この「作る」ことに関しては、他人の評価から離れて、自分の価値を大切にして自分で決めるようにしたいのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。