自分にレッテルを貼ることで、面倒くさいことから逃れる
2019.12.29
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。あまり良くない意味で使われてきた「レッテルを貼る」という言葉ですが、それを自分に向けると、なかなか快適な状態を生み出すきっかけになるのですよ。自分が主張する以上、他人の主張も気にせざるを得なくなり、良好な協調性が生まれてくるのです。
自分の時間を守るために貼るレッテル
「レッテルを貼る」とは、昔から「よく知りもしないで、他人にレッテルを貼るんじゃない」みたいな、あまり良くない意味で使われてきた言葉ですよね。
レッテルを貼る(読み)レッテルヲハル【デジタル大辞泉の解説】
ある人物などに対して一方的・断定的に評価をつける。「卑怯者の―・られる」
出典:レッテルを貼る(レッテルヲハル)とは – コトバンク(2019年12月29日現在)
でも最近は「ポジティブなレッテルを自分に貼ろう! そして活き活きと過ごそう」みたいな使い方も見かけるようになったので、いい意味で使うのもアリになりつつあるようですね。
過去20年以上、フリーランスのデザイナーを生業としてきましたが、このレッテルのおかげでずいぶん自分の時間を守ることができたと思っているのです。
業界的には割とブラックになりがちな業界で、僕もかつては「あれ? もう日が暮れちゃったか。朝までもうひと頑張りしよう」みたいな働き方をしていたものです。
(参考:「セルフブラック」の功罪)
48歳のときにパニック障害の発作を発症して3ヶ月間休むハメになっちゃいましたけどね。
そんな僕でも「深夜の打ち合わせ」とか「長距離移動して泊まりでやる飲み会」とかが嫌いだったのですよ。
夜型生活をしていた頃には「午前の打ち合わせ」ですらどうにか避けようとしていたし、打ち合わせが定例化しようものなら、全力を尽くして回避しようとしてましたね。
打ち合わせの必要性は理解しているし、もともと「打ち上げ」を推奨しているので、飲み会自体を忌避しているのではありません、念のため。
「こういうタイミングでそういうの、要る?」と感じたときには素直に「それ、僕抜きでお願いします」って表明するだけですね。
なにがなんでも自分の主義主張を貫くわけではありません
いつ頃からでしょうか? 僕は自分自身に「自分の内面に生じた感情に従う人」というレッテルを貼って暮らしているのですよ。
そもそもレッテルというものは、他人から貼られるものなのですが、自分に自分で貼ってみるとこれがなかなか快適なのです。
前項で「最近は『ポジティブなレッテルを自分に貼ろう!』みたいな使い方も…」と述べましたが、どこかでそういう言説を見かけて「じゃあオレも」と考えたのかもしれませんが、どうもその辺の取っ掛かりはよく覚えていません。
いわゆる「中二病」の症状である「オレって、こういう人だから」が発症しているだけかもしれませんし、無意識のうちになんらかの防衛本能が働いていたのかもしれませんね。
僕のそんな振る舞いを「ワガママ」だと感じた人もいたことでしょう。
その上で「それでもあなたのチカラが必要だから」と付き合ってくれた人もいたでしょうし、「そんなヤツと一緒に仕事はできない」と離れていった人もいたのでしょう。
そのへんは、あまりちゃんと観察していません。
いつの間にか関係の切れた人に「僕に発注くれなくりましたね。なんでです?」ってワザワザ聞きに行ったりしませんからね。
僕が自分自身にレッテルを貼ることで、周りの人もそれに合わせたレッテルを僕に貼ってくれるようになるのですよ。
言い換えれば「自分にレッテルを貼る」とは、「みなさん、僕にこういうレッテルを貼ってください」とアピールするということなので、そりゃそうなりますよね。上手くいくときいかないときはありますけど。
「午前の打ち合わせNGでしたもんね。午後一ならどうです?」とか「打ち合わせ嫌いなのにスミマセン。ご自宅が清澄白河なので、大手町の会議室取りますね」って言ってもらったこともあります。
さすがに後者は、クライアントに浦和のオフィスから移動してもらったこともあり、かなり恐縮しましたけど…。
誤解のないように説明しておきますと、僕はさほど「オレ様原理主義」ってわけではないのですよ。
「みんなが等しく、ムダなことやイヤなことは避けましょう」「そのためにまず僕から、イヤだと思ってることを言いますね」くらいのテイストです。
その上で、他のみんなが「どうしても」ということならば「わかりました。オッケーです」と僕はそれに従うのです。
プロジェクトに加わっていれば、当然起こるし起こすであろう「必要な波風」に対応する準備はできているのです。だからこそ、ムダな波風を立てることに反対なのです。
他人のことも気にするようになりますよ
おそらく「イヤなこと」「ムダだと思うこと」なんて、みんな似かよっているのですよ。
誰しも深夜の打ち合わせなんて、やりたくないに決まっているのです。
なんとなくの空気感とか「他の案件でも深夜に打ち合わせやってたな」みたいな前例によって、あまり大して考えもせず「22時からって線でどうです?」みたいなことを言い出すんですよね。
そんな中に「深夜打合せNG」ってレッテルを貼られてる人が交ざってると「あ、ダメです。○○さん、深夜打ち合わせNGなんすよ」ってことになって、みんなが「だよね〜」と安堵し、そこから「そもそもみんなが一箇所に集まる必要ってある?」みたいな話が始まる、そんなものなのです。
これも、必要性だとか、チーム内の熱量だったりによっては、参加するケースは充分にあります。
このへんはニュアンスによるので、なかなか言語化できないのです…。
過去には、中間業者から一方的に「決定です、来てください。クライアントからの指示ですのでマストです」って言われたケースもありますよ。そう言われたら仕方ない、行きますけどね。
受注している以上、公開までは我慢してお付き合いすることを優先するのです。
そして、次の案件は断ります。
そういうことを繰り返していくと、どんどんと自分の周囲が快適になるのですよ。
僕が自身に貼ったレッテル(=主義・主張)通りに振る舞っている以上、他人のレッテルも気にせざるを得ませんからね。
むしろ自分を守るために、他人への注意力が高まるのですよ。
結果、そういう人たち同士で集まることになります。
この「ひとりひとりのレッテル」の中に趣味や個人の事情が交ざってもまったく問題ないと思っています。
たとえば、ワールドカップサッカーが開催されてる最中、メンバーにサッカーファンがいる場合、放映時間に飲み会を設定したりしないし、時短勤務してる人がいれば夕方にミーティングをするなんて発想にはならないわけです。
根気よく自分のレッテルを他人に伝えましょう
とにかくまずは自分にレッテルを貼り、それを周囲に伝えないと何も始まらないのです。
とはいえ「オレって○○な人なんだよね」という言い方にイラっとする場面というのもあるわけでして、なかなかすんなりと伝わらないケースもあるでしょう。
しかし、それでも根気よく理解を求め続けるしかないでしょうね。
そうして各人のレッテルが共有されれば、自分の時間が他人に干渉されることが減ってくるのですよ。
面倒くさいことから逃れられるのです。
時代が変わったからなのか? 僕がオッサンになったからなのか? 以前と比べて「面倒くさごとから逃れる」のはずいぶんとラクになったと感じています。
かつては飲み会の参加を断ると「なんで? 忙しいの? 他になにかあるの? 日にち変えようか?」などと理由を詮索してくる人もチラホラといたものですが、最近そういう人たちは、ほぼ視界から消えています。
もしかすると長年にわたって「自分に貼ったレッテル」をアピールし続けた効能かもしれません。
面倒くさい人は離れていって、面倒くさくない人だけのコミュニティができてるのかもな? などと思っています。
他人に振り回されて、自分の時間を上手に確保できない人は、嫌われてもいいから「自分ってこういう人だから」をアピールしてみるのがいいと思います。
ただですね。これってある程度の存在を認められてることが前提となるのですよ。
仕事であれば「職能の価値を認められてる人」であることですね。
そうでなければ、自分では「面倒くさいヤツを消し去った」と思っていても、実は消し去られていたのは自分だった、ということにもなりかねませんからね。
あくまでも、周りの人々と合わせあう(=ギブ・アンド・テイク)ことが大切なのです。
「チームの協力関係のひとつのパターンにしましょ」ということだと思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。